受身ついて! 教えてください
俺はネットで、「AAAはXXXXが作成されたYYYを処理するためのDDDです 」っていう風な文章をよく見ましたが、何か変だと思いますけど
例えば:UNZIP32.DLL は shoda T.氏が作成された ZIP書庫を展開するためのライブラリです。
よく知ってるものは:
1:UNZIP32.DLL はZIP書庫を展開するためのライブラリです。
2:UNZIP32.DLL は shoda T.氏に作成されたもんです
問い:上記の二つやつを合成したら、何故か、「が」と成っちゃって、それはほんとに、文法に合ってますか、
UNZIP32.DLL は shoda T.氏が作成された ZIP書庫を展開するためのライブラリです。
http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=54&ID=37446&star=2&page=1 にて同じ問題を出しましたが、納得できる答えまだないと思います、すいませんが、再提出させてください
下記のは、ある文法書から、摘出したもんです、問いの例と何か矛盾があると思います
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直接受身2:モノが
さて、以上では受身文の「Nが」が人の場合のみを取り上げました。人や動
物以外の名詞を受身の「主体」(受け手?)とすると、書きことばという感じが
します。
オリンピックがソウルで開かれた。
メキシコではスペイン語が話されている。
多くの資料が集められた。
メダルが受賞者に渡された。
この小説は広く読まれている。
計画の概要が担当者から発表された。
この城は秀吉によって築かれた。
空は厚い雲に覆われている。
橋が洪水で流された。
これらを見て気づくことは、「人がモノをV-する」に対応する受身文「モ
ノがV-される」で、「人に」は省略される、あるいは、言いにくい、という
ことです。
「オリンピック」の例などは、「誰が開いたか」ということそもそも示しに
くい事柄ですから、受身の形にして、「誰に」は表さなくてもいいようにしま
す。これは「なぜ受身で言うか」という問題の答えの一つになります。
「誰がしたか」がはっきりしていても「モノが人に」は言えません。
彼が多くの資料を集めた。
×多くの資料が彼に集められた。(「彼のところに」の意ではなく)
担当者が計画を発表した。
×計画が担当者に発表された。(「担当者に対して」の意ではなく)
ただし、上の例にもあるように「人に」でなく、「人によって」「人から」
などの形にすれば可能です。「によって」のほうが硬い表現です。
多くの資料が彼一人(の努力)によって集められた。(×から)
計画の詳細が担当者によって/から 説明された。
メダルが大会委員長によって/から 受賞者に贈られた。
いくつかの問題点が彼女によって/から 指摘された。
その話は彼から彼女に伝えられた。(←彼が彼女にその話を伝えた)
新郎の経歴が仲人から人々に紹介された。
「Nから」が使えるのは、元の動詞が何らかの意味で対象に対して方向性を
持っていると考えられる場合です。言語的な「発表する・伝える・指摘する・
紹介する」や、所有の移動を表す「渡す・贈る」など。
「小説」の例では、「多くの人々に」とすることができます。特定の個人で
はなく、一般的な人々・集団であるような場合は「人に」が可能になります。
個別の出来事ではなく、状態的になります。
この歌は子どもたちに親しまれている。
ワープロは小説家にも使われている。
「人のあいだで」という言い方もあります。
この伝説は国民のあいだで広く信じられている。
「モノがモノに」という形は、数は多くないとしても可能です。また、「モ
ノに」が原因の意味合いを持つので、「モノでV-られる」という形が多くな
ります。
空は厚い雲に/で 覆われている。
橋が洪水で/に 流されてしまった。
その村は回りを山に/で 囲まれていた。
木の葉に/で さえぎられて、日が当たらない。
小屋は落ちてきた岩に/で つぶされ、原形をとどめていなかった。
[対象の主題化]
受身を使わずにすませるための他の文型の一つに、対象の主題化があります。
受身というのは、ある動作・現象を、その主体の視点から表現するのではなく、
「その動作・現象の影響を受ける側の視点から表現する」、ということが基本
にある文型だ、ということを前に述べましたが、主題化も似たような働きがあ
ります。
1a 二郎が太郎を殴った。
b 太郎は二郎に殴られた。
c 太郎は二郎が殴った。
2a A氏がこの論文を書いた。
b この論文はA氏によって書かれた。
c この論文はA氏が書いた。
3a 弟がケーキを食べた。
b ケーキは弟に食べられた。
c ケーキは弟が食べた。
1の直接受身の場合は、視点を変えるという意味では受身のほうが自然です。
cのような対象の主題化は、対比的な意味を帯びやすく、かえって動作者であ
る「二郎」を際だたせることになります。
2bのような「モノが」の受身は、書きことばであるという文体的特徴が加
わるほかは、cの主題化と同じような効果を持ちます。
3bの迷惑の受身は、話し手の受けた心理的な影響をはっきり示します。そ
れに対して、cの主題化は、単に事実を述べているだけです。