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鲁迅《阿Q正传》(日汉对照)(十六)

作者:佚名  来源:weilan.com.cn   更新:2015-4-10 21:06:26  点击:  切换到繁體中文

 

第七章 革命


宣統(せんとう)三年九月十四日――すなわち阿Qが搭連を趙白眼に売ってやったその日――真夜中過ぎに一つの大きな黒苫(くろとま)の船が趙屋敷の河添いの埠頭に著いた。この船は黒暗(くらやみ)の中に揺られて来た。村人はぐっすり寝込んでいたので、皆知らなかった。出て行(ゆ)く時は明け方近かったがそれがかえって人目を引いた。こっそり調べ出した結果に拠ると、船は結局挙人老爺の船であると知れた。


この船はとりもなおさず大不安を未荘に運んでくれて、昼にもならぬうちに全村の人心は非常に動揺した。船の使命はもとより趙家の極秘であったが、茶館や酒屋の中では、革命党が入城するので、挙人老爺がわれわれの田舎に避難して来たと、皆言った。ただ鄒七嫂だけはそうとは言わず、あれは詰らぬガラクタ道具や襤褸(ぼろ)著物を入れた箱で挙人老爺が保管を頼んで来たが、趙太爺が突返してしまったんですと言った。実際挙人老爺と趙秀才はもとからあんまり仲のいい方ではないので「しん身の泣き寄り」などするはずがない。まして鄒七嫂は趙家の隣にいるので見聞(けんもん)が割合に確実だ。だから大概彼女の言うことには間違いがない。


宣统三年九月十四日——即阿Q将搭连卖给赵白眼的这一天——三更四点,有一只大乌篷船到了赵府上的河埠头。这船从黑魆魆中荡来,乡下人睡得熟,都没有知道;出去时将近黎明,却很有几个看见的了。据探头探脑的调查来的结果,知道那竟是举人老爷的船!


那船便将大不安载给了未庄,不到正午,全村的人心就很动摇。船的使命,赵家本来是很秘密的,但茶坊酒肆里却都说,革命党要进城,举人老爷到我们乡下来逃难了。惟有邹七嫂不以为然,说那不过是几口破衣箱,举人老爷想来寄存的,却已被赵太爷回复转去。其实举人老爷和赵秀才素不相能,在理本不能有“共患难”的情谊,况且邹七嫂又和赵家是邻居,见闻较为切近,所以大概该是伊对的。


そういうものの、謡言(ようげん)はなかなか盛んだ。挙人老爺は自身来たわけではないが長い手紙を寄越して趙家と「仲直り」をしたらしい。趙太爺は腹の中が一変して、どうしても彼に悪い処がないと感じたので箱を預り、現に趙太太の床(とこ)の下を塞いでいる。革命党のことについては、彼等はその晩城に入って、どれもこれも白鉢巻、白兜で、崇正(すうせい)皇帝の白装束を著ていたという。


阿Qの耳朶の中にも、とうから革命党という話を聞き及んで、今年また眼(ま)ぢかに殺された革命党を見た。彼はどこから来たかしらん、[#「、」は底本では「。」]一種の意見を持っていた。革命党は謀反人だ、謀反人は俺はいやだ、悪(にく)むべき者だ、断絶すべき者だ、と一途にこう思っていた。ところが百里の間に名の響いた挙人老爺がこの様に懼(おそ)れたときいては、彼もまたいささか感心させられずにはいられない。まして村鳥のような未荘の男女が慌て惑う有様は、彼をしていっそう痛快ならしめた。


「革命も好(よ)かろう」と阿Qは想った。


「ここらにいる馬鹿野郎どもの運命を革(あらた)めてやれ。恨むべき奴等だ。憎むべき奴等だ……そうだ、乃公も革命党に入ってやろう」


然而谣言很旺盛,说举人老爷虽然似乎没有亲到,却有一封长信,和赵家排了“转折亲”。赵太爷肚里一轮,觉得于他总不会有坏处,便将箱子留下了,现就塞在太太的床底下。至于革命党,有的说是便在这一夜进了城,个个白盔白甲:穿着崇正皇帝的素。


