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鲁迅《鸭的喜剧》(日汉对照)

作者:佚名  来源:weilan.com.cn   更新:2015-4-10 21:13:20  点击:  切换到繁體中文

 

ロシヤの盲目詩人エロシンコ君が、彼の六|絃琴(げんきん)を携えて北京(ペキン)に来てから余り久しいことでもなかった。彼はわたしに苦痛を訴え


「淋しいな、淋しいな、沙漠の上にある淋しさにも似て」


これは全く真実の感じだ。しかしわたしは未(いま)だかつて感得したことが無い。わたしは長くここに住んでいるから「芝蘭(しらん)の室に入れば久しうしてその香を聞かず」ただ非常に騒々しく思う。しかしわたしのいわゆる騒々しさは、彼のいわゆる淋しさかもしれない。


俄国的盲诗人爱罗先珂君带了他那六弦琴到北京之后不久,便向我诉苦说“寂寞呀,寂寞呀,在沙漠上似的寂寞呀!”


这应该是真实的,但在我却未曾感得;我住得久了,“入芝兰之室,久而不闻其香”,只以为很是嚷嚷罢了。然而我之所谓嚷嚷,或者也就是他之所谓寂寞罢。


わたしは北京にいると、春と秋がないように感じるが、長く北京にいる人の話では、ここでは先(せん)にはこんなに暖かいことがなかった。地気が北転しているのだという。しかしわたしにはどうしても春と秋が無いように思われる。冬の末と夏の初めが受け継ぎ受け渡され、夏が去ったかと思うとすぐに冬が始まる。


ある日、すなわちこの冬の末、夏の初めの夜間であった。わたしはたまたま暇を得たのでエロシンコ君を訪問した。彼はずっと仲密(ちゅうみつ)君の屋敷の中に住んでいたが、この時一家の人は皆|睡(ねむ)っていたので、天下は至極安静であった。彼は独り自分の臥榻(ねいす)の上に凭(もた)れて、黄金色(きんいろ)の長髪の間にはなはだ高い眉がしらをやや皺(しわ)めて、旧游(きゅうゆう)の地ビルマ、ビルマの夏の夜を偲んでいたのだ。


我可是觉得在北京仿佛没有春和秋。老于北京的人说,地气北转了,这里在先是没有这么和暖。只是我总以为没有春和秋;冬末和夏初衔接起来,夏才去,冬又开始了。


一日就是这冬末夏初的时候,而且是夜间,我偶而得了闲暇,去访问爱罗先珂君。他一向寓在仲密君的家里;这时一家的人都睡了觉了,天下很安静。他独自靠在自己的卧榻上,很高的眉棱在金黄色的长发之间微蹙了,是在想他旧游之地的缅甸,缅甸的夏夜。


「こんな晩だ」


と彼は言った。


「ビルマはどこもかしこも皆音楽だ。部屋の間、草の間、樹の上、みな昆虫の吟詠があっていろいろの音色が合奏し、いとも不思議な感じがする。その間に時々蛇の声も交って『シュウシュウ』と鳴いて蟲の声に合せるのではないか……」


彼はあの時の気分を追想するかのように想い沈んだ。


わたしは開いた口が塞がらなかった。こんな奇妙な音楽は、確かに北京では、未だかつて聴いたことがないのだから、いかに愛国心を振起しても弁護することは出来ない。彼は眼こそ見えないが、耳は聾(つんぼ)ではない。


“这样的夜间,”他说,“在缅甸是遍地是音乐。房里,草间,树上,都有昆虫吟叫,各种声音,成为合奏,很神奇。其间时时夹着蛇鸣:‘嘶嘶!’可是也与虫声相和协……”他沉思了,似乎想要追想起那时的情景来。


我开不得口。这样奇妙的音乐,我在北京确乎未曾听到过,所以即使如何爱国,也辩护不得,因为他虽然目无所见,耳朵是没有聋的。


「北京には蛙の鳴声さえない……」


と、彼は嘆息した。この嘆息はわたしを勇猛ならしめ


「蛙の鳴声ならありますよ」


と、早速抗議を持出した。


「夏になって御覧なさい。大雨のあとで、あなたは蒼蝿(うるさ)いほど蝦蟇(がま)の叫びを聴き出すでしょう。あれは皆|溝(どぶ)の中に住んでいるのです。北京にはどこにも溝がありますからね」


「おお……」


“北京却连蛙鸣也没有……”他又叹息说。


“蛙鸣是有的!”这叹息,却使我勇猛起来了,于是抗议说,“到夏天,大雨之后,你便能听到许多虾蟆叫,那是都在沟里面的,因为北京到处都有沟。”


“哦……”


