日本にやってきた異国の人の「発見」に教えられることは少なくない。明治時代に東大で教えた英国人チェンバレンは、日本語には火事をめぐる語彙(ごい)が多いのに驚いた。付け火や粗相(そそう)火(失火)、貰(もら)い火をはじめ火事見舞いまで多々あげて、「これでも半分にもならない」と記している。
我们有很多东西都是受教于来到日本的外国人的“发现”。明治时代在东京大学任教的英国人张伯伦就曾惊讶于日语中关于火灾的词汇特别多,并列举了如纵火、过失失火、殃及之火等,甚至还有很多火灾慰问的词语。他还写明:“这些还不到其中的一半”。
▼多彩な語彙の背景を、木と紙でできた都市ゆえだろうと説いていた。火災の多発が風俗や習慣に深く根をおろしている、と。なるほどと思って読んだその著作を、東京の老舗そば店「かんだやぶそば」の火事で思い出した。
▼東京都の歴史的建造物でもあった木造の、残念な災難だった。大空襲にも焼けず、作家の池波正太郎が「むかしの町の香りを辛うじて残している」と懐かしんだ一角の店である。食通で鳴らした池波は、あの世で嘆息していることだろう。
这也是东京很有历史意义的木制建筑了,真是让人痛惋的火灾啊。这家小店曾顶住了东京大空袭的大火,它也曾充满了作家池波正太郎怀念,“好不容易留下来的旧时街衢的温馨”。因美食家而闻名的池波,或许在天上不断叹息吧。
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