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鲁迅《狂人日记》(日汉对照)(六)

作者:佚名  来源:weilan.com.cn   更新:2015-4-10 21:13:20  点击:  切换到繁體中文

 

彼等は皆陳老五に追払われてしまった。陳老五はわたしに勧めて部屋に帰らせた。部屋の中は真暗で横梁(よこはり)と椽木(たるき)が頭の上で震えていた。しばらく震えているうちに、大(おおい)に持上ってわたしの身体の上に堆積した。


何という重みだろう。撥ね返すことも出来ない。彼等の考は、わたしが死ねばいいと思っているのだ。わたしはこの重みが(うそ)であることを知っているから、押除(おしの)けると、身体中の汗が出た。しかしどこまでも言ってやる。


「お前はすぐに改心しろ、真心から改心しろ、ウン解ったか。人を食う奴は将来容れられるはずがない」


那一伙人,都被陈老五赶走了。大哥也不知哪里去了。陈老五劝我回屋子里去。屋里面全是黑沉沉的。横梁和椽子都在头上发抖;抖了一会,就大起来,堆在我身上。


万分沉重,动弹不得;他的意思是要我死。我晓得他的沉重是假的,便挣扎出来,出了一身汗。可是偏要说,


“你们立刻改了,从真心改起!你们要晓得将来是容不得吃人的人,……”


一一


太陽も出ない。門も開かない。毎日二度の御飯だ。


わたしは箸をひねってアニキの事を想い出した。解った。妹の死んだ訳も全く彼だ。あの時妹はようやく五歳になったばかり、そのいじらしい可愛らしい様子は今も眼の前にある。母親は泣き続けていると、彼は母親に勧めて、泣いちゃいけないと言ったのは、大方自分で食ったので、泣き出されたら多少気の毒にもなる。しかし果して気の毒に思うかしら……


太阳也不出,门也不开,日日是两顿饭。


我捏起筷子,便想起我大哥;晓得妹子死掉的缘故,也全在他。那时我妹子才五岁,可爱可怜的样子,还在眼前。母亲哭个不住,他却劝母亲不要哭;大约因为自己吃了,哭起来不免有点过意不去。如果还能过意不去,……


妹はアニキに食われた。母は妹が無くなったことを知っている。わたしはまあ知らないことにしておこう。


母も知ってるに違いない。が泣いた時には何にも言わない。大方当り前だと思っているのだろう。そこで想い出したが、わたしが四五歳の時、堂前に涼んでいるとアニキが言った。親の病には、子たる者は自ら一片(ひときれ)の肉を切取ってそれを煮て、親に食わせるのが好(よ)き人というべきだ。母もそうしちゃいけないとは言わなかった。一片食えばだんだんどっさり食うものだ。けれどあの日の泣き方は今想い出しても、人の悲しみを催す。これはまったく奇妙なことだ。 妹子是被大哥吃了,母亲知道没有,我可不得而知。


母亲想也知道;不过哭的时候,却并没有说明,大约也以为应当的了。记得我四五岁时,坐在堂前乘凉,大哥说爷娘生病,做儿子的须割下一片肉来,煮熟了请他吃,才算好人;母亲也没有说不行。一片吃得,整个的自然也吃得。但是那天的哭法,现在想起来,实在还叫人伤心,这真是奇极的事.


一二


想像することも出来ない。


四千年来、時々人を食う地方が今ようやくわかった。わたしも永年(ながねん)その中に交っていたのだ。アニキが家政のキリモリしていた時に、ちょうど妹が死んだ。彼はそっとお菜の中に交ぜて、わたしどもに食わせた事がないとも限らん。


わたしは知らぬままに何ほどか妹の肉を食わない事がないとも限らん。現在いよいよ乃公の番が来たんだ……


四千年間、人食いの歴史があるとは、初めわたしは知らなかったが、今わかった。真の人間は見出し難い。


不能想了。


四千年来时时吃人的地方,今天才明白,我也在其中混了多年;大哥正管着家务,妹子恰恰死了,他未必不和在饭菜里,暗暗给我们吃。


我未必无意之中,不吃了我妹子的几片肉,现在也轮到我自己……


有了四千年吃人履历的我,当初虽然不知道,现在明白,难见真的人!


一三


人を食わずにいる子供は、あるいはあるかもしれない。


救えよ救え。子供……


没有吃过人的孩子,或者还有?


救救孩子……



 

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