どんな外国語でも、勉強を始めると「易しい言葉」というものはないことが分かります。しかし、全部が難しいわけではありません。難しいところは、一部分です。そして、この「難しいところ」が分かれば、その外国語の勉強はかなり進みます。
そこで、今号からしばらく、「日本語の難しいところ」について、考えてみようと思います。
授受動詞の難しさ
日本語の勉強を始めた人が、最初に難しいと感じる項目は、「あげる」「もらう」「くれる」などの授受動詞の使い方ではないでしょうか。
かなり上級レベルの学習者でも、授受動詞の使い方がよく分かっていないことがあります。これは、授受動詞の使い方を最初にきちんと理解せずに、先へ進んでしまったためです。
「あげる」と「もらう」の特別な性質
授受動詞は、ほかの動詞とは違い、ちょっと特別な性質を持っています。まず、「もらう」と「あげる」について考えてみましょう。
例文A、Bを比較してみてください。
A:本田さんが、柳さんに、プレゼントをもらいました。
B:柳さんが、本田さんに、プレゼントをあげました。
AとBの文はどちらも、プレゼントが、柳から本田に移動したことを表しています。この二つの文が表す「事実」は同じですが、この二つの文が「表現」していることは同じではありません。つまり、例文Aの話し手は、本田さんを文の中心にしています。「本田さんがもらった」ということを言いたいのです。それに対して、例文Bの話し手は柳さんを文の中心にして、「柳さんがあげた」ことを話したいのです。このように、「もらう」と「あげる」という動詞には、主語を文の中心にする、という働きがあります。そして、「物」が「主語=文の中心」に入った時は「もらう」を使い、「物」が「主語=文の中心」から出た時は「あげる」を使うのです。
次に、例文CとDを見てください
C:私が、柳さんに、プレゼントをもらいました。
D:柳さんが、私に、プレゼントをあげました。(×)
この二つの文には「私」という話し手が、文中に登場しています。話し手が文中にある時、話し手が文の中心になります。つまり、「私」が文の中心になるのです。ところで、上で述べたように、「もらう」という動詞には、主語を中心にする働きがあります。例文Cでは、話し手の「私」が主語なので、文の中心は一つです。ところが、例文Dは、文の中心が、文の中心の「私」と、文の主語の「柳さん」の二つになってしまいます。だから、この例文Dは日本語として、不自然で正しくない文になってしまうのです。
このような性質は、授受動詞ではない動詞にはありません。例えば、「渡す」という動詞は、「物」の移動を表すという点で授受動詞に似ていますが、主語を文の中心にする、という働きはありません。だから、次に挙げる例文E、Fは、どちらも正しい文です。
E:私が、安さんに、プレゼントを渡しました。
F:安さんが、私に、プレゼントを渡しました。
「くれる」の意味
日本語では例文Dのような場合、「あげる」が使えません。しかし、それでは不便な場合があります。ほかの人を主語にして、その人から私への、物の移動を表したい場合です。この時、「あげる」の代わりに使う授受動詞があります。それが、「くれる」です。
G:安さんが、私に、プレゼントをくれました。
このように「くれる」は、助詞「に」の前の言葉が「私」の時にだけ使う動詞です(注)。助詞「に」の前が、「私」でない時は、例文Bのように「あげる」を使わなければなりません。初級レベルの学習者が、授受動詞を学ぶ時に混乱するのは、移動の方向の違う「あげる」「もらう」という2種類の動詞のほかに、もう一つ「くれる」という動詞があるからです。「あげる」「もらう」を単に物の移動の方向を表す動詞だと教えると、「くれる」の意味が理解できません。「あげる」「もらう」には、移動の方向を表すほかに、主語を文の中心にする、という働きがあることを教える必要があるのです。
「あげる」「もらう」「くれる」の使い分けについて、上のように順序よく、論理的に説明すれば、生徒はその意味と使い方が理解できるでしょう。
(注)助詞「に」の前の言葉が、「私」ではなくても、「私」に非常に近い関係の人(子供や兄弟など)ならば使うことができます。
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