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《浅草公園》

作者:贯通日本…  来源:贯通论坛   更新:2008-3-23 21:13:23  点击:  切换到繁體中文

 

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Pages :[12  3   共 36 楼
#1 作者:senkaen 2005-8-7 11:48:00)

大家来互动一下--对于日本的文人你知道多少?
还可以推荐你喜欢的文人和作品
#2 作者:ねずみ 2005-8-7 11:51:00)


大江健三郎的任何作品
#3 作者:senkaen 2005-8-7 12:02:00)


我刚刚在青空文库里找了一下,好象没有,能具体介绍一下吗

#4 作者:paytonding 2005-8-7 12:04:00)


夏目漱石 《吾輩が猫だ》 《坊ちゃん》
#5 作者:senkaen 2005-8-7 12:06:00)


"芥川龍之介"我觉得还不错

#6 作者:senkaen 2005-8-7 12:50:00)


浅草公園

――或シナリオ――

芥川龍之介

          1  浅草あさくさ仁王門におうもんの中にった、火のともらない大提灯おおじょうちん。提灯は次第に上へあがり、雑沓ざっとうした仲店なかみせを見渡すようになる。ただし大提灯の下部だけは消え失せない。門の前に飛びかう無数のはと。           2  雷門かみなりもんから縦に見た仲店。正面にはるかに仁王門が見える。樹木は皆枯れ木ばかり。           3  仲店の片側かたがわ外套がいとうを着た男が一人ひとり、十二三歳の少年と一しょにぶらぶら仲店を歩いている。少年は父親の手を離れ、時々玩具屋おもちゃやの前に立ち止まったりする。父親は勿論こう云う少年を時々叱ったりしないことはない。が、まれには彼自身も少年のいることを忘れたように帽子屋ぼうしやの飾り窓などを眺めている。           4  こう云う親子の上半身じょうはんしん。父親はいかにも田舎者いなかものらしい、無精髭ぶしょうひげを伸ばした男。少年は可愛かわいいと云うよりもむしろ可憐な顔をしている。彼等のうしろには雑沓した仲店。彼等はこちらへ歩いて来る。           5  斜めに見たある玩具屋おもちゃやの店。少年はこの店の前にたたずんだまま、綱をのぼったりりたりする玩具の猿を眺めている。玩具屋の店の中には誰も見えない。少年の姿は膝の上まで。           6  綱を上ったり下りたりしている猿。猿は燕尾服えんびふくの尾を垂れた上、シルク・ハットを仰向あおむけにかぶっている。この綱や猿の後ろは深い暗のあるばかり。           7  この玩具屋のある仲店の片側。猿を見ていた少年は急に父親のいないことに気がつき、きょろきょろあたりを見まわしはじめる。それから向うに何か見つけ、その方へ一散いっさんに走ってく。           8  父親らしい男の後ろ姿。ただしこれも膝の上まで。少年はこの男に追いすがり、しっかりと外套の袖をとらえる。驚いてふり返った男の顔は生憎あいにく田舎者いなかものらしい父親ではない。綺麗きれい口髭くちひげの手入れをした、都会人らしい紳士である。少年の顔に往来する失望や当惑に満ちた表情。紳士は少年を残したまま、さっさと向うへ行ってしまう。少年は遠い雷門かみなりもんを後ろにぼんやり一人佇んでいる。           9  もう一度父親らしい後ろ姿。ただし今度は上半身じょうはんしん。少年はこの男に追いついて恐る恐るその顔を見上げる。彼等の向うには仁王門におうもん。           10[#「10」は縦中横]  この男の前を向いた顔。彼は、マスクに口をおおった、人間よりも、動物に近い顔をしている。何か悪意の感ぜられる微笑びしょう。           11[#「11」は縦中横]  仲店の片側。少年はこの男を見送ったまま、途方とほうに暮れたように佇んでいる。父親の姿はどちらを眺めても、生憎あいにく目にははいらないらしい。少年はちょっと考えたのちあてどもなしに歩きはじめる。いずれも洋装をした少女が二人、彼をふり返ったのも知らないように。           12[#「12」は縦中横]  目金めがね屋の店の飾り窓。近眼鏡きんがんきょう遠眼鏡えんがんきょう双眼鏡そうがんきょう廓大鏡かくだいきょう顕微鏡けんびきょう塵除ちりよ目金めがねなどの並んだ中に西洋人の人形にんぎょうの首が一つ、目金をかけて頬笑ほほえんでいる。その窓の前にたたずんだ少年の後姿うしろすがた。ただしななめに後ろから見た上半身。人形の首はおのずから人間の首に変ってしまう。のみならずこう少年に話しかける。――           13[#「13」は縦中横] 「目金を買っておかけなさい。お父さんを見付みつけるには目金をかけるのに限りますからね。」「僕の目は病気ではないよ。」           14[#「14」は縦中横]  斜めに見た造花屋ぞうかやの飾り窓。造花は皆竹籠だの、瀬戸物の鉢だのの中に開いている。中でも一番大きいのは左にある鬼百合おにゆりの花。飾り窓の板硝子ガラスは少年の上半身を映しはじめる。何か幽霊のようにぼんやりと。           15[#「15」は縦中横]  飾り窓の板硝子越しに造花を隔てた少年の上半身。少年は板硝子に手を当てている。そのうちに息の当るせいか、顔だけぼんやりと曇ってしまう。           16[#「16」は縦中横]  飾り窓の中の鬼百合の花。ただし後ろは暗である。鬼百合の花の下に垂れているつぼみもいつか次第に開きはじめる。           17[#「17」は縦中横] 「わたしの美しさを御覧なさい。」「だってお前は造花じゃないか?」           18[#「18」は縦中横]  かどから見た煙草屋の飾り窓。巻煙草のかん、葉巻の箱、パイプなどの並んだ中に斜めにふだが一枚懸っている。この札に書いてあるのは、――「煙草の煙は天国の門です。」おもむろにパイプから立ちのぼる煙。           19[#「19」は縦中横]  煙の満ち充ちた飾り窓の正面しょうめん。少年はこの右にたたずんでいる。ただしこれも膝の上まで。煙の中にはぼんやりと城が三つ浮かびはじめる。城は Three Castles の商標を立体にしたものに近い。           20[#「20」は縦中横]  それ等の城の一つ。この城の門には兵卒が一人銃を持って佇んでいる。そのまた鉄格子てつごうしの門の向うには棕櫚しゅろが何本もそよいでいる。
#7 作者:senkaen 2005-8-7 13:03:00)


