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鲁迅《故乡》(日汉对照)(四)

わたしは喫驚(びっくり)して頭を上げると、頬骨の尖った唇の薄い、五十前後の女が一人、わたしの眼の前に突立っていた。袴も無しに股引穿(ももひきば)きの両足を踏ん張っている姿は、まるで製図器のコンパスみたいだ。


わたしはぎょっとした。


「解らないかね、わたしはお前を抱いてやったことが幾度もあるよ」


わたしはいよいよ驚いたが、いい塩梅にすぐあとから母が入って来て側(そば)から


「この人は永い間外に出ていたから、みんな忘れてしまったんです。お前、覚えておいでだろうね」


とわたしの方へ向って


「これはすじ向うの楊二嫂(ようにそう)だよ。そら豆腐屋さんの」


おおそう言われると想い出した。わたしの子供の時分、すじ向うの豆腐屋の奥に一日坐り込んでいたのがたしか楊二嫂とか言った。彼女は近処(きんじょ)で評判の「豆腐|西施(せいし)」で白粉(おしろい)をコテコテ塗っていたが、頬骨もこんなに高くはなく、唇もこんなに薄くはなく、それにまたいつも坐っていたので、こんな分廻(ぶんまわ)しのような姿勢を見るのはわたしも初めてで、その時分彼女があるためにこの豆腐屋の商売が繁盛するという噂をきいていたが、それも年齢の関係で、わたしは未(いま)だかつて感化を受けたことがないからまるきり覚えていない。ところがコンパス西施はわたしに対してはなはだ不平らしく、たちまち侮りの色を現し、さながらフランス人にしてナポレオンを知らず、亜米利加(アメリカ)人にしてワシントンを知らざるを嘲る如く冷笑した。


「忘れたの? 出世すると眼の位まで高くなるというが、本当だね」


我吃了一吓,赶忙抬起头,却见一个凸颧骨,薄嘴唇,五十岁上下的女人站在我面前,两手搭在髀间,没有系裙,张着两脚,正像一个画图仪器里细脚伶仃的圆规。


我愕然了。


“不认识了么?我还抱过你咧!”


我愈加愕然了。幸而我的母亲也就进来,从旁说:


“他多年出门,统忘却了。你该记得罢,”便向着我说,“这是斜对门的杨二嫂,……开豆腐店的。”


哦,我记得了。我孩子时候,在斜对门的豆腐店里确乎终日坐着一个杨二嫂,人都叫伊“豆腐西施”。但是擦着白粉,颧骨没有这么高,嘴唇也没有这么薄,而且终日坐着,我也从没有见过这圆规式的姿势。那时人说:因为伊,这豆腐店的买卖非常好。但这大约因为年龄的关系,我却并未蒙着一毫感化,所以竟完全忘却了。然而圆规很不平,显出鄙夷的神色,仿佛嗤笑法国人不知道拿破仑,美国人不知道华盛顿似的,冷笑说:


“忘了?这真是贵人眼高……”


「いえ、決してそんなことはありません、わたし……」


わたしは慌てて立上がった。


「そんなら迅(じん)ちゃん、お前さんに言うがね。お前はお金持になったんだから、引越しだってなかなか御大層だ。こんな我楽多(がらくた)道具なんか要るもんかね。わたしに譲っておくれよ、わたしども貧乏人こそ使い道があるわよ」


「わたしは決して金持ではありません。こんなものでも売ったら何かの足しまえになるかと思って……」


「おやおやお前は結構な道台(おやくめ)さえも捨てたという話じゃないか。それでもお金持じゃないの? お前は今三人のお妾(めかけ)さんがあって、外に出る時には八人|舁(かつ)きの大轎(おおかご)に乗って、それでもお金持じゃないの? ホホ何と被仰(おっしゃ)ろうが、私を瞞(だま)すことは出来ないよ」


わたしは話のしようがなくなって口を噤んで立っていると


“那有这事……我……”我惶恐着,站起来说。


“那么,我对你说。迅哥儿,你阔了,搬动又笨重,你还要什么这些破烂木器,让我拿去罢。我们小户人家,用得着。”


“我并没有阔哩。我须卖了这些,再去……”


“阿呀呀,你放了道台⑼了,还说不阔?你现在有三房姨太太;出门便是八抬的大轿,还说不阔?吓,什么都瞒不过我。”


我知道无话可说了,便闭了口,默默的站着。


「全くね、お金があればあるほど塵ッ葉一つ出すのはいやだ。塵ッ葉一つ出さなければますますお金が溜るわけだ」


コンパスはむっとして身を翻し、ぶつぶつ言いながら出て行ったが、なお、行きがけの駄賃に母の手袋を一双、素早く掻っ払ってズボンの腰に捻じ込んで立去った。


そのあとで近処の本家や親戚の人達がわたしを訪ねて来たので、わたしはそれに応酬しながら暇を偸(ぬす)んで行李(こうり)をまとめ、こんなことで三四日も過した。


非常に寒い日の午後、わたしは昼飯を済ましてお茶を飲んでいると、外から人が入って来た。見ると思わず知らず驚いた。この人はほかでもない閏土であった。わたしは一目見てそれと知ったが、それは記憶の上の閏土ではなかった。身の丈けは一倍も伸びて、紫色の丸顔はすでに変じてどんよりと黄ばみ、額には溝のような深皺が出来ていた。目許は彼の父親ソックリで地腫れがしていたが、これはわたしも知っている。海辺地方の百姓は年じゅう汐風に吹かれているので皆が皆こんな風になるのである。彼の頭の上には破れた漉羅紗帽が一つ、身体の上にはごく薄い棉入れが一枚、その著(き)こなしがいかにも見すぼらしく、手に紙包と長煙管(ながぎせる)を持っていたが、その手もわたしの覚えていた赤く丸い、ふっくらしたものではなく、荒っぽくざらざらして松皮(まつかわ)のような裂け目があった。


“阿呀阿呀,真是愈有钱,便愈是一毫不肯放松,愈是一毫不肯放松,便愈有钱……”圆规一面愤愤的回转身,一面絮絮的说,慢慢向外走,顺便将我母亲的一副手套塞在裤腰里,出去了。


此后又有近处的本家和亲戚来访问我。我一面应酬,偷空便收拾些行李,这样的过了三四天。


一日是天气很冷的午后,我吃过午饭,坐着喝茶,觉得外面有人进来了,便回头去看。我看时,不由的非常出惊,慌忙站起身,迎着走去。


这来的便是闰土。虽然我一见便知道是闰土,但又不是我这记忆上的闰土了。他身材增加了一倍;先前的紫色的圆脸,已经变作灰黄,而且加上了很深的皱纹;眼睛也像他父亲一样,周围都肿得通红,这我知道,在海边种地的人,终日吹着海风,大抵是这样的。他头上是一顶破毡帽,身上只一件极薄的棉衣,浑身瑟索着;手里提着一个纸包和一支长烟管,那手也不是我所记得的红活圆实的手,却又粗又笨而且开裂,像是松树皮了。


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