回り道が人生を豊かにする
例えば突然の病気や怪我で、暫く入院生活を余儀なくされてしまった場合、大抵、人は「ああ、なんて回り道に入ってしまったんだろう」と、くよくよ悩んで、落ち込んでしまうことが多い。「何ということだ。こんなところで大人しくしていなけりゃならないなんて、時間も暇もないというのに。」と、ついベッドで、ぎりぎりと歯軋りしてしまう。取り残されたような気分の中で。
こうした回り道体験を、損だと考えると、それはマイナスの体験でしかなくなってしまう。(翻译此句)だが、「しばらく一休みをして自分を見直す、きっといい機会なのだ。」「自分をここで振り返りなさいという知らせなのだ。 」と、とらえれば、決して悪いことではない。それは逆に自分を見直すいい機会となる。
私の友人は、段階で転んで大腿部の骨を複雑骨折し、あらかた一月近くもの入院を余儀なくされた。普段から楽天家の彼は、いいチャンスとばかり、買い置きしていた折口信夫の全集を読破してしまった。
回り道も時にはこんなふうにメリットになる。
走弯路也会丰富人生
如果突然生病或受伤,不得不住一段时间医院,大概多数人都会发愁。“唉,为什么我这么倒霉会遇到这样的麻烦呢?”因而愁眉不展,一蹶不振。“都这个时候了,说什么一定要坚强,我哪有那个时间啊!”想着自己已落后于人,在床上咬牙切齿,痛苦不已。
如果把走弯路只看做是一种损失的话,那它只能成为损失了。反之,如果你这样想:“休息一段时间,没准儿这会儿正是反省自己的好机会呢。” “这就是让我回头审视自己的信号。”如果你能这样想的话,拿走弯路就绝对不会是一件坏事。反而会成为自我重新鉴定的好机会。
我有一个朋友,从台阶上摔下来,大腿骨骨折,不得已住了将近一个月的医院。平时就乐观的他,把这当成一次读书的好机会,就借着这个时机,把买了很久但一直没读的折口信夫全集读完了。
所以,走弯路,就像刚才所说的那样,没准儿还真会是件好事。