幾日か過ぎると、わたしの話は明かに実証された。エロシンコ君はその時もう、いくつかのお玉杓子を買って来た。買って来ると彼は窓外(そうがい)の庭の中程にある小さな池の中に放した。その池は長さ三尺、濶(ひろ)さ二尺ぐらい、仲密君が蓮の花を植えるために掘ったもので、この池の中からかつて半朶(はんだ)の蓮の花を見出すことが出来なかったが、蝦蟇を飼うには実に持って来いの場所であった。お玉杓子は常に隊を組み群をなして水の中に游泳している。エロシンコ君は暇さえあると、彼等を訪問していたが、時に依ると子供等が


「エロシンコ先生、彼等に足が生えましたよ」と告げると、彼は非常に嬉しそうに


「おお……」


と、微笑むのであった。


それはそうと池沼を養成した音楽家エロシンコ君はたしかに一つの事業家であった。彼は本来みずから働いてみずから食うことを主張した。常に女は牧畜をなし男は田を耕すべしと主張して、たまたまごく親しい友達に逢うと彼は邸内に白菜の種を蒔けと勧めた。またしばしば仲密夫人に勧告して、蜂を飼え、鶏(とり)を飼え、牛を飼え、駱駝(らくだ)を飼えとさえいうのだ。あとで果して仲密君の屋敷内に群鶏が雑居して庭じゅうを飛び廻り、地面の上に敷かれた美しい錦の若葉を無残にも喙(ついば)み尽した。たいていこれはエロシンコ君の勧告の結果だろうと思われる。


过了几天,我的话居然证实了,因为爱罗先珂君已经买到了十几个科斗子。他买来便放在他窗外的院子中央的小池里。那池的长有三尺,宽有二尺,是仲密所掘,以种荷花的荷池。从这荷池里,虽然从来没有见过养出半朵荷花来,然而养虾蟆却实在是一个极合式的处所。科斗成群结队的在水里面游泳;爱罗先珂君也常常踱来访他们。有时候,孩子告诉他说,“爱罗先珂先生,他们生了脚了。”他便高兴的微笑道,“哦!”


然而养成池沼的音乐家却只是爱罗先珂君的一件事。他是向来主张自食其力的,常说女人可以畜牧,男人就应该种田。所以遇到很熟的友人,他便要劝诱他就在院子里种白菜;也屡次对仲密夫人劝告,劝伊养蜂,养鸡,养猪,养牛,养骆驼。后来仲密家果然有了许多小鸡,满院飞跑,啄完了铺地锦的嫩叶,大约也许就是这劝告的结果了。


それから田舎者はしょっちゅうやって来て、一遍に何羽となく買ってもらう。というのは鶏(にわとり)は食い過ぎたり発熱したりしやすく、なかなか長寿を得難いからだ。しかもその中の一羽は、エロシンコ君が北京滞在中作った唯一の小説、「小鶏の悲劇」の中の主人公とさえなった。ある日の午前、その田舎者は珍しくも小鴨をたくさん持って来てピヨピヨと鳴いている。仲密夫人は要らないと断ったが、エロシンコ君が出て来たので、彼等はエロシンコ君の両手の中に小鴨を一つ置くと、小鴨は両手の中でピヨピヨと鳴き出したので、とても可愛らしくなって買わずにはいられなくなった。一つが八十文で、一遍に四つも買った。


小鴨はとても可愛らしい。身体じゅうが松花(まつはな)のように黄ばんで、地面の上に置くとひょろひょろと歩き出し、互に呼び交し、いつも一所に集ってピヨピヨと鳴いている。一同は喜んで明日は鰌(どじょう)を買ってやりましょうと言った。エロシンコ君はその銭は乃公(おれ)が出すと言った。


从此卖小鸡的乡下人也时常来,来一回便买几只,因为小鸡是容易积食,发痧,很难得长寿的;而且有一匹还成了爱罗先珂君在北京所作唯一的小说《小鸡的悲剧》里的主人公。有一天的上午,那乡下人竟意外的带了小鸭来了,咻咻的叫着;但是仲密夫人说不要。爱罗先珂君也跑出来,他们就放一个在他两手里,而小鸭便在他两手里咻咻的叫。他以为这也很可爱,于是又不能不买了,一共买了四个,每个八十文。


小鸭也诚然是可爱,遍身松花黄,放在地上,便蹒跚的走,互相招呼,总是在一处。大家都说好,明天去买泥鳅来喂他们罢。爱罗先珂君说,“这钱也可以归我出的。”


エロシンコ君は本を教えに出掛けたので、皆そこを離れた。仲密夫人は鴨に食わせるために冷飯を持って来たが、遠くの方でパシャパシャと水音がしたので、行ってみると、その四つの鴨が蓮の池の中で行水をつかっていた。彼等はさかとんぼを打ったり、何か食べたりしていたようで<



 

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