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我翻的一篇长文,有兴趣的高手来修改一下!

作者:未知  来源:贯通论坛   更新:2005-12-2 6:46:00  点击:  切换到繁體中文

 

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作者:smoothroad 2005-4-18 10:19:00)

我翻的一篇长文,有兴趣的高手来修改一下!

这是某翻译公司招聘兼职翻译的测试文,小弟俺知道自己水平不济,还请高手赐教!呵呵,文章是长了些,有兴趣的话可以试翻译一下,并帮我修改啊!

原文:
山並みは幾重もの襞のように、遥かに遠くへ続いていた。冬になったゆえに、山上に生えている木が枯れて、山肌の色も、それ自体は捉まえ難い暗い茶色になった。特に夕方になると、夕陽に彩られて、山肌の突出す部分は浅赤色に、投げ下ろしている影は青紫色にと、明暗の微妙な諧調を織り交ぜている。その上には、曇りひとつ無い夕空が、地表に近づくにつれて浅い明るさを溶かし込み、無限の広がりをみせていた。
> > 山頂の草原に腰を下ろして、刻々に変わってゆく光と影を私はじっくりと見ていた。私は宿泊のための米と絵の具箱を詰めたリュックザックを背負い、画板を抱えて、佐貫駅から、この鹿野山まで三時間の山道を登って来たのである。すっかり汗ばんだ肌に、寒い空気がさっぱりだった。ここに来て、山上の寺に泊めてもらう以外には泊まる場所もない。まだ、そのころは車が一つも通っていなかった。これは1966年の冬のことであった。
> > ぼくは遠くへ広く眺めていた。海の波の上り下がりをみるように、心に響いてくる山並みの重なり。谷間の夕影のなかに、一筋の道が見える。独り山道を登ってきて、次々に浮かんでは消えていった想念の帰着点に私は立っている。しかし、いま、私の心はいくつもの谷並みを越えて、青霞む遠くの嶺へ、さらに、その向かうの果てしない空へと誘われてゆく。すると、ここはまた、新たな出発点でもあるというように思われる。
> >私は両親の家にいた。それは、やはり土作りの家ではあったが、神戸市の下町に在って、この佐貫の町に見るような、重苦しい感じのものではなかった。柱も煤煙に黒くならさせられたことがなかあった。ただ、柱時計は、かなり古風なもので、家の人が踏み台に乗って、文字盤の長針を指で回しながら、時間を合わせていた。時計の音と共に懐かしいのは、あの太い汽船のアラームと、小型の蒸気艇のエンジンの響き。
> > 家では、わたしは三人兄弟の真ん中で、外ではおとなしい、すなおな少年であったが、心の中に、いつも密室をもっていて、そこに孤独な遊び場を作っていた。幼稚園、小学校と進むにつれ、狭い範囲であるにせよ、社会との繋がりのなかで、普通に身を置いてゆくことはできるようになったが、独りで居るときに、心から安息と、解放感を強く感じる性質だった。密室を持っているということは、一つは私の生来の性質にもよるのだろうが、両親の間には深刻な問題があった。幼いときに、人間の愛憎のことを見せられてきた僕は、外でいつもすなおで人に好かれる様子の少年であっただけに、いっそう深い影を心の中に落ちしていたにちがいない。私はその影を捨てるのではないと観念して、むしろ、ひそかに、心の中で育ててきたような気がする。幼いときから部屋に自分を閉じませて、絵を描くのが好きであったことは、関連がないとは思えない。中学生になると、山や海辺に独りでじぶんを置くことを何よりの安息と感じるようになった。そして、父の反対と母の心配に、何度かためらいながらも、画家になる道を選んだ
译文:
山峦像重重叠叠的衣褶一样,向远方绵延着。由于已是冬日的原因,山上生长着的树木已经枯萎了,山的表面也变成了很难退去的茶色。尤其一到傍晚,夕阳映照着大山,呈显出浅红色的突出的山表,映射出青紫色的山影,明暗的光影协调地交相辉映着。山的上面是傍晚万里无云的天空,在远处的天地相接处和淡淡的光亮交融着,看起来有一种无限广阔之感。
坐在山顶的草地上,静静地看着光影时刻的变化。由于我从佐贯车站背着装有投宿用的米和绘画工具箱的旅行袋,抱着画板,走了三个小时才到鹿野山的,凉凉的空气吹在满是汗水的身上感觉很舒服。到了这里,除了山上的寺庙就没有别处可以投宿了。并且在那个时候那里一班车都没有通。那是1966年冬天的事情了。
我极目向远处眺望,重重叠叠的山峦像大海的汹涌波涛一样,震撼着我的心。透过落日的余晖,我发现了山间的一条小路,独自一人登着山路,站在不停涌上心头又消失的思念的归结点上。但是现在我的心已经超越了层层山谷,被诱惑着向着更远处的不可能到达的云雾蒙蒙的山顶行进。这样一来似乎又不由自主有了新的出发点。我住在父母的家里。尽管那是一座仍是由土坯砌成的在神户市平民区的房子但是并没有像佐贯的市街一样阴郁的感觉。房梁柱也没有被煤烟熏黑的迹象。只是挂钟相当的古老,家人踩着高凳子,边用手指旋转着表盘的长针,边对着时间。和钟声同样能引起怀念的还有大汽船的汽笛声和小蒸汽艇的马达声。
家里的三兄弟中,尽管我在外边是最老实听话的,但是在心中也一直有自己的密室,并把那里作为孤独的游乐场。随着相继升入幼儿园、小学,密室的范围尽管很狭窄,由于平常在和社会的联系中可以置身其中了,一个人独处时便更有一种来自内心的强烈的得到安息、被解放的感觉。所谓的密室,一来尽管可能是由于我天生本性所致,但是在父母之间还是有深刻原因的。一定是正因为小时候被迫看惯了人们之间爱憎的我,在外边一直老实听话,是人们所喜爱的少年,所以在我心中留下的阴影也就更大了我也想过,难道就不能排遣掉心中阴影吗,但恰恰相反,却有一种阴影秘密地在我心中成长的感觉。小时候便开始喜欢把自己关在屋子里画画,不能认为和此是没有关系的。到了初中,独自置身山上抑或海边有开始一种比做什么都感到安息的感觉。并且,面对父母的反对也曾几度犹豫过,但最终还是选择
了成为画家的道路。(完)

