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看日本风情学日语:横滨中华街(中日对照)

作者:来源  来源:中華街風水   更新:2015-5-14 11:39:20  点击:  切换到繁體中文

 

「媽祖(まそ)」とは、およそ千年前の北宋時代に実在した福建省林氏の娘です。生まれて一ヶ月も泣き声をあげないため、「林黙娘(りんもうにゃん)」と名づけられました。幼いときから才知に長け、10歳のころには朝晩欠かさず念仏を唱え、16歳で神から銅製の札を授けられたといわれています。28歳で早世するまで、札の力で悪や災いを退け病を癒す彼女を人々は、「通玄の霊女」と尊敬の意をこめて呼ぶようになりました。


“妈祖”原本是曾实际生活在大约距今千年前的北宋时代的福建省一林氏女子。因为出生后过了一个月也没哭出声来,被命名为“林默娘”。她年少即聪慧过人,10岁时就能早晚不断地念佛号,相传16岁时曾从神明那接受了铜护符。直到28岁时去世为止,她以护符的神力消灾免难、治愈百病,被满怀敬意的百姓称呼为“通玄灵女。”


やがて、福建省田海辺の郷土神となり、宋代の元祐2年(1087)、泉州が貿易港として開港され、市舶司(貿易管理機構)を設置するようになったことから水軍、海軍の信仰が盛んになり、たちまち福建省浙江省一帯に広まりました。元代に入ると、揚子江以南から現在の北京である燕京(えんきょう)への米穀輸送船の遭難を頻繁に救い、朝廷から「天妃(てんぴ)」という封号と呼ばれる贈り名を受け、航海守護神化され船ごとに祀られるようになりました。


不久,她成为福建省田海边的乡土神,宋代元佑2年(1087),泉州作为贸易口岸开港,由于设置了市舶司(掌管贸易的机构),水军、海军的信仰盛行,很快波及福建省浙江省一带。入元以后,因为常常解救长江以南输往燕京(即现在的北京)途中遇难的漕运船,她被朝廷赐予“天妃”这一封号,化身为航运守护神常被船家祭祀。


こうしたことから、祠廟(しびょう)」には、天妃、天后または民間の称号である媽祖を冠して名づけられることが多くなりました。近代に入ると、信仰者の願望に従い、女神でもあることから次第に誕生、育児、疾病などを祈る家庭神に変化しています。


因为这样,祠庙常被冠名天妃、天后或是其民间称号“妈祖”。到了近代,按照信徒的心愿,因为又是女神的关系,逐渐演变成为诞生、育儿、疾病祈祷的家庭神。


横浜にも140年前には清国領事館と初代の関帝廟に祀られた記録があり、平成17年(2005)にそれまでマンション用地であった南門シルクロードの一角を有志が土地を買収し、計画通り2006年3月17日に横浜媽祖廟として開廟しました。


横滨也遗存有140年前(妈祖)在清朝领事馆和第一代关帝庙被祭祀的记录,平成17年(2005),有志者购买了以前曾是公馆用地的南门丝绸路一角,按计划横滨妈祖庙已于2006年3月17日开庙。




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