   21[#「21」は縦中横]  この城の門の上。そこには横にいつのにかこう云う文句が浮かび始める。―― 「この門に入るものは英雄となるべし。」           22[#「22」は縦中横]  こちらへ歩いて来る少年の姿。前の煙草屋の飾り窓は斜めに少年の後ろに立っている。少年はちょっとふり返って見たのち、さっさとまた歩いて行ってしまう。           23[#「23」は縦中横]  がねだけ見える鐘楼しゅろうの内部。撞木しゅもくは誰かの手に綱を引かれ、おもむろに鐘を鳴らしはじめる。一度、二度、三度、――鐘楼の外は松の木ばかり。           24[#「24」は縦中横]  斜めに見た射撃屋しゃげきやの店。まとは後ろに巻煙草の箱を積み、前に博多人形はかたにんぎょうを並べている。手前に並んだ空気銃の一列。人形の一つはドレッスをつけ、扇を持った西洋人の女である。少年はずこの店にはいり、空気銃を一つとり上げて全然無分別むふんべつまとねらう。射撃屋の店には誰もいない。少年の姿は膝の上まで。           25[#「25」は縦中横]  西洋人の女の人形。人形は静かに扇をひろげ、すっかり顔を隠してしまう。それからこの人形にあたるコルクの弾丸たま。人形は勿論仰向あおむけに倒れる。人形の後ろにも暗のあるばかり。           26[#「26」は縦中横]  前の射撃屋の店。少年はまた空気銃をとり上げ、今度は熱心にまとを狙う。三発、四発、五発、――しかし的は一つも落ちない。少年はぶ銀貨を出し、店の外へ行ってしまう。           27[#「27」は縦中横]  始めはただ薄暗い中に四角いものの見えるばかり。その中にこの四角いものは突然電燈をともしたと見え、横にこう云う字を浮かびあがらせる。――上に「公園六区ろっく」下に「夜警詰所やけいつめしょ」。上のは黒い中に白、下のは黒い中に赤である。           28[#「28」は縦中横]  劇場の裏の上部。火のともった窓が一つ見える。まっすぐ雨樋あまどいをおろした壁にはいろいろのポスタアのがれたあと。           29[#「29」は縦中横]  この劇場の裏の下部かぶ。少年はそこにたたずんだまま、しばらくはどちらへもこうとしない。それから高い窓を見上げる。が、窓には誰も見えない。ただたくましいブルテリアが一匹、少年の足もとを通って行く。少年のにおいいで見ながら。           30[#「30」は縦中横]  同じ劇場の裏の上部。火のともった窓には踊り子が一人現れ、冷淡に目の下の往来を眺める。この姿は勿論もちろん逆光線のために顔などははっきりとわからない。が、いつか少年に似た、可憐かれんな顔を現してしまう。踊り子は静かに窓をあけ、小さい花束はなたばを下に投げる。           31[#「31」は縦中横]  往来に立った少年の足もと。小さい花束が一つ落ちて来る。少年の手はこれを拾う。花束は往来を離れるが早いか、いつかいばらの束に変っている。           32[#「32」は縦中横]  黒い一枚の掲示板けいじばん。掲示板は「北の風、晴」と云う字をチョオクに現している。が、それはぼんやりとなり、「南の風強かるべし。雨模様」と云う字に変ってしまう。           33[#「33」は縦中横]  ななめに見た標札屋ひょうさつや露店ろてん天幕てんとの下に並んだ見本は徳川家康とくがわいえやす二宮尊徳にのみやそんとく渡辺崋山わたなべかざん近藤勇こんどういさみ近松門左衛門ちかまつもんざえもんなどの名を並べている。こう云う名前もいつのにか有り来りの名前に変ってしまう。のみならずそれ等の標札の向うにかすかに浮んで来る南瓜畠かぼちゃばたけ……           34[#「34」は縦中横]  池の向うに並んだ何軒かの映画館。池には勿論電燈の影が幾つともなしに映っている。池の左に立った少年の上半身じょうはんしん。少年の帽は咄嗟とっさあいだに風のために池へ飛んでしまう。少年はいろいろあせったのち、こちらを向いて歩きはじめる。ほとんど絶望に近い表情。           35[#「35」は縦中横]  カッフェの飾り窓。砂糖の塔、生菓子なまがし麦藁むぎわらのパイプを入れた曹達水ソオダすいのコップなどの向うに人かげが幾つも動いている。少年はこの飾り窓の前へ通りかかり、飾り窓の左に足を止めてしまう。少年の姿は膝の上まで。           36[#「36」は縦中横]  このカッフェの外部。夫婦らしい中年の男女なんにょが二人硝子ガラス戸の中へはいって行く。女はマントルを着た子供をいている。そのうちにカッフェはおのずからまわり、コック部屋の裏を現わしてしまう。コック部屋の裏には煙突えんとつが一本。そこにはまた労働者が二人せっせとシャベルを動かしている。カンテラを一つともしたまま。……           37[#「37」は縦中横]  テエブルの前の子供椅子いすの上に上半身を見せた前の子供。子供はにこにこ笑いながら、首を振ったり手を挙げたりしている。子供の後ろには何も見えない。そこへいつか薔薇ばらの花が一つずつ静かに落ちはじめる。           38[#「38」は縦中横]  斜めに見える自動計算器。計算器の前には手が二つしきりなしに動いている。勿論女の手に違いない。それから絶えず開かれる抽斗ひきだし。抽斗の中はぜにばかりである。           39[#「39」は縦中横]  前のカッフェの飾り窓。少年の姿も変りはない。しばらくののち、少年はおもむろに振り返り、足早あしばやにこちらへ歩いて来る。が、顔ばかりになった時、ちょっと立ちどまって何かを見る。多少驚きに近い表情。           40[#「40」は縦中横]  人だかりのまん中に立った商人あきゅうど。彼は呉服ごふくものをひろげた中に立ち、一本の帯をふりながら、熱心に人だかりに呼びかけている。           41[#「41」は縦中横]  彼の手に持った一本の帯。帯は前後左右に振られながら、片はしを二三尺現している。帯の模様は廓大かくだいした雪片せっぺん。雪片は次第にまわりながら、くるくる帯の外へも落ちはじめる。           42[#「42」は縦中横]  メリヤス屋の露店ろてん。シャツやズボン下をった下にばあさんが一人行火あんかに当っている。婆さんの前にもメリヤス類。毛糸の編みものもまじっていないことはない。行火のすそには黒猫が一匹時々前足をめている。           43[#「43」は縦中横]  行火の裾に坐っている黒猫。左に少年の下半身かはんしんも見える。黒猫も始めは変りはない。しかしいつか頭の上に流蘇ふさの長いトルコ帽をかぶっている。           44[#「44」は縦中横] 「坊ちゃん、スウェエタアを一つお買いなさい。」「僕は帽子さえ買えないんだよ。」           45[#「45」は縦中横]  メリヤス屋の露店を後ろにした、疲れたらしい少年の上半身じょうはんしん。少年は涙を流しはじめる。が、やっと気をとり直し、高い空を見上げながら、もう一度こちらへ歩きはじめる。           46[#「46」は縦中横]  かすかに星のかがやいた夕空。そこへ大きい顔が一つおのずからぼんやりと浮かんで来る。顔は少年の父親らしい。愛情はこもっているものの、何か無限にもの悲しい表情。しかしこの顔もしばらくののち、霧のようにどこかへ消えてしまう。           47[#「47」は縦中横]  たてに見た往来。少年はこちらへうしろを見せたまま、この往来を歩いてく。往来は余り人通りはない。少年の後ろから歩いて行く男。この男はちょっと振り返り、マスクをかけた顔を見せる。少年は一度も後ろを見ない。           48[#「48」は縦中横]  斜めに見た格子戸こうしど造りの家の外部。家の前には人力車じんりきしゃが三台後ろ向きに止まっている。人通りはやはり沢山ない。角隠つのかくしをつけた花嫁はなよめが一人、何人かの人々と一しょに格子戸を出、静かに前の人力車に乗る。人力車は三台とも人を乗せると、花嫁を先に走って行く。そのあとから少年の後ろ姿。格子戸の家の前に立った人々は勿論少年に目もやらない。           49[#「49」は縦中横] 「XYZ会社特製品、迷い子、文芸的映画」と書いた長方形の板。これもこの板を前後にしたサンドウィッチ・マンに変ってしまう。サンドウィッチ・マンは年をとっているものの、どこか仲店なかみせを歩いていた、都会人らしい紳士に似ている。後ろは前よりも人通りは多い、いろいろの店の並んだ往来。少年はそこを通りかかり、サンドウィッチ・マンのくばっている広告を一枚貰って行く。
#8 作者:senkaen 2005-8-7 13:06:00)


