我翻的一篇长文,有兴趣的高手来修改一下!
这是某翻译公司招聘兼职翻译的测试文,小弟俺知道自己水平不济,还请高手赐教!呵呵,文章是长了些,有兴趣的话可以试翻译一下,并帮我修改啊!
原文:
山並みは幾重もの襞のように、遥かに遠くへ続いていた。冬になったゆえに、山上に生えている木が枯れて、山肌の色も、それ自体は捉まえ難い暗い茶色になった。特に夕方になると、夕陽に彩られて、山肌の突出す部分は浅赤色に、投げ下ろしている影は青紫色にと、明暗の微妙な諧調を織り交ぜている。その上には、曇りひとつ無い夕空が、地表に近づくにつれて浅い明るさを溶かし込み、無限の広がりをみせていた。
> > 山頂の草原に腰を下ろして、刻々に変わってゆく光と影を私はじっくりと見ていた。私は宿泊のための米と絵の具箱を詰めたリュックザックを背負い、画板を抱えて、佐貫駅から、この鹿野山まで三時間の山道を登って来たのである。すっかり汗ばんだ肌に、寒い空気がさっぱりだった。ここに来て、山上の寺に泊めてもらう以外には泊まる場所もない。まだ、そのころは車が一つも通っていなかった。これは1966年の冬のことであった。
> > ぼくは遠くへ広く眺めていた。海の波の上り下がりをみるように、心に響いてくる山並みの重なり。谷間の夕影のなかに、一筋の道が見える。独り山道を登ってきて、次々に浮かんでは消えていった想念の帰着点に私は立っている。しかし、いま、私の心はいくつもの谷並みを越えて、青霞む遠くの嶺へ、さらに、その向かうの果てしない空へと誘われてゆく。すると、ここはまた、新たな出発点でもあるというように思われる。
> >私は両親の家にいた。それは、やはり土作りの家ではあったが、神戸市の下町に在って、この佐貫の町に見るような、重苦しい感じのものではなかった。柱も煤煙に黒くならさせられたことがなかあった。ただ、柱時計は、かなり古風なもので、家の人が踏み台に乗って、文字盤の長針を指で回しながら、時間を合わせていた。時計の音と共に懐かしいのは、あの太い汽船のアラームと、小型の蒸気艇のエンジンの響き。
> > 家では、わたしは三人兄弟の真ん中で、外ではおとなしい、すなおな少年であったが、心の中に、いつも密室をもっていて、そこに孤独な遊び場を作っていた。幼稚園、小学校と進むにつれ、狭い範囲であるにせよ、社会との繋がりのなかで、普通に身を置いてゆくことはできるようになったが、独りで居るときに、心から安息と、解放感を強く感じる性質だった。密室を持っているということは、一つは私の生来の性質にもよるのだろうが、両親の間には深刻な問題があった。幼いときに、人間の愛憎のことを見せられてきた僕は、外でいつもすなおで人に好かれる様子の少年であっただけに、いっそう深い影を心の中に落ちしていたにちがいない。私はその影を捨てるのではないと観念して、むしろ、ひそかに、心の中で育ててきたような気がする。幼いときから部屋に自分を閉じませて、絵を描くのが好きであったことは、関連がないとは思えない。中学生になると、山や海辺に独りでじぶんを置くことを何よりの安息と感じるようになった。そして、父の反対と母の心配に、何度かためらいながらも、画家になる道を選んだ
译文:
山峦像重重叠叠的衣褶一样,向远方绵延着。由于已是冬日的原因,山上生长着的树木已经枯萎了,山的表面也变成了很难退去的茶色。尤其一到傍晚,夕阳映照着大山,呈显出浅红色的突出的山表,映射出青紫色的山影,明暗的光影协调地交相辉映着。山的上面是傍晚万里无云的天空,在远处的天地相接处和淡淡的光亮交融着,看起来有一种无限广阔之感。
坐在山顶的草地上,静静地看着光影时刻的变化。由于我从佐贯车站背着装有投宿用的米和绘画工具箱的旅行袋,抱着画板,走了三个小时才到鹿野山的,凉凉的空气吹在满是汗水的身上感觉很舒服。到了这里,除了山上的寺庙就没有别处可以投宿了。并且在那个时候那里一班车都没有通。那是1966年冬天的事情了。
我极目向远处眺望,重重叠叠的山峦像大海的汹涌波涛一样,震撼着我的心。透过落日的余晖,我发现了山间的一条小路,独自一人登着山路,站在不停涌上心头又消失的思念的归结点上。但是现在我的心已经超越了层层山谷,被诱惑着向着更远处的不可能到达的云雾蒙蒙的山顶行进。这样一来似乎又不由自主有了新的出发点。我住在父母的家里。尽管那是一座仍是由土坯砌成的在神户市平民区的房子但是并没有像佐贯的市街一样阴郁的感觉。房梁柱也没有被煤烟熏黑的迹象。只是挂钟相当的古老,家人踩着高凳子,边用手指旋转着表盘的长针,边对着时间。和钟声同样能引起怀念的还有大汽船的汽笛声和小蒸汽艇的马达声。
家里的三兄弟中,尽管我在外边是最老实听话的,但是在心中也一直有自己的密室,并把那里作为孤独的游乐场。随着相继升入幼儿园、小学,密室的范围尽管很狭窄,由于平常在和社会的联系中可以置身其中了,一个人独处时便更有一种来自内心的强烈的得到安息、被解放的感觉。所谓的密室,一来尽管可能是由于我天生本性所致,但是在父母之间还是有深刻原因的。一定是正因为小时候被迫看惯了人们之间爱憎的我,在外边一直老实听话,是人们所喜爱的少年,所以在我心中留下的阴影也就更大了我也想过,难道就不能排遣掉心中阴影吗,但恰恰相反,却有一种阴影秘密地在我心中成长的感觉。小时候便开始喜欢把自己关在屋子里画画,不能认为和此是没有关系的。到了初中,独自置身山上抑或海边有开始一种比做什么都感到安息的感觉。并且,面对父母的反对也曾几度犹豫过,但最终还是选择
了成为画家的道路。(完)