阿Q的耳朵里,本来早听到过革命党这一句话,今年又亲眼见过杀掉革命党。但他有一种不知从那里来的意见,以为革命党便是造反,造反便是与他为难,所以一向是“深恶而痛绝之”的。殊不料这却使百里闻名的举人老爷有这样怕,于是他未免也有些“神往”了,况且未庄的一群鸟男女的慌张的神情,也使阿Q更快意。 “革命也好罢,”阿Q想,“革这伙妈妈的命,太可恶!太可恨!……便是我,也要投降革命党了。”


阿Qは近来生活の費用に窘(くる)しみ内々かなりの不平があった。おまけに昼間飲んだ空(す)き腹(ばら)の二杯の酒が、廻れば廻るほど愉快になった。そう思いながら歩いていると、身体がふらりふらりと宙に浮いて来た。どうした機(はずみ)か、ふと革命党が自分であるように思われた。未荘の人は皆彼の俘虜(とりこ)となった。彼は得意のあまり叫ばずにはいられなかった。


「謀反だぞ、謀反だぞ」


未荘の人は皆|恐懼(きょうく)の眼付で彼を見た。こういう風な可憐な眼付は、阿Qは今まで見たことがなかった。ちょっと見たばかりで彼は六月氷を飲んだようにせいせいした。彼はいっそう元気づいて歩きながら怒鳴った。


「よし、……乃公がやろうと思えばやるだけの事だ。乃公が気に入った奴は気に入った奴だ。


タッタ、ヂャンヂャン。


後悔するには及ばねえ。酔うて錯(あやま)り斬る鄭賢弟(ていけんてい)。


後悔するには及ばねえ。ヤーヤーヤー………


タッタ、ヂャンヂャン、ドン、ヂャラン、ヂャン。


乃公は鉄の鞭でてめえ達を叩きのめすぞ……」


趙家の二人の旦那と本家の二人の男は、表門の入口に立って革命のことで大論判(だいろっぱん)していた。阿Qはそれに目も呉れず頭をもちゃげてまっすぐに過ぎ去った。


阿Q近来用度窘,大约略略有些不平;加以午间喝了两碗空肚酒,愈加醉得快,一面想一面走,便又飘飘然起来。不知怎么一来,忽而似乎革命党便是自己,未庄人却都是他的俘虏了。他得意之余,禁不住大声的嚷道:


“造反了!造反了!”


未庄人都用了惊惧的眼光对他看。这一种可怜的眼光,是阿Q从来没有见过的,一见之下,又使他舒服得如六月里喝了雪水。他更加高兴的走而且喊道:


“好,……我要什么就是什么,我欢喜谁就是谁。


得得,锵锵!


悔不该,酒醉错斩了郑贤弟,


悔不该,呀呀呀……


得得,锵锵,得,锵令锵!


我手执钢鞭将你打……”


赵府上的两位男人和两个真本家,也正站在大门口论革命。阿Q没有见,昂了头直唱过去。


「ドンドン……」


「Q(キュー)さま」と趙太爺はおずおずしながら小声で彼を喚びとめた。


「ヂャンヂャン」阿Qは彼の名前の下に、「さま」という字が繋がって来ようとは、まさか思いも依ら[#底本ではここに不要な「「」]なかった。これは外の話で自分と関係がないと思ったから、ただ「ドンチャン、ドンチャン、ヂャラン、ヂャンヂャン」と言っていた。


「Qさん」


「思切ってやっつけろ……」


「阿Q!」秀才は仕方なしにもとの通りにその名を喚んだ。


“得得,……”


“老Q,”赵太爷怯怯的迎着低声的叫。


“锵锵,”阿Q料不到他的名字会和“老”字联结起来,以为是一句别的话,与己无干,只是唱。“得,锵,锵令锵,锵!”


“老Q。”


“悔不该……”


“阿Q!”秀才只得直呼其名了。



 

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