われわれが必要とするものの範囲はあまりに広く、われわれの機会の及ぶ範囲はあまりに大きいので、これらの必要に新しい方法で対処する決意を大胆にしよう。
ちょうど海外において平和を築き上げるには、失敗した古い政策を転換することが必要であるように、本国における新しい進歩の時代を築くには、失敗してきた古い政策を転換することが必要なのです。
海外においては、古い政策から新しい政策へのシフトはわれわれの責任の放棄ではない。しかしよりよい道は平和なのです。
そして本国では、古い政策から新しい政策へのシフトもまたわれわれの責任の放棄ではない。しかしよりよい道は進歩なのです。
海外においても本国においても、これらの新しい責任の鍵は、責任の所在と分割にある。われわれはあまりに長い間、全ての権力と責任をワシントンに集中する試みの結果のもとで生きてきた。
海外においても本国においても、温情主義を見下すような、「ワシントンが一番よくしっている」式の政策から転換するときがきたのです。
人は責任をもっているときのみ、責任をもって行動することが望めるのです。それが人間の本質です。本国でも海外の国々でも、より自分のために行動するように、より自分のために決断するように個々の人を励ましましょう。より多くの場所で責任を分担しよう。他人のために何をしようとしているかを、自分のために何をしようとしたかで判断しよう。
それが今日、私がどんな問題に対しても純粋に政府だけで解決できるものはないと言っている理由だ。われわれは、あまりに長いあいだ間違った約束をしてきたのだ。あまりに政府を信頼しすぎていて、われわれは提供できる以上のものを求めていたのだ。これは思い上がった慢心につながるだけであり、個人の努力を少なくし、政府ができることと人々ができることの信頼を損なう失望と不満につながったのである。
政府は、人々がより自身のために働くように、人々から取る分を少なくしなければならないということを学ばなければならない。
アメリカは政府によってではなく、人々によって成り立っていることを思い出して欲しい。富でなく、労働で、責任を回避することでなく責任を引き受けることで成り立っていることを。
われわれが直面しているチャレンジにおいて、われわれ一人一人はどうやって政府が助けてくれるかではなく、自分が何をできるかをまさに問おうではないか?
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