端午節は、中国でもっとも有名で、伝統な祝日の一つです。その由来について、いくつかの説がありますが、普遍に受けられているのは、屈原の説です。
毎年の陰暦五月五日は、中国の端午節です。これを祝うために、人はドラゴンボートのレースをし、粽を食べ、雄黄酒を飲んで、屈原を記念します。ほかにも、家の前におとこよもぎをさし、子供に五色の糸を結ぶなどの習慣があります。
伝説では、屈原の死後、楚国の人は非常に悲しんで、みんな江のゆとりにきて屈原を送りにきました。漁夫たちは船に乗って、江のあちごち探して、屈原の遺体を見つけようとしていました。ある漁夫は、屈原に持ってきたおにぎりや卵を江に投げ込みました、魚などに、これらを食べて、もう屈原の体を食べないように。みんなはこれを見て、同じことをしました。あるお医者さんは、雄黄酒を一缶江に流し込みました、ドラゴンを酔わせ、もう屈原に害を与えないためだといいました。その後、おにぎりがドラゴンに食べられないように、ある木の葉でご飯を包み、外で彩色の糸で結び、粽になりました。今は、木の葉ではなくて、葦の葉で包んでいます。
満族の伝説では、神さんが人になり、人間に降りて、油を売っていました。「一缶で2両、二缶で3両」と叫び、みんなは急いで彼の油を買いにきました。ただ一人のおじいさんは、それを買わずに、化けた神さんに「計算が間違えた」といって去りました。後で神さんはあのおじいさんを見つけて、神たちは災禍を下すといいました。おじいさんに、おとこよもぎを家の前にさして、無事ですむことができるといいました。でもおじいさんは善良で、それをみんなに言いました。みんなの家の前におとこよもぎがさされているのをみて、神さんは、災禍を下すことができなくて、あきらめてしまいました。それからみんなは端午のとき、いつもおとこよもぎを家の前にさし、災禍を除けると信じています。
子供が五色の糸を結ぶのも、病を除けるためです。結ぶときは、子供が話すのは禁止です。結んだ後も、それをきることも、とることもできません。初雨か、お風呂に入るときに、それを川に投げ込みます。川に、病を持っていこうと祈ります。
日本にも「端午の節句」がありますが、中国から伝わってきたもので、本来、武士(ぶし)たちが大事にしていた祝日でした。明治以来、陰暦を廃止し、陽暦の五月五日を端午とし、定休日にしました。武士とは関係がなくなって、子供の日となりました。
日本ではこの日に、男の子を持っている家では、鯉のぼりを掛け、武士の人形や柏餅を家の中に置きます。地方では、柏餅や粽を食べることもあります。
ただし、中国の粽は日本とは違って、三角形で、ピラミッドのような形をしています。
実は、中国にせよ、日本にせよ、端午はただの形式になっています。都市に住んでいる人にとって、ただ定休日が一日伸ばされて、柏餅を買うだけです。中国の状況は、普通、定休日もないようです。
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