「声がしない。――小さいのがどうかしたんだな」
赤鼻の老拱(ろうきょう)は老酒(ラオチュ)の碗を手に取って、そういいながら顔を隣の方に向けて唇を尖らせた。
藍皮阿五(らんひあご)は酒碗を下に置き、平手で老拱の脊骨をいやというほどドヤシつけ、何か意味ありげのことをがやがや喋舌(しゃべ)って
「手前は、手前は、……また何か想い出してやがる……」
“没有声音,——小东西怎了?”
红鼻子老拱手里擎了一碗黄酒,说着,向间壁努一努嘴。蓝皮阿五便放下酒碗,在他脊梁上用死劲的打了一掌,含含糊糊嚷道:
“你……你你又在想心思……。”
片田舎の魯鎮(ろちん)はまだなかなか昔風で、どこでも大概七時前に門を閉めて寝るのだが、夜の夜中に睡(ねむ)らぬ家が二軒あった。一つは咸亨(かんこう)酒店で、四五人の飲友達が櫃台(スタンド)を囲んで飲みつづけ、一杯機嫌の大はしゃぎ。も一つはその隣の單四嫂子(たんしそうし)で、彼女は前の年から後家になり、誰にも手頼(たよ)らず自分の手一つで綿糸を紡ぎ出し、自活しながら三つになる子を養っている。だから遅くまで起きてるわけだ。
原来鲁镇是僻静地方,还有些古风:不上一更,大家便都关门睡觉。深更半夜没有睡的只有两家:一家是咸亨酒店,几个酒肉朋友围着柜台,吃喝得正高兴;一家便是间壁的单四嫂子,他自从前年守了寡,便须专靠着自己的一双手纺出绵纱来,养活他自己和他三岁的儿子,所以睡的也迟。
この四五日糸を紡ぐ音がぱったり途絶えたが、やはり夜更になっても睡らぬのはこの二軒だけだ。だから單四嫂子の家に声がすれば、老拱等のみが聴きつけ、声がしなくとも老拱等のみが聴きつけるのだ。
老拱は叩かれたのが無上(むしょう)に嬉しいと見え、酒を一口がぶりと飲んで小唄を細々と唱いはじめた。
这几天,确凿没有纺纱的声音了。但夜深没有睡的既然只有两家,这单四嫂子家有声音,便自然只有老拱们听到,没有声音,也只有老拱们听到。
老拱挨了打,仿佛很舒服似的喝了一大口酒,呜呜的唱起小曲来。
一方單四嫂子は寶兒(ほうじ)を抱えて寝台の端に坐していた。地上には糸車が静かに立っていた。暗く沈んだ灯火の下に寶兒の顔を照してみると、桃のような色の中に一点の青味を見た。「おみ籤(くじ)を引いてみた。願掛もしてみた。薬も飲ませてみた」と彼女は思いまわした。
「それにまだ一向利き目が見えないのは、どうしたもんだろう。あの何小仙(かしょうせん)の処へ行って見せるより外はない。しかしこの児の病気も昼は軽く夜は重いのかもしれない。あすになってお日様が出たら、熱が引いて息づかいも少しは楽になるのだろう。これは病人としていつもありがちのことだ」
这时候,单四嫂子正抱着他的宝儿,坐在床沿上,纺车静静的立在地上。黑沉沉的灯光,照着宝儿的脸,绯红里带一点青。单四嫂子心里计算:神签也求过了,愿心也许过了,单方也吃过了,要是还不见效,怎么?——那只有去诊何小仙了。但宝儿也许是日轻夜重,到了明天,太阳一出,热也会退,气喘也会平的:这实在是病人常有的事。
單四嫂子は感じの鈍い女の一人だったから、この「しかし」という字の恐ろしさを知らない。いろんな悪いことが、これがあるために好くなり変ることがある。いろんな好いことがこれがあるためにかえって悪くなり変ることがある。夏の夜(よ)は短い。老拱等が面白そうに歌を唱い終ると、まもなく東が白み初(そ)め、そうしてまたしばらくたつと白かね色の曙の光が窓の隙間から射し込んだ。
單四嫂子が夜明けを待つのはこの際他人のような楽なものではなかった。何てまだるっこいことだろう。寶兒の一息はほとんど一年も経つような長さで、現在あたりがハッキリして、天の明るさは灯火を圧倒し、寶兒の小鼻を見ると、開いたり窄(すぼ)んだりして只事でないことがよく解る。
单四嫂子是一个粗笨女人,不明白这“但”字的可怕:许多坏事固然幸亏有了他才变好,许多好事却也因为有了他都弄糟。夏天夜短,老拱们呜呜的唱完了不多时,东方已经发白;不一会,窗缝里透进了银白色的曙光。
单四嫂子等候天明,却不像别人这样容易,觉得非常之慢,宝儿的一呼吸,几乎长过一年。现在居然明亮了;天的明亮,压倒了灯光,——看见宝儿的鼻翼,已经一放一收的扇动。
「おや、どうしたら好かろう。何小仙の処で見てもらおう。それより外に道がない」
彼女は感じの鈍い女ではあるが心の中に決断があった。そこで身を起して銭箱(ぜにばこ)の中から毎日節約して貯め込んだ十三枚の小銀貨と百八十の銅貨をさらけ出し、皆ひっくるめて衣套(かくし)の中に押込み、戸締をして寶兒を抱えて何家(かけ)の方へと一散に走った。
单四嫂子知道不妙,暗暗叫一声“阿呀!”心里计算:怎么好?只有去诊何小仙这一条路了。他虽然是粗笨女人,心里却有决断,便站起身,从木柜子里掏出每天节省下来的十三个小银元和一百八十铜钱,都装在衣袋里,锁上门,抱着宝儿直向何家奔过去。
早朝ではあるが何家にはもう四人の病人が来ていた。彼女は四十仙で番号札を買い五番目の順になった。
何小仙は指先で寶兒の脈を執ったが、爪先(つまさき)が長さ四寸にも余っていたので、彼女は内心畏敬して寶兒は助かるに違いないと思った。しかしなかなか落ちついていられないのでせわしなく訊き始めた。
「先生、うちの寶兒は何の病いでしょう」
「この子は身体の内部が焦げて塞がっている」
「構いますまいか」
「まず二服ほど飲めばなおる」
「この子は息苦しそうで小鼻が動いていますが」
「それや火が金(かね)に尅(こく)したんだ」
天气还早,何家已经坐着四个病人了。他摸出四角银元,买了号签,第五个轮到宝儿。何小仙伸开两个指头按脉,指甲足有四寸多长,单四嫂子暗地纳罕,心里计算:宝儿该有活命了。但总免不了着急,忍不住要问,便局局促促的说:
“先生,——我家的宝儿什么病呀?”
“他中焦塞着。”
“不妨事么?他……”
“先去吃两帖。”
“他喘不过气来,鼻翅子都扇着呢。”
“这是火克金……”