   50[#「50」は縦中横]  縦に見た前の往来。松葉杖をついた癈兵はいへいが一人ゆっくりと向うへ歩いてく。癈兵はいつか駝鳥だちょうに変っている。が、しばらく歩いて行くうちにまた癈兵になってしまう。横町よこちょうかどにはポストが一つ。           51[#「51」は縦中横] 「急げ。急げ。いつ何時なんどき死ぬかも知れない。」           52[#「52」は縦中横]  往来のかどに立っているポスト。ポストはいつか透明になり、無数の手紙の折り重なった円筒の内部を現して見せる。が、見る見る前のようにただのポストに変ってしまう。ポストの後ろには暗のあるばかり。           53[#「53」は縦中横]  斜めに見た芸者屋町げいしゃやまち。お座敷へ出る芸者が二人ふたりある御神燈ごしんとうのともった格子戸こうしどを出、静かにこちらへ歩いて来る。どちらもなんの表情も見せない。二人の芸者の通りすぎたのち、向うへ歩いてく少年の姿。少年はちょっとふり返って見る。前よりもさらに寂しい表情。少年はだんだん小さくなって行く。そこへ向うに立っていた、の低い声色遣こわいろつかいが一人ひとりやはりこちらへ歩いて来る。彼ののあたりへ近づいたのを見ると、どこか少年に似ていないことはない。           54[#「54」は縦中横]  大きい針金はりがねのまわりにぐるりと何本もぶら下げたかもじかもじの中には「すき毛入り前髪まえがみ立て」と書いたふだも下っている。これ等のかもじはいつのにか理髪店の棒に変ってしまう。棒の後ろにも暗のあるばかり。           55[#「55」は縦中横]  理髪店の外部。大きい窓硝子ガラスの向うには男女なんにょが何人も動いている。少年はそこへ通りかかり、ちょっと内部をのぞいて見る。           56[#「56」は縦中横]  頭をっている男の横顔。これもしばらくたった後、大きい針金のにぶら下げた何本かのかもじに変ってしまう。かもじの中に下ったふだが一枚。札には今度は「入れ毛」と書いてある。           57[#「57」は縦中横]  セセッション風に出来上った病院。少年はこちらから歩み寄り、石の階段を登ってく、しかし戸の中へはいったと思うと、すぐにまた階段をくだって来る。少年の左へ行ったのち、病院は静かにこちらへ近づき、とうとう玄関だけになってしまう。その硝子戸ガラスどを押しあけて外へ出て来る看護婦かんごふが一人。看護婦は玄関にたたずんだまま、何か遠いものを眺めている。           58[#「58」は縦中横]  膝の上に組んだ看護婦の両手。前になった左の手には婚約の指環が一つはまっている。が、指環はおのずから急に下へ落ちてしまう。           59[#「59」は縦中横]  わずかに空を残したコンクリイトの塀。これもおのずから透明とうめいになり、鉄格子てつごうしの中にむらがった何匹かの猿を現して見せる。それからまた塀全体はあやつ人形にんぎょうの舞台に変ってしまう。舞台はとにかく西洋じみた室内。そこに西洋人の人形が一つずあたりをうかがっている。覆面ふくめんをかけているのを見ると、この室へ忍びこんだ盗人ぬすびとらしい。室の隅には金庫が一つ。           60[#「60」は縦中横]  金庫をこじあけている西洋人の人形。ただしこの人形の手足についた、細い糸も何本かははっきりと見える。……           61[#「61」は縦中横]  斜めに見た前のコンクリイトの塀。塀はもう何も現していない。そこを通りすぎる少年の影。そのあとから今度は背むしの影。           62[#「62」は縦中横]  前から斜めに見おろした往来。往来の上には落ち葉が一枚風に吹かれてまわっている。そこへまた舞いさがって来る前よりも小さい落葉が一枚。最後に雑誌の広告らしい紙も一枚ひるがえって来る。紙は生憎あいにく引きかれているらしい。が、はっきりと見えるのは「生活、正月号」と云う初号活字である。           63[#「63」は縦中横]  大きい常磐木ときわぎの下にあるベンチ。木々の向うに見えているのは前の池の一部らしい。少年はそこへ歩み寄り、がっかりしたように腰をかける。それから涙をぬぐいはじめる。すると前の背むしが一人やはりベンチへ来て腰をかける。時々風にれるうしろの常磐木。少年はふと背むしを見つめる。が、背むしはふり返りもしない。のみならずふところから焼き芋を出し、がつがつしているように食いはじめる。           64[#「64」は縦中横]  焼きいもを食っている背むしの顔。           65[#「65」は縦中横]  前の常磐木ときわぎのかげにあるベンチ。背むしはやはり焼き芋を食っている。少年はやっと立ち上り、頭を垂れてどこかへ歩いてく。           66[#「66」は縦中横]  斜めに上から見おろしたベンチ。板を透かしたベンチの上には蟇口がまぐちが一つ残っている。すると誰かの手が一つそっとその蟇口をとり上げてしまう。           67[#「67」は縦中横]  前の常磐木のかげにあるベンチ。ただし今度は斜めになっている。ベンチの上には背むしが一人蟇口の中をしらべている。そのうちにいつか背むしの左右に背むしが何人も現れはじめ、とうとうしまいにはベンチの上は背むしばかりになってしまう。しかも彼等は同じようにそれぞれ皆熱心に蟇口の中を検べている。互に何か話し合いながら。           68[#「68」は縦中横]  写真屋の飾り窓。男女なんにょの写真が何枚もそれぞれ額縁がくぶちにはいってかかっている。が、それ等の男女の顔もいつか老人に変ってしまう。しかしその中にたった一枚、フロック・コオトに勲章をつけた、顋髭あごひげのある老人の半身だけは変らない。ただその顔はいつのにか前の背むしの顔になっている。           69[#「69」は縦中横]  横から見た観音堂かんのんどう。少年はその下を歩いてく。観音堂の上には三日月みかづきが一つ。           70[#「70」は縦中横]  観音堂の正面の一部。ただしとびらはしまっている。その前に礼拝らいはいしている何人かの人々。少年はそこへ歩みより、こちらへ後ろを見せたまま、ちょっと観音堂を仰いで見る。それから突然こちらを向き、さっさと斜めに歩いて行ってしまう。           71[#「71」は縦中横]  斜めに上から見おろした、大きい長方形の手水鉢ちょうずばち柄杓ひしゃくが何本も浮かんだ水にはかげもちらちら映っている。そこへまた映って来る、憔悴しょうすいし切った少年の顔。           72[#「72」は縦中横]  大きい石燈籠いしどうろうの下部。少年はそこに腰をおろし、両手に顔を隠して泣きはじめる。           73[#「73」は縦中横]  前の石燈籠の下部の後ろ。男が一人たたずんだまま、何かに耳を傾けている。           74[#「74」は縦中横]  この男の上半身。もっとも顔だけはこちらを向いていない。が、静かに振り返ったのを見ると、マスクをかけた前の男である。のみならずその顔もしばらくののち、少年の父親に変ってしまう。           75[#「75」は縦中横]  前の石燈籠の上部。石燈籠は柱を残したまま、おのずからほのおになって燃え上ってしまう。炎の下火したびになったのち、そこに開き始める菊の花が一輪。菊の花は石燈籠の笠よりも大きい。           76[#「76」は縦中横]  前の石燈籠の下部。少年は前と変りはない。そこへ帽を目深まぶかにかぶった巡査じゅんさが一人歩みより、少年の肩へ手をかける。少年は驚いて立ち上り、何か巡査と話をする。それから巡査に手を引かれたまま、静かに向うへ歩いてく。           77[#「77」は縦中横]  前の石燈籠の下部の後ろ。今度はもう誰もいない。           78[#「78」は縦中横]  前の仁王門におうもん大提灯おおじょうちん。大提灯は次第に上へあがり、前のように仲店なかみせを見渡すようになる。ただし大提灯の下部だけは消えせない。

(昭和二年三月十四日) 这篇文章有点深奥,还望大家点评
#9 作者:zhengzheng 2005-8-7 16:21:00)


不知道一个。。。

#10 作者:senkaen 2005-8-7 18:29:00)


以后还会为大家介绍文章的,大家也可以把你所喜欢的文章发到这一版块,让大家共享

#11 作者:senkaen 2005-8-7 18:40:00)


