#1 作者:开心 2003-3-1 22:41:00)
現代詩の鑑賞
(一) 道程
高村 光太郎
僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離なさいで守る事をせよ
常に父のきはくを僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
「翻訳」
我的身前本没路,
我的身后走出了路。
啊!雄伟的大自然呦,
我的父亲。
让我独自站立而行的父亲呦,
请您一直守护着我,不要把你那目光移开;
请您常常给我力量,用你那父亲的气魄;
为了这遥远的路程,
为了这遥远的路程。
#2 作者:Kohakugawa 2003-3-1 22:51:00)
どうてい【道程】
高村光太郎の第一詩集。大正三年(一九一四)刊。情熱の燃焼や生の充実感をうたう。
#3 作者:开心 2003-3-1 23:00:00)
高村 光太郎(たかむら こうたろう):
1883ー1956。東京都出身。詩人、彫刻者。詩集に「道程」、「智恵子抄」、「典型」、翻訳に「ロダンの言葉」、芸術論集に「美について」、「造形美論」などがある。
#4 作者:开心 2003-3-2 18:29:00)
(二) ぼろぼろなだちょう
高村 光太郎
何が面白くてだちょうを飼うのだ
動物園の四坪半のぬかるみの中では
脚が大股過ぎるじゃないか
頚があんまり長過ぎるじゃないか
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるじゃないか
腹がへるから堅パンも食うだろうが
だちょうの眼は遠くばかり見ているじゃないか
身も世もないように燃えているじゃないか
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちか
まえているじゃないか
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まい
ているじゃないか
これはもうだちょうじゃないじゃないか
人間よ
もう止せ こんな事は
「翻訳」
有皮没毛的鸵鸟
高村 光太郎
饲养鸵鸟,趣味何在?
在动物园那“四坪半”的泥泞中,
那脚步难道不是过大了吗?
那脖颈难道不是太长了吗?
在下雪的地区,照此这样,
那羽毛难道不是太稀疏单薄了吗?
由于腹饥,也许吃点硬面包,
可鸵鸟那眼睛,难道不是目视着那遥遥的远方吗?
那双眼难道不是在熊熊燃烧吗?好象要把这自己、这世界烧尽一样。
难道他不是在等待着那透明的风儿马上迎面吹来的吗?
他那纯朴的小脑袋,难道不是被那无际的梦想冲击得神驰不已吗?
这难道不是已经不是鸵鸟了吗?
人们哪,停止吧,这样的事情!
#5 作者:樱桃 2003-3-3 1:23:00)
好诗。。。。。。。
#6 作者:Kohakugawa 2003-3-3 21:40:00)
以下是引用樱桃在2003-3-3 1:23:02的发言:
好诗。。。。。。。
哪里好?…… いってごらん。
#7 作者:开心 2003-3-3 21:56:00)
(三) 朝のリター
谷川 俊太郎
カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ははえみながら寝返りをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ばくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へ
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受け止めた証拠なのに
#8 作者:开心 2003-3-4 20:05:00)
「翻訳」
早晨的传递
谷川 俊太郎
当勘察加半岛的年轻人
做着麒麟之梦的时候,
墨西哥的姑娘们却在晨雾中
等待着公共汽车的到来;
当纽约的少女笑意微微
在睡梦中翻身的时候,
罗马的少年却在向射到柱头的晨日
点头致意。
在这地球上,
早晨总会在某处开始。
我们在进行着早晨的传递,
从一个经度到另一个经度。
这样,我们就可谓以交替的形式
守卫着地球。
在入睡的前一瞬间侧耳倾听,
你就会听到在那遥远的某一处
闹表的铃声在鸣。
那就是证据,
证明你所传递过去的早晨
有人已确实接住。
#9 作者:K.arashi 2003-3-29 20:08:00)
なんだか、親切な気がした。
俺も修業しなきゃ
#10 作者:浅见光彦 2003-3-30 1:29:00)
トビ主のサインなんでtrade mark,嘿嘿。
#11 作者:天使☆Angel 2003-3-31 0:18:00)
意味深长。。。。。。
#12 作者:Yobin 2003-10-11 23:45:00)
詩の奇麗~~~~~
僕はこんな詩を書くかな。[emb12]