これより、多くの初対面の先生にあい、多くの新鮮な講義を聴くことができた。解剖学は、二人の教授の分担であつた。最初は、骨学である。そのとき、はいつて来たのは、色の黒い、痩せた先生であつた。八字ひげを生やし、眼鏡をかけ、大小とりどりの書物をひと抱(かか)えかかえていた。その書物を講壇の上へ置くなり、ゆるい、抑揚のひどい口調で、学生に向つて自己紹介をはじめた──
「私が藤野嚴九郎というものでして……」
うしろの方で数人、どツと笑うものがあつた。つづいて彼は、解剖学の日本における発達の歴史を講義しはじめた。あの大小さまざまの書物は、最初から今日までの、この学問に関する著作であつた。はじめのころの数冊は、唐本仕立(とうほんしたて)であつた。中国の訳本の翻刻もあつた。彼らの新しい医学の翻訳と研究とは、中国に較べて、決して早くはない。
うしろの方にいて笑つた連中は、前学年に落第して、原級に残つた学生であつた。在校すでに一年になり、各種の事情に通暁していた。そして新入生に向つて、それぞれの教授の来歴を説いてきかせた。それによると、この藤野先生は、服の着方が無頓着である。時にはネクタイすら忘れることがある。冬は古外套一枚で顫えている。一度など、汽車のなかで、車掌がてつきりスリと勘ちがいして、車内の旅客に用心をうながしたこともある。
彼らの話は、おそらくほんとうなのだろう。現に私は、彼がネクタイをせずに教室へ現れたのを、実際に一度見た。
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