親しさの深さは、会っている回数では測れない。年賀状のやり取りだけで、もう何年も、会っていない人もいる。だからといって、その関係が虚しい①ものだとは思わない。それはそれで僕にとっては実に不思議なつながりなのだ。
僕は人付き合いがかなり悪い。パーティーに出かけるよりは、閉じこもって本を読んでいるほうが好きだ。電話をもらうのはうれしいが、こちらからかけるのは、照れ臭い。
会いたいけど、なかなか会えない人もいる。もう子どもではないから、お互いにいろんな事情もある。会いたい人に自由に会えた子どものころが懐かしい。会えない人のほうが、もっと心に残っている。
僕が本を書くのは、会えない人への手紙でもある。お漬物屋さんが自分の店で漬けた漬物を贈るように僕は自分の本を贈る。作家は本をタダ出版社からもらえると思っている人もいるが、僕はちゃんと買っている。本を贈ると、読む前に返事をくれる人はうれしい。ちゃんと読んでから、感想を添えて手紙をくれる人もうれしい。さらに、名物などを添えてくれる人もうれしい。何も返事がなくても、うれしい。
忘れたころに、深夜、お礼のFAXが入るのもうれしい。字が乱れているのは、酔っているせいだろう。その証拠に、名前を書くのを忘れている。名前を書くのを忘れているくせに、FAX番号はちゃんと覚えていてくれたということがうれしい。
世の中には、筆無精の人が結構いる。筆無精だからといって、感謝知らずだということではない筆無精の人の思いのたけのほうが、深かったりするのだ。
たとえ返事がなくても、贈り続ける。もし迷惑なら捨ててくれるだろう。もっと迷惑ならもうやめてくださいと連絡があるはずだ。返事などなくても、黙って受け取っていただけるというだけで、うれしいことなのだ。
人にものを贈るという行為は、②これくらいの気長さが必要だ。人と付き合っていくには、オール・オア・ナッシング(all or nothing 孤注一掷、极端)ではだめだ。返事が来ないから、来年から③やめようと考えるようでは、まだまだ贈り物の悟りの境地には程遠い。
贈り物は、贈ったほうが、贈ったことを忘れているくらいが、ちょうどいい。返事が来ないといらいらするのは、贈ったことをいつまでも覚えているからだ。
あの時の贈り物は、うれしかったですと、何年もたってからいわれるのが、贈り物の醍醐味なのだ。
練習問題
1、文中の①「もの」と同じ使い方はどれか。
こんな複雑な文章、訳せるものですか。
彼と私とは、ものの考え方が違う。
水は本来低きに流れるものです。
早く暇をもらって帰りたいものだ。
2、②ここの「これくらいの気長さ」とは、どれくらいか。
たとえ返事がなくても、贈り続けること。
返事が来ないから、来年からやめようとする。
返事な来ないといらいらすること。
贈ったことを忘れていること。
3、③文章の「ようと」同じ使い方はどれか。
たとえどんなことが起ころうとも、彼からは一生離れない。
長かった冬休みもじきに終わろうとしている。
英语が话せるようになる。
棚の上の花瓶を取ろうとして、足を踏み外してしまった。