看不大懂的话,可以查字典,这样可以学到很多东西的,呵,这是我的个人之见
#12 作者:shukiku 2005-8-8 15:48:00)


夏目漱石の「心」 吉本バナナの「キッチン」

宮部みゆきが大好きです

#13 作者:senkaen 2005-8-8 16:28:00)


源氏物語01

桐壺

紫式部

與謝野晶子訳

紫のかがやく花と日の光思ひあはざる
ことわりもなし      (晶子)
 どの天皇様の御代みよであったか、女御にょごとか更衣こういとかいわれる後宮こうきゅうがおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵あいちょうを得ている人があった。最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力にたのむ所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬しっとほのおを燃やさないわけもなかった。夜の御殿おとど宿直所とのいどころから退さがる朝、続いてその人ばかりが召される夜、目に見耳に聞いて口惜くちおしがらせた恨みのせいもあったかからだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、いよいよみかどはこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならない。御聖徳を伝える歴史の上にも暗い影の一所残るようなことにもなりかねない状態になった。高官たちも殿上役人たちも困って、御覚醒かくせいになるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどの御寵愛ちょうあいぶりであった。唐の国でもこの種類の寵姫ちょうき楊家ようかじょの出現によって乱がかもされたなどとかげではいわれる。今やこの女性が一天下のわざわいだとされるに至った。馬嵬ばかいの駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気ふんいきの中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。父の大納言だいなごんはもう故人であった。母の未亡人が生まれのよい見識のある女で、わが娘を現代に勢力のある派手はでな家の娘たちにひけをとらせないよき保護者たりえた。それでも大官の後援者を持たぬ更衣は、何かの場合にいつも心細い思いをするようだった。 前生ぜんしょうの縁が深かったか、またもないような美しい皇子までがこの人からお生まれになった。寵姫を母とした御子みこを早く御覧になりたい思召おぼしめしから、正規の日数が立つとすぐに更衣母子おやこを宮中へお招きになった。小皇子しょうおうじはいかなる美なるものよりも美しいお顔をしておいでになった。帝の第一皇子は右大臣の娘の女御からお生まれになって、重い外戚がいせきが背景になっていて、疑いもない未来の皇太子として世の人は尊敬をささげているが、第二の皇子の美貌びぼうにならぶことがおできにならぬため、それは皇家おうけの長子として大事にあそばされ、これは御自身の愛子あいしとして非常に大事がっておいでになった。更衣は初めから普通の朝廷の女官として奉仕するほどの軽い身分ではなかった。ただお愛しになるあまりに、その人自身は最高の貴女きじょと言ってよいほどのりっぱな女ではあったが、始終おそばへお置きになろうとして、殿上で音楽その他のお催し事をあそばす際には、だれよりもまず先にこの人を常の御殿へお呼びになり、またある時はお引き留めになって更衣が夜の御殿から朝の退出ができずそのまま昼も侍しているようなことになったりして、やや軽いふうにも見られたのが、皇子のお生まれになって以後目に立って重々しくお扱いになったから、東宮にもどうかすればこの皇子をお立てになるかもしれぬと、第一の皇子の御生母の女御は疑いを持っていた。この人は帝の最もお若い時に入内じゅだいした最初の女御であった。この女御がする批難と恨み言だけは無関心にしておいでになれなかった。この女御へ済まないという気も十分に持っておいでになった。帝の深い愛を信じながらも、悪く言う者と、何かの欠点を捜し出そうとする者ばかりの宮中に、病身な、そして無力な家を背景としている心細い更衣は、愛されれば愛されるほど苦しみがふえるふうであった。 住んでいる御殿ごてんは御所の中の東北のすみのような桐壺きりつぼであった。幾つかの女御や更衣たちの御殿のろうを通いみちにして帝がしばしばそこへおいでになり、宿直とのいをする更衣が上がり下がりして行く桐壺であったから、始終ながめていねばならぬ御殿の住人たちの恨みがかさんでいくのも道理と言わねばならない。召されることがあまり続くころは、打ち橋とか通い廊下のある戸口とかに意地の悪い仕掛けがされて、送り迎えをする女房たちの着物のすそが一度でいたんでしまうようなことがあったりする。またある時はどうしてもそこを通らねばならぬ廊下の戸に錠がさされてあったり、そこが通れねばこちらを行くはずの御殿の人どうしが言い合わせて、桐壺の更衣の通りみちをなくしてはずかしめるようなことなどもしばしばあった。数え切れぬほどの苦しみを受けて、更衣が心をめいらせているのを御覧になると帝はいっそうあわれを多くお加えになって、清涼殿せいりょうでんに続いた後涼殿こうりょうでんに住んでいた更衣をほかへお移しになって桐壺の更衣へ休息室としてお与えになった。移された人の恨みはどの後宮こうきゅうよりもまた深くなった。 第二の皇子が三歳におなりになった時に袴着はかまぎの式が行なわれた。前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手はでな準備の費用が宮廷から支出された。それにつけても世間はいろいろに批評をしたが、成長されるこの皇子の美貌びぼう聡明そうめいさとが類のないものであったから、だれも皇子を悪く思うことはできなかった。有識者はこの天才的な美しい小皇子を見て、こんな人も人間世界に生まれてくるものかと皆驚いていた。その年の夏のことである。御息所みやすどころ――皇子女おうじじょの生母になった更衣はこう呼ばれるのである――はちょっとした病気になって、実家へさがろうとしたが帝はお許しにならなかった。どこかからだが悪いということはこの人の常のことになっていたから、帝はそれほどお驚きにならずに、「もうしばらく御所で養生をしてみてからにするがよい」 と言っておいでになるうちにしだいに悪くなって、そうなってからほんの五、六日のうちに病は重体になった。母の未亡人は泣く泣くお暇を願って帰宅させることにした。こんな場合にはまたどんな呪詛じゅそが行なわれるかもしれない、皇子にまでわざわいを及ぼしてはとの心づかいから、皇子だけを宮中にとどめて、目だたぬように御息所だけが退出するのであった。この上留めることは不可能であると帝は思召して、更衣が出かけて行くところを見送ることのできぬ御尊貴の御身の物足りなさを堪えがたく悲しんでおいでになった。 はなやかな顔だちの美人が非常にせてしまって、心の中には帝とお別れして行く無限の悲しみがあったが口へは何も出して言うことのできないのがこの人の性質である。あるかないかに弱っているのを御覧になると帝は過去も未来も真暗まっくらになった気があそばすのであった。泣く泣くいろいろな頼もしい将来の約束をあそばされても更衣はお返辞もできないのである。目つきもよほどだるそうで、平生からなよなよとした人がいっそう弱々しいふうになって寝ているのであったから、これはどうなることであろうという不安が大御心おおみこころを襲うた。更衣が宮中から輦車れんしゃで出てよい御許可の宣旨せんじを役人へお下しになったりあそばされても、また病室へお帰りになると今行くということをお許しにならない。「死の旅にも同時に出るのがわれわれ二人であるとあなたも約束したのだから、私を置いてうちへ行ってしまうことはできないはずだ」 と、帝がお言いになると、そのお心持ちのよくわかる女も、非常に悲しそうにお顔を見て、
「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
 死がそれほど私に迫って来ておりませんのでしたら」 これだけのことを息も絶え絶えに言って、なお帝にお言いしたいことがありそうであるが、まったく気力はなくなってしまった。死ぬのであったらこのまま自分のそばで死なせたいと帝は思召おぼしめしたが、今日から始めるはずの祈祷きとうも高僧たちが承っていて、それもぜひ今夜から始めねばなりませぬというようなことも申し上げて方々から更衣の退出を促すので、別れがたく思召しながらお帰しになった。 帝はお胸が悲しみでいっぱいになってお眠りになることが困難であった。帰った更衣の家へお出しになる尋ねの使いはすぐ帰って来るはずであるが、それすら返辞を聞くことが待ち遠しいであろうと仰せられた帝であるのに、お使いは、「夜半過ぎにお卒去かくれになりました」 と言って、故大納言家の人たちの泣き騒いでいるのを見ると力が落ちてそのまま御所へ帰って来た。
#14 作者:senkaen 2005-8-8 16:29:00)


