「象牙の塔」にも例えられる権威や閉鎖性のゆえか、大学は往々、皮肉めいて云々(うんぬん)されてきた。評論家の大宅壮一は、戦後の新制大学を「駅弁大学」と揶揄(やゆ)した。駅弁を売っている駅のある所は大学があるという、急増ぶりへの当てつけである。
或许是因为“象牙塔”被用来比喻权威和封闭性的缘故吧,大学常被讽刺说成是象牙塔。评论家大宅壮一曾调侃战后新制大学为“盒饭大学”。凡是有卖盒饭的车站,当地就有大学,以此来讽刺大学数量激增的现象。
▼その後、「女子大生亡国論」というのもあったし、筆者の学生時代には「レジャーランド化」とたたかれた。むろん、もっと高尚な批評もあって、三木内閣時代に民間から文部大臣になった永井道雄は「いまの学校は西洋の中世末期の教会に似ている」と評したそうだ。
随后出现了“女大学生亡国论”,在笔者的学生时代,大学被抨击为“游乐场”。当然还有更为深刻的批评,据说三木内阁时期从普通民众晋升人文部大臣的永井道雄曾批评说:“现在的学校就如同西方中世纪末期的教会。”
▼中世の末期、教会は金集めのために免罪符を乱発した。教会が栄えて宗教は衰えた時代といわれる。永井のたとえは、免罪符を「卒業証書」に置き換えて、学校のありようを憂えたものであったらしい。
中世纪末期,教会为了敛财,任意发放免罪符。可以说是教会兴旺宗教衰败的时期。将免罪符换成“毕业证书”,永井的比喻表现出对学校现状的担忧。
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