·「手紙」と「電子メール」は別のもの
·“书信”与“电子邮件”不是一回事
一般に「メール」という言葉の響きから、電子メールは「コンピュータを使って送受信される手紙である」ととらえられています。でも、この2つの間にはかなり大きな違いがあります。
通常听到“邮件”这个词,会想到电子邮件是“通过电脑收发的信件”。但是,两者之间有着巨大差异。
日本語の「手紙」というのは、日本語の「書き言葉」の伝統を色濃く継承しています。伝統的な手紙の形式にのっとって書くことができるというのが、すなわちその人の社会人としての教養の証です。表書きの宛名の書き方、相手への敬称の選び方、頭語と結語をきちんと対応させる、形式的な挨拶の文句を入れる、行頭や行末に入れてはいけない文字がある、等々そのルールは複雑です。それゆえ「手紙を書くのは苦手」という人も少なくありません。
日语的“书信”深深继承了日语的“书面语”传统。能使用传统书信形式来书写,正是作为社会人教养的证明。信封的收信人姓名的写法、对方尊称的选择、首尾相互呼应、形式上的问候语句的写法、不可写在行首行末的文字等等,其规则相当复杂。因此不少人觉得“写信很麻烦”。
·手紙の書き方にはたくさんのきまりごとがある
·书信的写作有着繁琐的规定
電子メールの場合、形式的ばった書き方はむしろマナー違反です。逆に、できるだけ簡潔に用件だけを済ませるほうがよいとされています。なぜそういうことになったのでしょうか。
而写电子邮件的时候,如果按照传统形式的写法反而是违反礼仪的。相反,最好能用尽可能简洁的语句来说明大意。为什么会变成这样呢?
それは、電子メールという仕組みそのものの生い立ち、すなわち電子メールの文化的な背景に由来しています。電子メールが今日これほどまで広まるきっかけとなったのは、それがUNIXオペレーティングシステムに標準で組み込まれていたからでした。アメリカというプラグマティズムの国で誕生したこと、研究者間の情報交換という実用的な目的で開発された技術であることから、電子メールにおける「作法」も自然と実用性や効率を重視したものとなったのです。
这是由电子邮件本身的结构、即电子邮件的文化背景决定的。电子邮件蓬勃发展至今,是由于UNIX operating system进行了标准化。因为产生于实用主义的美国,并且是为研究员之间交流信息的实用目的而开发的技术,所以电子邮件的“写法”也自然而然的更重视实用性和效率。
·なぜ、作法を知る必要があるのか
·为什么需要了解写法
形式ばった書き方がマナー違反だというのに、なぜ「作法」などというものを知らなければならないのでしょうか。
既然说拘于传统形式的写法违背礼仪,那又为什么非得知道“写法”什么的呢?
ひとつには、技術的な理由があります。電子メールはコンピュータ上で、キーボードを使って書かれるものであり、回線を通じてデジタルデータとして送られ、コンピュータの画面上で読まれるものです。お互いのコンピュータが、共通のルールを守らなければこれは実現できません。
第一是技术性的理由。电子邮件是在电脑上使用键盘来写,通过网络以电子数据的形式发送,对方在电脑屏幕上读取。若双方电脑不遵循共同的规则,就无法实现相互通信。
この共通ルールは、どんなコンピュータでも使えるだけのかなり「ゆるやかな」ルールになっています。「ゆるやかな」ルールというのは、ちょっと見方を変えれば「結構いろんな風に解釈可能である」といってもいいでしょう。
该共同规则逐渐成为适用于任何电脑的相当“宽松”的规则。所谓“宽松”规则就是说稍微变换种说法“就能做出各种不同解释”。
つまり、あなたの使っているコンピュータの環境によって、電子メールを送受信するアプリケーションソフト(メーラー)によって、少しずつ「できること」が違うのです。これらは一見「ささいな違い」ではあるのですが、うっかり知らずにいると相手が読むことのできないメールを書いてしまったり、大勢の人に迷惑をかけてしまうことがあるのです。
即根据你所使用的电脑环境的不同,收发电子邮件的软件(邮箱服务商)的不同,“能做的事”会有些许差异。这些乍看“细微的差别”,一不注意写出的邮件对方无法阅读,就会给很多人造成困扰。
二つ目の理由は、電子メールが人間同士のコミュニケーションのツールであるということです。「形式ばらなくてよい」ということは、「相手に不愉快な思いをさせてもよい」という意味ではありません。気持ちよくやり取りを行うためには、最低限こういうことは守ってほしいというルールは厳然と存在するのです。
第二个理由,电子邮件是人们交流的工具。“不必拘于形式”并非意味着“可以让对方不愉快”。为能使交流愉快进行,就需要严格遵守最低限度的规则。