初めて日本にやってきたパンダ2頭のうち、メスのランランが1979(昭和54)年に死んだ。大勢が涙する中、誰より悲しんだのは中川志郎さんだったろう。来日時の上野動物園の飼育リーダーは、つらくて解剖に立ち会うことができなかった
▼何日かして、「約束守ってくれたんだね」という文を本紙に寄せている。その年の正月、パンダ舎で、「ことしは赤ちゃんを産もうな」と「約束」をかわしたそうだ。約束どおりランランは身ごもったが、おなかの子と一緒に息絶えた。「悲しみの二乗」だったに違いない
▼几天后,他写了一篇题为“(兰兰)遵守了约定”的文章寄往本报。据说那年正月,他在熊猫笼舍中与兰兰许下“约定”:“今天要生宝宝喔”。兰兰虽然遵守约定顺利怀孕,但却和腹中的宝宝一起命丧黄泉。这对他无疑是“双重悲伤”。
▼被人们亲切地称之为“熊猫课长”,后来又担任了多摩动物园以及上野园长的中川先生以81岁高龄与世长辞。他从少年时代开始就特别喜欢动物,是一个毕生与动物们为伴的人。
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