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鲁迅《狂人日记》(日汉对照)(五)

作者:佚名  来源:weilan.com.cn   更新:2015-4-10 21:13:20  点击:  切换到繁體中文

 


自分で人を食えば、人から食われる恐れがあるので、皆疑い深い目付をして顔と顔と覗き合う。この心さえ除き去れば安心して仕事が出来、道を歩いても飯を食っても睡眠しても、何と朗らかなものであろう。ただこの一本の閾(しきい)、一つの関所があればこそ、彼らは親子、兄弟、夫婦、朋友、師弟、仇敵、各々相|識(し)らざる者までも皆一団にかたまって、互に勧め合い互に牽制し合い、死んでもこの一歩を跨ぎ去ろうとはしない。


自己想吃人,又怕被别人吃了,都用着疑心极深的眼光,面面相觑。……


去了这心思,放心做事走路吃饭睡觉,何等舒服。这只是一条门槛,一个关头。他们可是父子兄弟夫妇朋友师生仇敌和各不相识的人,都结成一伙,互相劝勉,互相牵掣,死也不肯跨过这一步。


一〇


朝早くアニキの所へ行ってみると、彼は堂門の外で空を眺めていた。わたしは彼の後ろから近寄って門前に立ち塞がり、いとも静かにいとも親しげに彼に向って言った。


「兄さん、わたしはあなたに言いたいことがある」


「お前、言ってごらん」


彼は顔をこちらに向けて頭を動かした。


「わたしは二つ三つ話をすればいいのだが、旨く言い出せるかしら。兄さん、大抵初めの野蛮人は皆人を食っていた。後になると心の持方が違って来て、中には人を食わぬ者もあり、その人達は質(たち)のいい方で人間に成り変り、真の人間に成り変った。またある者は虫ケラ同様にいつまでも人を食っていた。またある者は魚鳥や猿に変化し、それから人間に成り変った。またある者は善いことをしようとは思わず、今でもやはり虫ケラだ。この人を食う人達は人を食わぬ人達に比べてみると、いかにも忌わしい愧(は)ずべき者ではないか。おそらく虫ケラが猿に劣るよりももっと甚だしい。


易牙(えきが)が彼の子供を蒸して桀紂(けっちゅう)に食わせたのはずっと昔のことで誰だってよくわからぬが、盤古が天地を開闢(かいびゃく)してから、ずっと易牙の時代まで子供を食い続け、易牙の子からずっと徐錫林(じょしゃくりん)まで、徐錫林から狼村で捉まった男までずっと食い続けて来たのかもしれない。去年も城内で犯人が殺されると、癆症(ろうしょう)病みの人が彼の血を饅頭に(ひた)して食った。


大清早,去寻我大哥;他立在堂门外看天,我便走到他背后,拦住门,格外沉静,格外和气的对他说,


“大哥,我有话告诉你。”


“你说就是,”他赶紧回过脸来,点点头。


“我只有几句话,可是说不出来。大哥,大约当初野蛮的人,都吃过一点人。后来因为心思不同,有的不吃人了,一味要好,便变了人,变了真的人。有的却还吃,——也同虫子一样,有的变了鱼鸟猴子,一直变到人。有的不要好,至今还是虫子。这吃人的人比不吃人的人,何等惭愧。怕比虫子的惭愧猴子,还差得很远很远。


“易牙蒸了他儿子,给桀纣吃,还是一直从前的事。谁晓得从盘古开辟天地以后,一直吃到易牙的儿子;从易牙的儿子,一直吃到徐锡林;从徐锡林,又一直吃到狼子村捉住的人。去年城里杀了犯人,还有一个生痨病的人,用馒头蘸血舐。


