●●●「そうだ・ようだ・らしい・だろう」●●●
A1 マリアさんはヨーロッパへ行くそうです。 A2 マリアさんはヨーロッパへ行くようです。 A3 マリアさんはヨーロッパへ行くらしいです。
この3つの文は、似ているようで少し違います。どう違うのでしょうか。
A1の場合は、マリアさんがヨーロッパへ行くということを誰かから聞いた場合に言います。A2の場合は、マリアさんがヨーロッパ行きの切符を持っていたり、トランクを買ったりしているのを見かけたりした場合に言います。つまり、マリアさんが「ヨーロッパへ行く」という具体的な証拠を確認した場合に言います。A3は、マリアさんがヨーロッパへ行くという情報を何らかの形で得たけれど、この情報を本人から聞いたりした訳ではないときに言います。
それでは、次の3つの文を比べてみましょう。
B1 私は、ゆうべ、酔っ払って舞台の上で歌を歌ったそうです。 B2 私は、ゆうべ、酔っ払って舞台の上で歌を歌ったようです。 B3 私は、ゆうべ、酔っ払って舞台の上で歌を歌ったらしいです。
自分が酔っ払って何かをした場合、次の日、何も覚えていないでしょうね。それとも、何も覚えていないふりをするのでしょうか!!!そうだとしたら、上の3つの文はどう使い分けすることができるでしょうか。
もし、人から次の日に「あなた、昨日、大きい声で歌っていたよ。」ということを聞いたら、自分がこのことについて誰かに話すとき、B1のように言うでしょう。けれども、自分が酔っ払って歌っているのをビデオで見たりした場合は、B2かB3の文を使うでしょう。この場合は、人から聞いたということではないので、B1は使わないと思います。ただし、逆に、人から聞いたときには、B1はもちろん使えますが、B2もB3も使えます。
それでは、B2とB3はどう違うでしょう。この二つは、人からその話を聞いたときにも使えるのですが、それだけではなく、自分がどのぐらいその事実に関して根拠を持っているか、また、心理的にどのぐらい近く感じるかによって、B2かB3かを選んで使うと思います。B2の場合は、例えば、人から「ゆうべ、酔っ払って歌っているのを見たよ。」
と誰かに言われ、声もかれていて喉が痛くて、ゆうべ、歌ったような気がする場合に使うでしょう。B3の場合は、例えば、ビデオを見たりして、自分が歌っている姿を見ても、心理的には「自分が歌った」ということをあまり感じていない場合に使うでしょう。つまり、ビデオのような具体的な根拠があっても、自分でその事実をどう感じるかによって、言い方が変わってくることがあります。
それでは、次の例を見てみましょう。
C1 日本から帰ってきた人の話によると、日本人はよく働くそうです。 C2 日本から帰ってきた人の話によると、日本人はよく働くようです。 C3 日本から帰ってきた人の話によると、日本人はよく働くらしいです。
上記の例は、3つとも人から聞いた話ですが、C1は、単に「人から聞いた」ことを述べています。C2はC3に比べて、「日本人がよく働く」という事実の実感がより近いという感じがします。C2は、例えば、この事実を話した人がいろいろな具体的な例を述べたり、日本人が会社で働いている様子やデータを見せたりした場合に言えるでしょう。C3の場合は、同じようなデータを見せてもらっていても、話者の気持ちはC2のときより一層遠い、無関心な感じがします。
さらに、これを「だろう」と比較することもできます。「だろう」は「ようだ」「らしい」に比べて、客観性が弱いときに使います。例えば、「明日、たぶん、雨が降るだろう。」とは言えるが、空に浮かんでいる黒い雲を見ながら「明日、たぶん、雨が降るようです」、または「明日、たぶん、雨が降るらしいです」とは言いません。「たぶん」ということばが持っている客観性が「ようだ・らしい」と一緒に使うには、弱すぎるからだと言われています。