吉田秀和さんは9年前に妻のバルバラさんを喪(うしな)った。悲しみは深く、心の空白を埋められないまま本紙連載「音楽展望」も休筆が続いた。「黄泉(よみ)の国に行って妻を連れ戻せればと、本当に思う」――本紙に語った悲痛に胸を突かれたものだ
▼奥さんは日本文学を研究し、死の床で永井荷風をドイツ語に訳していた。吉田さんは遺作を本に編み、やがて深い痛手から立ち直る。「やっとまた身体に暖かいものが流れだし、音楽がきこえてきた感じ」と、3年後に再開した「音楽展望」に書いている
▼他的妻子研究日本文学,并在病榻上一直从事永井荷风的德语翻译工作,直至病逝。吉田将她的遗作编辑成书,不久后便从沉重的打击中重新振作。他在3年后重开的专栏《音乐展望》中写道:“终于又感觉有暖流流过体内,重新听到了音乐的声音”。
▼他撰写的众多音乐评论其本身就是极为出色的文章,让人仿佛在聆听音乐一般。在拜读他的一篇一篇大作时,有种看见刀刃瞬间砍向要害的快感。而且他知识渊博,森罗万象无所不知。
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