あの人達がわたしを食おうとすれば、全くあなた一人では法返しがつくまい。しかし何も向うへ行って仲間入をしなければならぬということはあるまい。あの人達がわたしを食えばあなたもまた食われる。結局仲間同志の食い合いだ。けれどちょっと方針を変えてこの場ですぐに改めれば、人々は太平無事で、たとい今までの仕来(しきた)りがどうあろうとも、わたしどもは今日(こんにち)特別の改良をすることが出来る。なに、出来ないと被仰(おっしゃる)るのか。兄さん、あなたがやればきっと出来ると思う。こないだ小作人が減租を要求した時、あなたが出来ないと撥ねつけたように」


最初彼はただ冷笑するのみであったが、まもなく眼が気味悪く光って来て、彼等の秘密を説き破った頃には顔じゅうが真青になった。表門の外には大勢の人が立っていて、趙貴翁と彼の犬もその中に交って皆恐る恐る近寄って来た。ある者は顔を見られぬように頬かぶりをしていたようでもあった。ある者はやはりいつもの青面(あおづら)で出歯(でっぱ)を抑えて笑っていた。わたしは彼等が皆一つ仲間の食人種であることを知っているが、彼等の考(かんがえ)が皆一様でないことも知っている。その一種は昔からの仕来りで人を食っても構わないと思っている者で、他の一種は人を食ってはいけないと知りながら、やはり食いたいと思っている者である。彼等は他人に説破されることを恐れているのでわたしの話を聞くとますます腹を立て口を尖らせて冷笑している。


“他们要吃我,你一个人,原也无法可想;然而又何必去入伙。吃人的人,什么事做不出;他们会吃我,也会吃你,一伙里面,也会自吃。但只要转一步,只要立刻改了,也就人人太平。虽然从来如此,我们今天也可以格外要好,说是不能!大哥,我相信你能说,前天佃户要减租,你说过不能。”


当初,他还只是冷笑,随后眼光便凶狠起来,一到说破他们的隐情,那就满脸都变成青色了。大门外立着一伙人,赵贵翁和他的狗,也在里面,都探头探脑的挨进来。有的是看不出面貌,似乎用布蒙着;有的是仍旧青面獠牙,抿着嘴笑。我认识他们是一伙,都是吃人的人。可是也晓得他们心思很不一样,一种是以为从来如此,应该吃的;一种是知道不该吃,可是仍然要吃,又怕别人说破他,所以听了我的话,越发气愤不过,可是抿着嘴冷笑。


この時アニキはたちまち兇相を現わし、大喝一声した。


「皆出て行け、気狂(きちがい)を見て何が面白い」


同時にわたしは彼等の巧妙な手段を悟った。彼等は改心しないばかりか、すでに用心深く手配して気狂という名をわたしにかぶせ、いずれわたしを食べる時に無事に辻褄を合せるつもりだ。衆(みな)が一人の悪人を食った小作人の話もまさにこの方法で、これこそ彼等の常用手段だ。


陳老五は憤々(ぷんぷん)しながらやって来た。どんなにわたしの口を抑えようが、わたしはどこまでも言ってやる。


「お前達は改心せよ。真心から改心せよ。ウン、解ったか。人を食う人は将来世の中に容れられず、生きてゆかれるはずがない。お前達が改心せずにいれば、自分もまた食い尽されてしまう。仲間が殖(ふ)えれば殖えるほど本当の人間に依って滅亡されてしまう。猟師が、狼を狩り尽すように――虫ケラ同様に」


这时候,大哥也忽然显出凶相,高声喝道,


“都出去!疯子有什么好看!”


这时候,我又懂得一件他们的巧妙了。他们岂但不肯改,而且早已布置;预备下一个疯子的名目罩上我。将来吃了,不但太平无事,怕还会有人见情。佃户说的大家吃了一个恶人,正是这方法。这是他们的老谱! 陈老五也气愤愤的直走进来。如何按得住我的口,我偏要对这伙人说,


“你们可以改了,从真心改起!要晓得将来容不得吃人的人,活在世上。


“你们要不改,自己也会吃尽。即使生得多,也会给真的人除灭了,同猎人打完狼子一样!——同虫子一样!”



 

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