作者:Captor 2005-4-18 11:13:00)



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举手投降。。。。。。

等我打印了到教室慢慢看。。。。。。。。。。。。。。。。好难。

作者:Captor 2005-4-18 11:14:00)



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举手头像。。。。。。。。。打印了去教室看

。。

。看不懂, 好难。  。。。

作者:冷羽ひとり 2005-4-18 15:44:00)


这个要不要放到翻译讨论去阿。
作者:smoothroad 2005-4-18 17:07:00)


服从斑竹意见,可以放到翻译论坛去啊!呵呵!

作者:tonyfoxdemon 2005-4-18 18:02:00)


整体上翻译的很好阿。虽然有些地方有点值得商榷的部分。。。
作者:smoothroad 2005-4-18 20:42:00)


我翻译的那篇长文自己认为有好多问题,表意不明确,最重要的是怎么读都没有散文的味道了,而且将近用了3个小时才翻译完,头都大了!

有兴趣、有时间tonyfoxdemon兄也翻译一下吧,然后贴到论坛上,让小弟参照修改一下!呵呵!谢谢了!

作者:tonyfoxdemon 2005-4-18 21:59:00)


一応翻訳してみました、恥かしいながら、皆様にご覧いただきます。

山並みは幾重もの襞のように、遥かに遠くへ続いていた。冬になったゆえに、山上に生えている木が枯れて、山肌の色も、それ自体は捉まえ難い暗い茶色になった。特に夕方になると、夕陽に彩られて、山肌の突出す部分は浅赤色に、投げ下ろしている影は青紫色にと、明暗の微妙な諧調を織り交ぜている。その上には、曇りひとつ無い夕空が、地表に近づくにつれて浅い明るさを溶かし込み、無限の広がりをみせていた。


山峦重叠着,仿佛衣服上的褶皱,向远方连绵。入冬了,山上的树木也枯萎了,山也变成暗淡的茶色,形态也随之变得模糊。尤其是到了傍晚,在夕阳的照射下,表面突出的地方被染成浅红色,二投下来的影子则显出青紫色,交织着微妙的协调。在那上面,就是看不到一片云彩的天空,接近地面的地方透着微弱的亮光,无尽的延伸着。


> > 山頂の草原に腰を下ろして、刻々に変わってゆく光と影を私はじっくりと見ていた。私は宿泊のための米と絵の具箱を詰めたリュックザックを背負い、画板を抱えて、佐貫駅から、この鹿野山まで三時間の山道を登って来たのである。すっかり汗ばんだ肌に、寒い空気がさっぱりだった。ここに来て、山上の寺に泊めてもらう以外には泊まる場所もない。まだ、そのころは車が一つも通っていなかった。これは1966年の冬のことであった。

到了山顶的草原坐了下来,静静的看着随着时间变换着的光和影。我背着背包,里面是投诉用的大米和颜料盒,抱着画板,从左贯车站,走了三个小时的山路才到达了鹿野山。寒冷的空气吹在被汗浸湿的皮肤上,格外的清凉。这里,除了山上的寺庙,没别的地方可以投诉了。那个时候还没有通车。这是1966年的冬天。


