汚れのない瞳がこちらを見つめてくる。写真家の長倉洋海(ひろみ)さん(60)から頂いた来年のカレンダーに、しばし見入った。アフガニスタンで南アフリカで、チベット高原で――、世界の子どもたちの月替わりの笑顔は、地上の星を見る心地がする
清澈如水的眸子正直愣愣地看着我。面对着摄影家长仓洋海先生(60岁)给我的明年的挂历,一时间看入了神。在阿富汗,在南非,在西藏高原……,看着这全世界孩子们每月不同的笑脸,心里觉得仿佛看到了出现在地上的星星。
長倉さんは長年、紛争の地や、きびしい暮らしを送る人々を撮ってきた。子どもに向けるまなざしはやさしい。「僕にとって写真は、希望を写し込むもの」と言う。小さな瞳から希望が消えれば、それはもう子どもではない
长年来,长仓先生坚持在战火纷争的地区,拍摄那里的人们生活艰难的照片。面对孩子的目光是那么的和蔼可亲,他说,“对我来说,照片是注入希望的载体”。如果希望从他们小小的眸子中消失了的话,他们已经不再是孩子了。
だが、ゆゆしいことは多い。あまり知られていないが、今年は「国連識字の10年」の最終年になる。読み書きの教育も受けられぬ人を減らす区切りの年に、パキスタンでは少女銃撃という蛮行が起きた
然而,有很多情况非同寻常。有一件事或许并不被人知晓,今年是“联合国扫盲10年”的最后一年。就在这旨在减少不能接受读书写字基础教育人数的最后一年里,巴基斯坦发生了一起枪击少女的野蛮事件。
以前、インドの辺境へ支援に入った日本の女性が、現地の文字を書いたら驚かれた、と言っていた。外国人が書くからではない。「女が字を書く」からだった。貧困や因習で、とりわけ女子が就学できない理不尽が世界に残る
之前,听说过这么一桩事, 当看到进入印度边境地区进行救援活动的日本女性书写当地文字的时候,大家都惊呆了。这并不是因为出自一名外国人之手,而是因为“女人写字”的缘故。由于贫困以及陋习,特别是女子不能上学。真没想到世界上尽然还存在着这种毫无道理的现象。
字が読める母親の子は、乳幼児で死ぬ割合がかなり低くなると、先の本紙「私の視点」の寄稿に教えられた。識字は人が人らしく生きる拠(よ)りどころ。尊厳と言っても過言ではない
不久前, 本报“我的视点”栏目中刊登的一则来搞告诉我们说,认字的母亲其子女在哺乳期死亡的比率很低。识字是人正常生活的基础,称之为尊严并不为过。
長倉さんの写真を眺めていると、谷川俊太郎さんの詩が浮かぶ。〈子どもはなおもひとつの希望/このような屈託の時代にあっても……〉。学校に通えない子は地球上に6700万人を数える。数字は国際社会の恥であるとともに、大人の大罪を訴えてやまない。
望着长仓先生拍摄的照片,不由地想到了谷川俊太郎先生的诗歌,〈儿童仍然是一种希望/即便生活在如此纷扰的时代……〉。在这个地球上,不能到学校学习的孩子竟多达6700万。这一数字是国际社会的耻辱,同时,正无声地控诉着成人们犯下的极大罪恶。