近くの公園を歩くと、南に向いた斜面に一群の水仙が咲いていた。一重(ひとえ)のニホンスイセンに華々しさはないが、新春らしい清らかさを匂(にお)わせている。〈水仙は八重より一重孤に徹す〉西嶋あさ子。きりりとした姿の一重びいきに、わが意を得たりの方もおられるだろう。
漫步在附近的公园,发现朝南的斜披上长着一片水仙。单瓣的日本水仙并无任何华丽之处,但是却散发着清馨的气息昭示着新春的来临。西嶋亚沙子有一首俳句是描写水仙的<水仙最清秀,花瓣分复单,复瓣姿平平,单瓣更清灵>。在那些对于姿态干练的单瓣水仙情有独钟者当中,想必也会有些人是出于主观偏好吧。
水仙は八重より一重孤に徹す<すいせんは やえよりひとえこに てっす>:水仙最清秀,花瓣分复单,复瓣姿平平,单瓣更清灵。
この花は、日本家屋の暗がりにも似合う。水仙で名高い福井の越前海岸を訪ねた開高健は、「正月花としてあちらこちらの家の闇に鮮やかな閃(ひらめ)きをあたえ……」と書いた。たしかに、ほの暗い玄関などに生けられた水仙を見ると、ぽっと明かりがともった心地にさせられる。
这一花种与日本居室的暗淡很相配。(作家)开高健曾经造访过因水仙而闻名的福井越前海岸,在他的文章中这样写道“作为正月绽放的花卉,在家家户户的背光之处展现着特有的鲜亮……”。在色调灰暗的玄关等处放上一盆盛开的水仙,确实给人一种豁然开朗的感觉。
またの名を「雪中花」と呼ぶのは、寒さに負けずに花を開き、雪の中でも芳香を放つからだろう。越前岬水仙ランドに聞くと1500万株は今が見ごろという。きのうは雪が舞い、海には灰色の波が寄せていたそうだ。
还有人给它起了一个名字叫“雪中花”,这恐怕是因为它不畏严寒昂首怒放,虽身居白雪之中却仍然散发着芳香的缘故吧。据越前岬水仙园介绍1500万株水仙目前正是观赏的最佳季节。听说昨天这里大雪飞舞,大海中暗灰色的海浪汹涌澎湃。
その北陸をはじめ日本海側は、雪の三が日になったところが多かった。年初に降る雪や雨を「御降」と書いて「おさがり」と呼ぶ。豊作の兆しとはいえ、故郷からのUターンに難渋された方もおられたことだろう。
北陆以及周边的日本海一侧有很多地区这三天是在大雪之中度过的。新年之初的降雪或降雨被称为“osagari”,写作“御将”。尽管是丰年之兆,但是一定也会使有人在从故乡返城的路途上举步维艰。
今年の暦は余情を欠き、きょう4日の月曜から、きっぱりと日常が立ち戻る。年の瀬のざわめきも、初春の華やぎも一族再会も、たちまち思い出となって流れ去る。去年と今年の入れ替わりは、実に素早い。
今年的日历缺少体恤之情,从今天4日的周一开始便彻底地回到了日常之中,过年时的喧嚣、初春的华美、亲属的团聚全都匆匆离我而去留下的只是一丝回忆,不免使人感到去年与今年的交替实在是太快了一点。
水仙に話を戻せば、植物の組み合わせで「双清(そうせい)」といえば梅と水仙をさすそうだ。寒さに向かって清々(すがすが)しく花開く姿は、ともにどこか人を励ますところがある。あやかりつつ、この1年に向き合うとする。
让我们再回到水仙的话题上,据说在植物的组合搭配中说到“双清”多指腊梅和水仙,直面严寒绽开清馨花朵的不同姿态中都包含着催人奋进的激越之情。但愿能像它们那样,清凌地面对已经到来的这1年。