> > ぼくは遠くへ広く眺めていた。海の波の上り下がりをみるように、心に響いてくる山並みの重なり。谷間の夕影のなかに、一筋の道が見える。独り山道を登ってきて、次々に浮かんでは消えていった想念の帰着点に私は立っている。しかし、いま、私の心はいくつもの谷並みを越えて、青霞む遠くの嶺へ、さらに、その向かうの果てしない空へと誘われてゆく。すると、ここはまた、新たな出発点でもあるというように思われる。

我放眼眺望。重叠的山峦如同还上的波澜一样在我的心中澎湃。透过夕阳的光芒,可以看到峡谷中间的一条小径。  独自登上山顶,我站到了若隐若现的思念的终点。但是,这个时候,我的心却越过了重重的峡谷,被远方青霞中矗立的山峦以及隐藏在他背后的无尽的天空所吸引着。就这样,这里又成为了一个新的起点。>

私は両親の家にいた。それは、やはり土作りの家ではあったが、神戸市の下町に在って、この佐貫の町に見るような、重苦しい感じのものではなかった。柱も煤煙に黒くならさせられたことがなかあった。ただ、柱時計は、かなり古風なもので、家の人が踏み台に乗って、文字盤の長針を指で回しながら、時間を合わせていた。時計の音と共に懐かしいのは、あの太い汽船のアラームと、小型の蒸気艇のエンジンの響き。

我和父母住在一起。虽然是一件土房子,但毕竟是在神户市的闹市区,和左贯的这种陈旧的房屋还是有区别的。柱子也没有被烟熏得漆黑。但柱子上的钟却是个老古董,家里人经常需要踩着东西上去用手拨着表针,调整时间。除了钟的声音,轮船的汽笛声和小型蒸汽船的发动机声也叫人怀念。


> > 家では、わたしは三人兄弟の真ん中で、外ではおとなしい、すなおな少年であったが、心の中に、いつも密室をもっていて、そこに孤独な遊び場を作っていた。幼稚園、小学校と進むにつれ、狭い範囲であるにせよ、社会との繋がりのなかで、普通に身を置いてゆくことはできるようになったが、独りで居るときに、心から安息と、解放感を強く感じる性質だった。密室を持っているということは、一つは私の生来の性質にもよるのだろうが、両親の間には深刻な問題があった。幼いときに、人間の愛憎のことを見せられてきた僕は、外でいつもすなおで人に好かれる様子の少年であっただけに、いっそう深い影を心の中に落ちしていたにちがいない。私はその影を捨てるのではないと観念して、むしろ、ひそかに、心の中で育ててきたような気がする。幼いときから部屋に自分を閉じませて、絵を描くのが好きであったことは、関連がないとは思えない。中学生になると、山や海辺に独りでじぶんを置くことを何よりの安息と感じるようになった。そして、父の反対と母の心配に、何度かためらいながらも、画家になる道を選んだ

在家里,我是三兄弟的老二,外人看来,我是个文静老实的少年,可在我心里,照样有那么个秘密的,只属于自己一个人的地方。也许是因为我生活的圈子狭小,反正随着进入幼儿园小学我也学会在熙熙攘攘的世界里赢得一个栖身之所,但尽管如此,我仍然属于那种得到一个人独处的时间,便会感到安祥和宽慰的性格。在心中藏着秘密,虽然是与生俱来的性格,但不管如何父母之间存在着巨大的矛盾。从小就看着人与人的爱与恨的我,虽然在他人面前尽量做个好好少年,可相应的,心中的阴影也是随之扩大。我并没有认为自身心中的阴影应该抛弃,反而却一直偷偷的珍藏着。从小喜欢把自己关在房间里画画也许也正是因为这个原因。上了中学以后,就感觉独自一个人到山上或者海边比什么都舒服。接着就是不顾父亲的反对和母亲的担心,几经踌躇,最终踏上了画家的道路。


[此贴子已经被作者于2005-4-18 22:01:29编辑过]
作者:dail_cui 2005-4-18 23:22:00)


わたしは三人兄弟の真ん中で

是不是翻译成"家里的三个孩子我排行老二" ,因为日语中的兄弟不仅指哥哥弟弟,还包括姐妹吧.

还请指教.


[此贴子已经被作者于2005-4-18 23:24:46编辑过]
作者:tonyfoxdemon 2005-4-18 23:35:00)


確か兄弟って姉妹も含む場合がありますが、何兄弟って言うときはほとんど息子同士を指しますよ。

作者:dail_cui 2005-4-18 23:50:00)


哦,是这样啊,

谢谢,楼上

作者:smoothroad 2005-4-19 9:18:00)


佩服啊,哈哈!比我翻译的可读性好多了,也有了文学色彩!

tonyfoxdemon兄 相比小弟的路还很长啊!

以后请多关照!!

作者:aosora 2005-4-19 14:58:00)


tonyfoxdemon さんの訳文は素晴らしいです。感心しています。
作者:tonyfoxdemon 2005-4-19 15:00:00)


不敢当,不敢当.共同进步共同进步.


 

文章录入:贯通日本语    责任编辑:胖子 

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