▼みんなで復興を考える時に、人かコンクリートかといった単純化は無用だろう。「民主党政権の初動がひどかった」「原発を乱造したのは自民党だ」。そんな後ろ向きの「内輪もめ」もいい加減にしたい。
大家在考虑复兴的时候,简单地想成人或是混凝土是没用的。“民主党政权的早期行动太过了”“滥造核能的是自民党”。这样拖后腿的“内讧”,希望可以适可而止。
▼「確かなものがどこかにあって、そこに身を委ねていれば大丈夫という感覚が消えた」。青森·恐山(おそれざん)の禅僧南直哉(みなみじきさい)さんの言葉である。あるのは、しなければいけないことの山山山。南さんは「政治家は『できること』『したいこと』しか言わない」と、為政者の覚悟をただす。
青森恐山的禅僧南直哉曾说,“哪里有确凿的东西,为什于此也无妨这样的感觉已经消失了。”有的只是不得不面对的万重山。南先生说过“政治家应该只说‘能做的事’和‘想做的事’”,以此来纠正执政者的想法。
▼東北の再起は、人口減の日本が生きる道を探る先例となる。前向きに捉えれば、白紙から別の絵を描く機会でもある。ならば、自分のこととして考えたい。未来図は、まだ描き直せる。
东北地区的重建,将成为人口不断减少的日本探索生存之道的先例。朝着积极的方向想的话,这也是在白纸上画出别样风采的机会。既然这样就把它当做自己的事情来考虑吧。未来的宏伟蓝图,还可以重新描绘。
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