更衣の死をお聞きになった帝のお悲しみは非常で、そのまま引きこもっておいでになった。その中でも忘れがたみの皇子はそばへ置いておきたく思召したが、母の忌服きふく中の皇子が、けがれのやかましい宮中においでになる例などはないので、更衣の実家へ退出されることになった。皇子はどんな大事があったともお知りにならず、侍女たちが泣き騒ぎ、帝のお顔にも涙が流れてばかりいるのだけを不思議にお思いになるふうであった。父子の別れというようなことはなんでもない場合でも悲しいものであるから、この時の帝のお心持ちほどお気の毒なものはなかった。 どんなに惜しい人でも遺骸いがいは遺骸として扱われねばならぬ、葬儀が行なわれることになって、母の未亡人は遺骸と同時に火葬の煙になりたいと泣きこがれていた。そして葬送の女房の車にしいて望んでいっしょに乗って愛宕おたぎの野にいかめしく設けられた式場へ着いた時の未亡人の心はどんなに悲しかったであろう。「死んだ人を見ながら、やはり生きている人のように思われてならない私の迷いをさますために行く必要があります」 と賢そうに言っていたが、車から落ちてしまいそうに泣くので、こんなことになるのを恐れていたと女房たちは思った。 宮中からお使いが葬場へ来た。更衣に三位さんみを贈られたのである。勅使がその宣命せんみょうを読んだ時ほど未亡人にとって悲しいことはなかった。三位は女御にょごに相当する位階である。生きていた日に女御とも言わせなかったことがみかどには残り多く思召されて贈位を賜わったのである。こんなことででも後宮のある人々は反感を持った。同情のある人は故人の美しさ、性格のなだらかさなどで憎むことのできなかった人であると、今になって桐壺の更衣こういの真価を思い出していた。あまりにひどい御殊寵しゅちょうぶりであったからその当時は嫉妬しっとを感じたのであるとそれらの人は以前のことを思っていた。優しい同情深い女性であったのを、帝付きの女官たちは皆恋しがっていた。「なくてぞ人は恋しかりける」とはこうした場合のことであろうと見えた。時は人の悲しみにかかわりもなく過ぎて七日七日の仏事が次々に行なわれる、そのたびに帝からはお弔いの品々が下された。 愛人の死んだのちの日がたっていくにしたがってどうしようもない寂しさばかりを帝はお覚えになるのであって、女御、更衣を宿直とのいに召されることも絶えてしまった。ただ涙の中の御朝夕であって、拝見する人までがしめっぽい心になる秋であった。「死んでからまでも人の気を悪くさせる御寵愛ぶりね」 などと言って、右大臣の娘の弘徽殿こきでん女御にょごなどは今さえも嫉妬を捨てなかった。帝は一の皇子を御覧になっても更衣の忘れがたみの皇子の恋しさばかりをお覚えになって、親しい女官や、御自身のお乳母めのとなどをその家へおつかわしになって若宮の様子を報告させておいでになった。 野分のわきふうに風が出て肌寒はださむの覚えられる日の夕方に、平生よりもいっそう故人がお思われになって、靫負ゆげい命婦みょうぶという人を使いとしてお出しになった。夕月夜の美しい時刻に命婦を出かけさせて、そのまま深い物思いをしておいでになった。以前にこうした月夜は音楽の遊びが行なわれて、更衣はその一人に加わってすぐれた音楽者の素質を見せた。またそんな夜にむ歌なども平凡ではなかった。彼女の幻は帝のお目に立ち添って少しも消えない。しかしながらどんなに濃い幻でも瞬間の現実の価値はないのである。 命婦は故大納言だいなごん家に着いて車が門から中へ引き入れられた刹那せつなからもう言いようのない寂しさが味わわれた。未亡人の家であるが、一人娘のために住居すまいの外見などにもみすぼらしさがないようにと、りっぱな体裁を保って暮らしていたのであるが、子を失った女主人おんなあるじ無明むみょうの日が続くようになってからは、しばらくのうちに庭の雑草が行儀悪く高くなった。またこのごろの野分の風でいっそう邸内が荒れた気のするのであったが、月光だけは伸びた草にもさわらずさし込んだその南向きの座敷に命婦を招じて出て来た女主人はすぐにもものが言えないほどまたも悲しみに胸をいっぱいにしていた。「娘を死なせました母親がよくも生きていられたものというように、運命がただ恨めしゅうございますのに、こうしたお使いがあばら屋へおいでくださるとまたいっそう自分が恥ずかしくてなりません」 と言って、実際堪えられないだろうと思われるほど泣く。「こちらへ上がりますと、またいっそうお気の毒になりまして、魂も消えるようでございますと、先日典侍ないしのすけは陛下へ申し上げていらっしゃいましたが、私のようなあさはかな人間でもほんとうに悲しさが身にしみます」 と言ってから、しばらくして命婦は帝の仰せを伝えた。「当分夢ではないであろうかというようにばかり思われましたが、ようやく落ち着くとともに、どうしようもない悲しみを感じるようになりました。こんな時はどうすればよいのか、せめて話し合う人があればいいのですがそれもありません。目だたぬようにして時々御所へ来られてはどうですか。若宮を長く見ずにいて気がかりでならないし、また若宮も悲しんでおられる人ばかりの中にいてかわいそうですから、彼を早く宮中へ入れることにして、あなたもいっしょにおいでなさい」「こういうお言葉ですが、涙にむせ返っておいでになって、しかも人に弱さを見せまいと御遠慮をなさらないでもない御様子がお気の毒で、ただおおよそだけを承っただけでまいりました」 と言って、また帝のおことづてのほかの御消息を渡した。「涙でこのごろは目も暗くなっておりますが、過分なかたじけない仰せを光明にいたしまして」 未亡人はおふみを拝見するのであった。
時がたてば少しは寂しさも紛れるであろうかと、そんなことを頼みにして日を送っていても、日がたてばたつほど悲しみの深くなるのは困ったことである。どうしているかとばかり思いやっている小児こどもも、そろった両親に育てられる幸福を失ったものであるから、子を失ったあなたに、せめてその子の代わりとして面倒めんどうを見てやってくれることを頼む。
 などこまごまと書いておありになった。
宮城野みやぎのの露吹き結ぶ風のおと小萩こはぎが上を思ひこそやれ
 という御歌もあったが、未亡人はわき出す涙が妨げて明らかには拝見することができなかった。「長生きをするからこうした悲しい目にもあうのだと、それが世間の人の前に私をきまり悪くさせることなのでございますから、まして御所へ時々上がることなどは思いもよらぬことでございます。もったいない仰せを伺っているのですが、私が伺候いたしますことは今後も実行はできないでございましょう。若宮様は、やはり御父子の情というものが本能にありますものと見えて、御所へ早くおはいりになりたい御様子をお見せになりますから、私はごもっともだとおかわいそうに思っておりますということなどは、表向きの奏上でなしに何かのおついでに申し上げてくださいませ。良人おっとも早くくしますし、娘も死なせてしまいましたような不幸ずくめの私が御いっしょにおりますことは、若宮のために縁起のよろしくないことと恐れ入っております」 などと言った。そのうち若宮ももうおやすみになった。「またお目ざめになりますのをお待ちして、若宮にお目にかかりまして、くわしく御様子も陛下へ御報告したいのでございますが、使いの私の帰りますのをお待ちかねでもいらっしゃいますでしょうから、それではあまりおそくなるでございましょう」 と言って命婦は帰りを急いだ。「子をなくしました母親の心の、悲しい暗さがせめて一部分でも晴れますほどの話をさせていただきたいのですから、公のお使いでなく、気楽なお気持ちでお休みがてらまたお立ち寄りください。以前はうれしいことでよくお使いにおいでくださいましたのでしたが、こんな悲しい勅使であなたをお迎えするとは何ということでしょう。返す返す運命が私に長生きさせるのが苦しゅうございます。故人のことを申せば、生まれました時から親たちに輝かしい未来の望みを持たせました子で、父の大納言だいなごんはいよいよ危篤になりますまで、この人を宮中へ差し上げようと自分の思ったことをぜひ実現させてくれ、自分が死んだからといって今までの考えを捨てるようなことをしてはならないと、何度も何度も遺言いたしましたが、確かな後援者なしの宮仕えは、かえって娘を不幸にするようなものではないだろうかとも思いながら、私にいたしましてはただ遺言を守りたいばかりに陛下へ差し上げましたが、過分な御寵愛を受けまして、そのお光でみすぼらしさも隠していただいて、娘はお仕えしていたのでしょうが、皆さんの御嫉妬の積もっていくのが重荷になりまして、寿命で死んだとは思えませんような死に方をいたしましたのですから、陛下のあまりに深い御愛情がかえって恨めしいように、盲目的な母の愛から私は思いもいたします」 こんな話をまだ全部も言わないで未亡人は涙でむせ返ってしまったりしているうちにますます深更になった。「それは陛下も仰せになります。自分の心でありながらあまりに穏やかでないほどの愛しようをしたのも前生ぜんしょうの約束で長くはいっしょにおられぬ二人であることを意識せずに感じていたのだ。自分らは恨めしい因縁でつながれていたのだ、自分は即位そくいしてから、だれのためにも苦痛を与えるようなことはしなかったという自信を持っていたが、あの人によって負ってならぬ女の恨みを負い、ついには何よりもたいせつなものを失って、悲しみにくれて以前よりももっと愚劣な者になっているのを思うと、自分らの前生の約束はどんなものであったか知りたいとお話しになって湿っぽい御様子ばかりをお見せになっています」 どちらも話すことにきりがない。命婦みょうぶは泣く泣く、「もう非常におそいようですから、復命は今晩のうちにいたしたいと存じますから」 と言って、帰る仕度したくをした。落ちぎわに近い月夜の空が澄み切った中を涼しい風が吹き、人の悲しみを促すような虫の声がするのであるから帰りにくい。
鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜飽かず降る涙かな
 車に乗ろうとして命婦はこんな歌を口ずさんだ。
「いとどしく虫のしげき浅茅生あさぢふに露置き添ふる雲の上人うへびと
#15 作者:senkaen 2005-8-8 16:32:00)


