近所の図書館へと続く道、ブロック塀に据えたプランターに小ぶりのナスが実っていた。艶(つや)やかな紫紺の肌は、夏空を映して涼しげだ。見た目ばかりか、多くの夏野菜には体を内側から冷やす力が宿るという
通往附近一家图书馆的道路旁,放在矮墙上的长方形花槽里茄子已经结出了小小的果实。它那满是光泽的蓝紫色的肌肤能映照出夏日的天空并透着一股清凉。不仅看起来如此,据说很多夏季蔬菜的体内的确蕴藏着降低温度的力量。
変化に富んだ国土はありがたく、津々浦々、夏には夏の郷土料理がある。山形の「だし」もその一つだ。キュウリにナス、ミョウガ、大葉、昆布あたりを細かく刻み、しょうゆなどで和(あ)えて飯や豆腐にかける。料理というより生ふりかけか
富于变化的国土真的是弥足珍贵,全国上下五湖四海夏季有各自夏季的乡土料理。山形县的一种“蔬菜汁”就是其中之一。将黄瓜、茄子、襄荷(Zingiber mioga)、青紫苏以及海带切成细末,再配上酱油等调料,浇在米饭以及豆腐上食用。与其说是料理,倒不如说是一种生鲜盖浇汁更为合适。
もともとは農繁期の簡便なおかずで、家庭ごと味が違うらしい。山形県出身の児童文学者、国分一太郎は「食べると、トントンと刻んでいる祖母や母を思い、故郷にへその緒がつながっている思いになる」と書いている
原本这些都是农忙时期的一种简便菜肴,味道家家不同。山形县生人的儿童文学家国分一太郎在书中写道,“每当吃到它们时,就会从深刻记忆中接二连三地回想起祖母以及母亲,并感受到自己与故乡的血脉亲情”
自分で作ろうかとも思ったが、銀座の「おいしい山形プラザ」で出来合いを求め、夕食のご飯にまぶした。やや濃いめの味つけながら、かむほどに夏の香が弾(はじ)け、食欲がわく。おなかもひんやりした
一般认为这些都是自己动手制作的,可现在你可以在银座的“吃在山形购物广场”里购买到现成品,立刻浇在米饭上食用。尽管口味稍重,但是越嚼越能感受到夏季的芳香,食欲大增,腹内平添阵阵凉意。
〈水桶(みずおけ)にうなづきあふや瓜茄子(うりなすび)〉蕪村。初会での意気投合を、戯れる野菜に例えた句だという。由来はともかく、涼感あふれる暑中の一景が目に浮かぶ。井戸水だろうか、放り込まれた冷水の中、ぷかぷかと挨拶(あいさつ)を交わす緑と紫が鮮やかだ
<水桶装水透心凉,凉水之上漂清香,鲜瓜茄子颔首笑,又到盛夏好时光>与谢芜村作。据说这是一首寄意于欢快的蔬菜瓜果,表达朋友间初次见面意气相投之意境的谐俳诗句。源于何处不必深究,不过的确是盛夏期间充满凉意活灵活现的一道风景。水桶中装的有可能是井水吧,在此装得满满的凉水之中,闪烁着光泽的青绿与蓝紫相互寒暄问候的情景着实令人印象深刻。
節電が季語の格をまとうこの夏、私たちに求められるのは、野菜ひとつに涼しさを覚える感性かもしれない。何代か前までの日本人に、あまねく備わっていた技である。網戸、泉、打ち水。探せば、五十音のそれぞれに涼が潜む。
在此节电已经被定格于季语地位的今年夏季,我们被要求的也许是从蔬菜上感受凉意的悟性。这是多少代之前的日本人普遍具备的一种生活技巧。纱窗、清泉、洒水,要是寻找的话,五十音的每个音中都蕴藏着各自的清凉。
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