しかしわれわれの税がどんなに重いものでも、公的な支出と肩をならべるまでのものではない。何十年も、われわれは赤字に赤字を重ね、われわれの将来を、われわれの子供の将来を現在の一時の都合で担保にしてきた。この長い間やってきたことを続けるつもりなら、社会的に、文化的に、政治的に、経済的に大変動が起こることは確実だろう。
あなたがたと私は、個人として、借り入れをすることで、ある特定の期間だけなら資産以上の生活を送ることができる。それなのに、集団となると、つまり国としては、われわれが同じ制約をうけないと考えられるだろうか?
今日われわれは、明日のことを考え行動しなければならない。そして誤解がないようにしたい、われわれは行動し始めている、今日始めているのだ。
われわれが苦しんでいる経済的な苦境は、ここ数十年に渡るものである。数日や、数週間や、数ヶ月で解決したりするものでない。しかし将来には解決するものである。なぜならわれわれは、アメリカ人として、この最後にして最大の自由のよりどころを守るために必要なことはなんであれ実行するのに、過去にもっていたのと同じ能力を現在も持ち合わせているから、それは解決するのである。
この現在の危機において、政府がわれわれの問題の解決策ではない。
ときどきわれわれは、社会は自治にはあまりに複雑になりすぎているとか、人民の、人民による、人民のための政府よりエリートによる政府の方が優れていると考えがちである。われわれのうちのだれもが自己を管理できないとしたら、われわれのうちの誰が他の人を管理できるというのだろうか? われわれはみな一緒に、政府の中であれ外であれ、重荷を背負わなければならない。どれか一つのグループが高い代償を支払うために選び出されるようなことがあってはならない。
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