かえって御訪問が恨めしいと申し上げたいほどです」 と未亡人は女房に言わせた。意匠を凝らせた贈り物などする場合でなかったから、故人の形見ということにして、唐衣からぎぬ一揃ひとそろえに、髪上げの用具のはいった箱を添えて贈った。 若い女房たちの更衣の死を悲しむのはむろんであるが、宮中住まいをしなれていて、寂しく物足らず思われることが多く、お優しいみかどの御様子を思ったりして、若宮が早く御所へお帰りになるようにと促すのであるが、不幸な自分がごいっしょに上がっていることも、また世間に批難の材料を与えるようなものであろうし、またそれかといって若宮とお別れしている苦痛にもえきれる自信がないと未亡人は思うので、結局若宮の宮中入りは実行性に乏しかった。 御所へ帰った命婦は、まだよいのままで御寝室へはいっておいでにならない帝を気の毒に思った。中庭の秋の花の盛りなのを愛していらっしゃるふうをあそばして凡庸でない女房四、五人をおそばに置いて話をしておいでになるのであった。このごろ始終帝の御覧になるものは、玄宗げんそう皇帝と楊貴妃ようきひの恋を題材にした白楽天の長恨歌ちょうごんかを、亭子院ていしいんが絵にあそばして、伊勢いせ貫之つらゆきに歌をおませになった巻き物で、そのほか日本文学でも、支那しなのでも、愛人に別れた人の悲しみが歌われたものばかりを帝はお読みになった。帝は命婦にこまごまと大納言だいなごん家の様子をお聞きになった。身にしむ思いを得て来たことを命婦は外へ声をはばかりながら申し上げた。未亡人の御返事を帝は御覧になる。
もったいなさをどう始末いたしてよろしゅうございますやら。こうした仰せを承りましても愚か者はただ悲しい悲しいとばかり思われるのでございます。
荒き風防ぎしかげの枯れしより小萩こはぎが上ぞしづ心無き
 というような、歌の価値の疑わしいようなものも書かれてあるが、悲しみのために落ち着かない心でんでいるのであるからと寛大に御覧になった。帝はある程度まではおさえていねばならぬ悲しみであると思召すが、それが御困難であるらしい。はじめて桐壺きりつぼ更衣こういの上がって来たころのことなどまでがお心の表面に浮かび上がってきてはいっそう暗い悲しみに帝をお誘いした。その当時しばらく別れているということさえも自分にはつらかったのに、こうして一人でも生きていられるものであると思うと自分は偽り者のような気がするとも帝はお思いになった。「死んだ大納言の遺言を苦労して実行した未亡人へのむくいは、更衣を後宮の一段高い位置にすえることだ、そうしたいと自分はいつも思っていたが、何もかも皆夢になった」 とお言いになって、未亡人に限りない同情をしておいでになった。「しかし、あの人はいなくても若宮が天子にでもなる日が来れば、故人にきさきの位を贈ることもできる。それまで生きていたいとあの夫人は思っているだろう」 などという仰せがあった。命婦みょうぶは贈られた物を御前おまえへ並べた。これがからの幻術師が他界の楊貴妃ようきひって得て来た玉のかざしであったらと、帝はかいないこともお思いになった。
尋ね行くまぼろしもがなつてにてもたまのありかをそこと知るべく
 絵で見る楊貴妃はどんなに名手のいたものでも、絵における表現は限りがあって、それほどのすぐれた顔も持っていない。太液たいえきの池の蓮花れんげにも、未央宮びおうきゅうの柳の趣にもその人は似ていたであろうが、またからの服装は華美ではあったであろうが、更衣の持った柔らかい美、えんな姿態をそれに思い比べて御覧になると、これは花の色にも鳥の声にもたとえられぬ最上のものであった。お二人の間はいつも、天にっては比翼の鳥、地に生まれれば連理の枝という言葉で永久の愛を誓っておいでになったが、運命はその一人に早く死を与えてしまった。秋風のにも虫の声にも帝が悲しみを覚えておいでになる時、弘徽殿こきでん女御にょごはもう久しく夜の御殿おとど宿直とのいにもお上がりせずにいて、今夜の月明にけるまでその御殿で音楽の合奏をさせているのを帝は不愉快に思召した。このころの帝のお心持ちをよく知っている殿上役人や帝付きの女房なども皆弘徽殿の楽音に反感を持った。負けぎらいな性質の人で更衣の死などは眼中にないというふうをわざと見せているのであった。 月も落ちてしまった。
雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらん浅茅生あさぢふの宿
 命婦が御報告した故人の家のことをなお帝は想像あそばしながら起きておいでになった。 右近衛府うこんえふの士官が宿直者の名を披露ひろうするのをもってすれば午前二時になったのであろう。人目をおはばかりになって御寝室へおはいりになってからも安眠を得たもうことはできなかった。 朝のお目ざめにもまた、夜明けも知らずに語り合った昔の御追憶がお心を占めて、寵姫ちょうきった日もいのちも朝の政務はお怠りになることになる。お食欲もない。簡単な御朝食はしるしだけお取りになるが、帝王の御朝餐ちょうさんとして用意される大床子だいしょうじのお料理などは召し上がらないものになっていた。それには殿上役人のお給仕がつくのであるが、それらの人は皆この状態をなげいていた。すべて側近する人は男女の別なしに困ったことであると歎いた。よくよく深い前生の御縁で、その当時は世の批難も後宮の恨みの声もお耳には留まらず、その人に関することだけは正しい判断を失っておしまいになり、また死んだあとではこうして悲しみに沈んでおいでになって政務も何もお顧みにならない、国家のためによろしくないことであるといって、支那しなの歴朝の例までも引き出して言う人もあった。 幾月かののちに第二の皇子が宮中へおはいりになった。ごくお小さい時ですらこの世のものとはお見えにならぬ御美貌の備わった方であったが、今はまたいっそう輝くほどのものに見えた。その翌年立太子のことがあった。帝の思召おぼしめしは第二の皇子にあったが、だれという後見の人がなく、まただれもが肯定しないことであるのを悟っておいでになって、かえってその地位は若宮の前途を危険にするものであるとお思いになって、御心中をだれにもおらしにならなかった。東宮におなりになったのは第一親王である。この結果を見て、あれほどの御愛子でもやはり太子にはおできにならないのだと世間も言い、弘徽殿こきでん女御にょごも安心した。その時から宮の外祖母の未亡人は落胆して更衣のいる世界へ行くことのほかには希望もないと言って一心に御仏みほとけ来迎らいごうを求めて、とうとうくなった。帝はまた若宮が祖母を失われたことでお悲しみになった。これは皇子が六歳の時のことであるから、今度は母の更衣の死にった時とは違い、皇子は祖母の死を知ってお悲しみになった。今まで始終お世話を申していた宮とお別れするのが悲しいということばかりを未亡人は言って死んだ。 それから若宮はもう宮中にばかりおいでになることになった。七歳の時に書初ふみはじめの式が行なわれて学問をお始めになったが、皇子の類のない聡明そうめいさに帝はお驚きになることが多かった。「もうこの子をだれも憎むことができないでしょう。母親のないという点だけででもかわいがっておやりなさい」 と帝はお言いになって、弘徽殿へ昼間おいでになる時もいっしょにおつれになったりしてそのまま御簾みすの中にまでもお入れになった。どんな強さ一方の武士だっても仇敵きゅうてきだってもこの人を見てはみが自然にわくであろうと思われる美しい少童しょうどうでおありになったから、女御も愛を覚えずにはいられなかった。この女御は東宮のほかに姫宮をお二人お生みしていたが、その方々よりも第二の皇子のほうがおきれいであった。姫宮がたもお隠れにならないで賢い遊び相手としてお扱いになった。学問はもとより音楽の才も豊かであった。言えば不自然に聞こえるほどの天才児であった。 その時分に高麗人こまうどが来朝した中に、上手じょうずな人相見の者が混じっていた。帝はそれをお聞きになったが、宮中へお呼びになることは亭子院のおいましめがあっておできにならず、だれにも秘密にして皇子のお世話役のようになっている右大弁うだいべんの子のように思わせて、皇子を外人の旅宿する鴻臚館こうろかんへおやりになった。 相人は不審そうにこうべをたびたび傾けた。「国の親になって最上の位を得る人相であって、さてそれでよいかと拝見すると、そうなることはこの人の幸福な道でない。国家の柱石になって帝王の輔佐をする人として見てもまた違うようです」 と言った。弁も漢学のよくできる官人であったから、筆紙をもってする高麗人との問答にはおもしろいものがあった。詩の贈答もして高麗人はもう日本の旅が終わろうとするに臨んで珍しい高貴の相を持つ人にったことは、今さらにこの国を離れがたくすることであるというような意味の作をした。若宮も送別の意味を詩にお作りになったが、その詩を非常にほめていろいろなその国の贈り物をしたりした。 朝廷からも高麗こまの相人へ多くの下賜品があった。その評判から東宮の外戚の右大臣などは第二の皇子と高麗の相人との関係に疑いを持った。好遇された点がに落ちないのである。聡明そうめいな帝は高麗人の言葉以前に皇子の将来を見通して、幸福な道を選ぼうとしておいでになった。それでほとんど同じことを占った相人に価値をお認めになったのである。四品しほん以下の無品むほん親王などで、心細い皇族としてこの子を置きたくない、自分の代もいつ終わるかしれぬのであるから、将来に最も頼もしい位置をこの子に設けて置いてやらねばならぬ、臣下の列に入れて国家の柱石たらしめることがいちばんよいと、こうお決めになって、以前にもましていろいろの勉強をおさせになった。大きな天才らしい点の現われてくるのを御覧になると人臣にするのが惜しいというお心になるのであったが、親王にすれば天子に変わろうとする野心を持つような疑いを当然受けそうにお思われになった。上手な運命占いをする者にお尋ねになっても同じような答申をするので、元服後は源姓を賜わって源氏のなにがしとしようとお決めになった。
#16 作者:senkaen 2005-8-8 16:33:00)


