花木蘭(5)
都の城門では大勢の官僚、住民たちが歓声を上げ、勝利を称え、軍隊を迎えた。李元帥を始め将軍たちはは、皇帝に招かれ金鑾殿で皇帝に謁見した。(写真は故宮の中和殿と保和殿)皇帝は満足そうに満面に笑みを浮かべ、彼ら一人一人に感謝とねぎらいの言葉を述べた。李元帥はその席で戦功のあった者の名簿を差し出し、それらの勇士たちに褒賞を与えるよう進言した。ムーランはその名簿の筆頭に名前が挙げられており、李元帥はムーランの見事な働きを皇帝に伝えた。
皇帝はたいそう喜び、自ら玉座から降りてムーランに珍しい酒を与え、金銀、シルク、サテンなど沢山の褒美を授けた。そして、
「この他に望みがあれば、何なりと申すがよい。遠慮は無用ぞ」と言った。しかし、ムーランは、
「いいえ、別段ございません。ただできますれば故郷に帰るために騾馬を一頭頂きたいと存じます。故郷では年老いた両親が私の帰りを首を長くして待っているはずでございます。早く家に帰り両親の面倒をみとうございます」と辞退した。皇帝は、
「好男子国に奉仕すべし。尚書郎(中国古代の官吏の名称。明・清時代の各部門の最高位)にして取らすゆえ。存分に実力を発揮するがよいぞ」と述べた。しかしムーランはあくまでも皇帝の申し出を辞退した。ムーランは心の中で「女性は官吏にはなれない」と考えたからでもあった。だが皇帝の熱心な願いを断りきれず、とりあえず一ヶ月の休暇をもらい考えさせてほしいと伝えたので、皇帝も仕方なく、
「親孝行も子としての大切な務めぞ」と理解を示してくれた。
数日後皇帝の特別の計らいにより騾馬に乗せ、衛兵の保護の下に故郷に帰してやった。道中沿道の人々は救国の英雄の姿を一目見ようと競い合い、口々にムーランの戦功を称えた。村の入り口に近づくとそこには懐かしい人たちの顔が見えた。年老いた両親が支え合いながら立って、娘の来る方向をじっと見すえていたのだった。ムーランはあふれる涙をぬぐおうともせず、まっすぐ両親の方へ向かい、急いで騾馬から降りて両親の前に跪いた。両親はその颯爽とした若い兵士が、12年前に分かれた自分の娘だとはすぐに信じられなかった。互いに抱き合い、この12年の歳月を取り戻すかのようにお互いを確かめ合った。父は、
「親孝行娘よ。12年間本当にご苦労だった。父さんのために本当に申し訳ないことをした」と言って、男泣きに泣いた。
家の門に着くと、弟が出てきた。別れたときとは別人のように立派な若者に成長していた。「今祝宴の用意をしていますから」と弟は豚と羊を処理して料理の用意に余念がなかった。まるで新年の祝いのようなにぎわいだった。
ムーランは東の入り口から家の中へ入り、家の調度品に触れながら、12年ぶりに見る家の中の様子に感慨無量だった。そして西側の自分の部屋に入り甲冑をはずし、鏡を見ながら念入りに化粧し服装を整えた。そしてもう一度両親の前に歩み出て跪き、挨拶した。両親は美しく成長した娘に驚き、こんなに美しい娘が皇帝から褒美をもらうほどの軍功をたてたという事実に改めて感動した。その夜は家族全員が食卓を囲み、互いに離れていたこの12年間の時の流れに思いを馳せた。
一ヶ月の休暇も終わりに近づいた頃、使いがやってきて皇帝から赴任催促の文書を渡した。女性であることを理由に官職を辞すれば、男性と偽って従軍したことが分かり、罰せられることは明らかで、一家にはまた動揺が走った。しかしムーランは正直に固辞の理由を述べれば、理解してもらえるかもしれないと考え、筆を執った。そして李元帥宛に、実は自分は女性で、皇帝の命令に従って出廷することはできない旨をしたため、皇帝に丁重にとりなしてくれるように頼んだのだった。
皇帝はムーランの手紙を読み深く感動し、
「何も咎めなどあろうはずがない。このような民がいたことはわが国にとって幸いであった」と、自ら『巾国英雄』と書いて装丁させ、ムーランの家に届けるよう命じた。司馬隊長は李元帥からムーランが女性であった話を聞いて、従軍中のムーランの部下に対する心配りや女装しての救出作戦、女性とは思えないほどの的確な武術や勇敢な行動を思い起こし、暫く感慨にふけっていた。そして李元帥のお供をして皇帝の親書を送ることになったとき、既に結婚の意志を固めていたのだった。
李元帥は皇帝からの任務を終えると、司馬隊長のからの結婚の申し出を両親に伝えた。両親は長い間苦楽を共にした隊長ならばとすぐに賛成してくれたし、ムーランの方も以前から司馬隊長に好意をもっていたのでこの申し出を快く受け入れた。ムーランの家で李元帥の仲人の下に結婚式が行われた。
新婚の部屋で司馬隊長は美しい妻を見ながら、「私は本当に馬鹿だったなあ。12年間も一緒にいて君が女性であるとは少しも考えなかった」と言った。ムーランは微笑みながら、「白兎が飛び回っているとき、どちらが雄で、どちらが雌だか見分けられるでしょうか」と答えた。
ムーランの話は多くの中国人女性を励まし、中国の歴史上には多くの女傑が輩出している。(おわり)
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