年月がたっても帝は桐壺の更衣との死別の悲しみをお忘れになることができなかった。慰みになるかと思召して美しい評判のある人などを後宮へ召されることもあったが、結果はこの世界には故更衣の美に準ずるだけの人もないのであるという失望をお味わいになっただけである。そうしたころ、先帝――みかど従兄いとこあるいは叔父君おじぎみ――の第四の内親王でお美しいことをだれも言う方で、母君のおきさきが大事にしておいでになる方のことを、帝のおそばに奉仕している典侍ないしのすけは先帝の宮廷にいた人で、后の宮へも親しく出入りしていて、内親王の御幼少時代をも知り、現在でもほのかにお顔を拝見する機会を多く得ていたから、帝へお話しした。「おかくれになりました御息所みやすどころの御容貌ようぼうに似た方を、三代も宮廷におりました私すらまだ見たことがございませんでしたのに、后の宮様の内親王様だけがあの方に似ていらっしゃいますことにはじめて気がつきました。非常にお美しい方でございます」 もしそんなことがあったらと大御心おおみこころが動いて、先帝の后の宮へ姫宮の御入内ごじゅだいのことを懇切にお申し入れになった。お后は、そんな恐ろしいこと、東宮のお母様の女御にょごが並みはずれな強い性格で、桐壺の更衣こういが露骨ないじめ方をされた例もあるのに、と思召して話はそのままになっていた。そのうちお后もおかくれになった。姫宮がお一人で暮らしておいでになるのを帝はお聞きになって、「女御というよりも自分の娘たちの内親王と同じように思って世話がしたい」 となおも熱心に入内をお勧めになった。こうしておいでになって、母宮のことばかりを思っておいでになるよりは、宮中の御生活にお帰りになったら若いお心の慰みにもなろうと、お付きの女房やお世話係の者が言い、兄君の兵部卿ひょうぶきょう親王もその説に御賛成になって、それで先帝の第四の内親王は当帝の女御におなりになった。御殿は藤壺ふじつぼである。典侍の話のとおりに、姫宮の容貌も身のおとりなしも不思議なまで、桐壺の更衣に似ておいでになった。この方は御身分にの打ち所がない。すべてごりっぱなものであって、だれもおとしめる言葉を知らなかった。桐壺の更衣は身分と御愛寵とに比例の取れぬところがあった。お傷手いたでが新女御の宮でいやされたともいえないであろうが、自然に昔は昔として忘れられていくようになり、帝にまた楽しい御生活がかえってきた。あれほどのこともやはり永久不変でありえない人間の恋であったのであろう。 源氏の君――まだ源姓にはなっておられない皇子であるが、やがてそうおなりになる方であるから筆者はこう書く。――はいつも帝のおそばをお離れしないのであるから、自然どの女御の御殿へも従って行く。帝がことにしばしばおいでになる御殿は藤壺ふじつぼであって、お供して源氏のしばしば行く御殿は藤壺である。宮もおれになって隠れてばかりはおいでにならなかった。どの後宮でも容貌の自信がなくて入内した者はないのであるから、皆それぞれの美を備えた人たちであったが、もう皆だいぶ年がいっていた。その中へ若いお美しい藤壺の宮が出現されてその方は非常に恥ずかしがってなるべく顔を見せぬようにとなすっても、自然に源氏の君が見ることになる場合もあった。母の更衣は面影も覚えていないが、よく似ておいでになると典侍が言ったので、子供心に母に似た人として恋しく、いつも藤壺へ行きたくなって、あの方と親しくなりたいという望みが心にあった。帝には二人とも最愛の妃であり、最愛の御子であった。「彼を愛しておやりなさい。不思議なほどあなたとこの子の母とは似ているのです。失礼だと思わずにかわいがってやってください。この子の目つき顔つきがまたよく母に似ていますから、この子とあなたとを母と子と見てもよい気がします」 など帝がおとりなしになると、子供心にも花や紅葉もみじの美しい枝は、まずこの宮へ差し上げたい、自分の好意を受けていただきたいというこんな態度をとるようになった。現在の弘徽殿の女御の嫉妬しっとの対象は藤壺の宮であったからそちらへ好意を寄せる源氏に、一時忘れられていた旧怨きゅうえんも再燃して憎しみを持つことになった。女御が自慢にし、ほめられてもおいでになる幼内親王方の美を遠くこえた源氏の美貌びぼうを世間の人は言い現わすためにひかるきみと言った。女御として藤壺の宮の御寵愛ちょうあいが並びないものであったから対句のように作って、輝く日の宮と一方を申していた。 源氏の君の美しい童形どうぎょうをいつまでも変えたくないように帝は思召したのであったが、いよいよ十二のとしに元服をおさせになることになった。その式の準備も何も帝御自身でお指図さしずになった。前に東宮の御元服の式を紫宸殿ししんでんであげられた時の派手はでやかさに落とさず、その日官人たちが各階級別々にさずかる饗宴きょうえん仕度したく内蔵寮くらりょう、穀倉院などでするのはつまり公式の仕度で、それでは十分でないと思召して、特に仰せがあって、それらも華麗をきわめたものにされた。 清涼殿は東面しているが、お庭の前のお座敷に玉座の椅子いすがすえられ、元服される皇子の席、加冠役の大臣の席がそのお前にできていた。午後四時に源氏の君が参った。上で二つに分けて耳の所で輪にした童形の礼髪を結った源氏の顔つき、少年の美、これを永久に保存しておくことが不可能なのであろうかと惜しまれた。理髪の役は大蔵卿おおくらきょうである。美しい髪を短く切るのを惜しく思うふうであった。帝は御息所みやすどころがこの式を見たならばと、昔をお思い出しになることによって堪えがたくなる悲しみをおさえておいでになった。加冠が終わって、いったん休息所きゅうそくじょに下がり、そこで源氏は服を変えて庭上の拝をした。参列の諸員は皆小さい大宮人の美に感激の涙をこぼしていた。帝はまして御自制なされがたい御感情があった。藤壺の宮をお得になって以来、紛れておいでになることもあった昔の哀愁が今一度にお胸へかえって来たのである。まだ小さくて大人おとなの頭の形になることは、その人の美を損じさせはしないかという御懸念もおありになったのであるが、源氏の君には今驚かれるほどの新彩が加わって見えた。加冠の大臣には夫人の内親王との間に生まれた令嬢があった。東宮から後宮にとお望みになったのをお受けせずにお返辞へんじ躊躇ちゅうちょしていたのは、初めから源氏の君の配偶者に擬していたからである。大臣は帝の御意向をも伺った。「それでは元服したのちの彼を世話する人もいることであるから、その人をいっしょにさせればよい」 という仰せであったから、大臣はその実現を期していた。 今日の侍所さむらいどころになっている座敷で開かれた酒宴に、親王方の次の席へ源氏は着いた。娘の件を大臣がほのめかしても、きわめて若い源氏は何とも返辞をすることができないのであった。帝のお居間のほうから仰せによって内侍ないしが大臣を呼びに来たので、大臣はすぐに御前へ行った。加冠役としての下賜品はおそばの命婦が取り次いだ。白い大袿おおうちぎに帝のお召し料のお服が一襲ひとかさねで、これは昔から定まった品である。酒杯を賜わる時に、次の歌を仰せられた。
いときなき初元結ひに長き世を契る心は結びこめつや
 大臣のむすめとの結婚にまでお言い及ぼしになった御製は大臣を驚かした。
結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色しあせずば
 と返歌を奏上してから大臣は、清涼殿せいりょうでんの正面の階段きざはしを下がって拝礼をした。左馬寮さまりょうの御馬と蔵人所くろうどどころたかをその時に賜わった。そのあとで諸員が階前に出て、官等に従ってそれぞれの下賜品を得た。この日の御饗宴きょうえんの席の折り詰めのお料理、かご詰めの菓子などは皆右大弁うだいべんが御命令によって作った物であった。一般の官吏に賜う弁当の数、一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、東宮の御元服の時以上であった。 その夜源氏の君は左大臣家へ婿になって行った。この儀式にも善美は尽くされたのである。高貴な美少年の婿を大臣はかわいく思った。姫君のほうが少し年上であったから、年下の少年に配されたことを、不似合いに恥ずかしいことに思っていた。この大臣は大きい勢力を持った上に、姫君の母の夫人は帝の御同胞であったから、あくまでもはなやかな家である所へ、今度また帝の御愛子の源氏を婿に迎えたのであるから、東宮の外祖父で未来の関白と思われている右大臣の勢力は比較にならぬほど気押けおされていた。左大臣は何人かの妻妾さいしょうから生まれた子供を幾人も持っていた。内親王腹のは今蔵人くろうど少将であって年少の美しい貴公子であるのを左右大臣の仲はよくないのであるが、その蔵人少将をよその者に見ていることができず、大事にしている四女の婿にした。これも左大臣が源氏の君をたいせつがるのに劣らず右大臣から大事な婿君としてかしずかれていたのはよい一対のうるわしいことであった。 源氏の君は帝がおそばを離しにくくあそばすので、ゆっくりと妻の家に行っていることもできなかった。源氏の心には藤壺ふじつぼの宮の美が最上のものに思われてあのような人を自分も妻にしたい、宮のような女性はもう一人とないであろう、左大臣の令嬢は大事にされて育った美しい貴族の娘とだけはうなずかれるがと、こんなふうに思われて単純な少年の心には藤壺の宮のことばかりが恋しくて苦しいほどであった。元服後の源氏はもう藤壺の御殿の御簾みすの中へは入れていただけなかった。琴や笛のの中にその方がおきになる物の声を求めるとか、今はもう物越しにより聞かれないほのかなお声を聞くとかが、せめてもの慰めになって宮中の宿直とのいばかりが好きだった。五、六日御所にいて、二、三日大臣家へ行くなど絶え絶えの通い方を、まだ少年期であるからと見て大臣はとがめようとも思わず、相も変わらず婿君のかしずき騒ぎをしていた。新夫婦付きの女房はことにすぐれた者をもってしたり、気に入りそうな遊びを催したり、一所懸命である。御所では母の更衣のもとの桐壺を源氏の宿直所にお与えになって、御息所みやすどころに侍していた女房をそのまま使わせておいでになった。更衣の家のほうは修理しゅりの役所、内匠寮たくみりょうなどへ帝がお命じになって、非常なりっぱなものに改築されたのである。もとから築山つきやまのあるよい庭のついた家であったが、池なども今度はずっと広くされた。二条の院はこれである。源氏はこんな気に入った家に自分の理想どおりの妻と暮らすことができたらと思って始終歎息たんそくをしていた。 ひかるの君という名は前に鴻臚館こうろかんへ来た高麗人こまうどが、源氏の美貌びぼうと天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。


 

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