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桜と牡丹

作者:未知  来源:贯通论坛   更新:2005-9-18 8:36:00  点击:  切换到繁體中文

 

西園寺 一晃

 前々回のコラムで王京さんと五十川さんが桜について書いていました。今日は4月15日、東京の桜は散りはじめ、いたる所で花吹雪が見られます。 世の中の不景気を吹き飛ばすような染井吉野の艶姿を見ているうちに、私はかつて北京で友人と交わした花談義を思い出しました。 私は中学校3年から大学を卒業するまで、10年間を北京で過ごしました。当時の中国は政治運動の連続で、経済的にも大変貧しい時代でした。東西冷戦の最中で、緊張した毎日でしたが、それでも学生たちはそれなりに生活をエンジョイしていました。当時の中国は外国との交流はあまりありませんでした。でも周りの学生たちは結構外国のことを知っていて、日本人の桜好きのことも知っていました。
 北京大学在学中の春のある日、学友の1人がおもしろい議論をふっかけてきました。

 「やっぱり日本人は桜そのものだな、国民性といい、思考方法といいまさに桜だ。ところで君は中国人を花にたとえればなんの花だと思う」というのです。私たちは「花と国民性」について大いに議論しました。

 彼の意見によると、日本人は桜、中国人は牡丹だといいます。桜はパッと咲いてパッと散る、咲くときも一緒、散るときも一緒。散り方が美しい。一輪一輪の花はこれといった特徴はなく、目立たないが、樹全体、林全体の花となると圧倒されるような華麗さと迫力がある。つまり日本人は、行動様式が集団主義的で、規律を重んじ、集団からはみ出すことはしない。1人ひとりの個性はないが、集団では大きな力を発揮するというのです。

 一方中国人は、個性が強くあまり集団行動は好まない。他人と同じことをするより独創的なことをしたいという意識が強い。牡丹という花は、同じ木の花でも咲く時期は一緒ではないし、形や色が微妙に違う。同じ木の花同士妍を競う。だから中国人的だというのです。

 たしかに日本人はあまり自己主張はしませんし、議論が下手だといわれています。それに比べ中国人の議論好きには定評があります。彼の「中国の指導者は大変だよ、何億という個性の固まりをまとめなければならないのだからね」といって笑った顔が印象に残っています。

 時代が進み、世代が変わる中で、「桜」の日本人は変わりつつあります。たとえば会社というのは1つの集団ですが、古い世代はこの集団のために個人や家庭を犠牲にしてまで粉骨砕身働いてきました。公休をとるのも何となく後ろめたさを感じるほど「会社人間」が多かったのです。今の若い社員は組織に縛られるのを嫌います。もちろん公休は権利として堂々ととります。前は年に1,2度あった社員旅行は、最近あまりしなくなりました。若い人が嫌がるからです。旅行は個人で、あるいは気のあった者同士で行くべきであり、個人の時間を制約されたくないという理由です。堂々と自己主張する人も増えました。これは決して悪いことではないと思いますが、やはり年配者の中には何となく割り切れない人がいることも事実です。これは良い悪いというよりジェネレーション・ギャップでしょう。

 「牡丹」の中国はどうでしょうか。「新人類」という言葉も生まれるほど、やはり世代間の考え方や習慣の違いは大きくなっていると聞きます。

 絢爛(けんらん)たる中華文明にはぐくまれた中国人と、その文明から大きな影響を受けた日本人。しかし若い世代は本来の伝統的文化に加え、グローバリズムが席巻する中で、さまざまな文化の影響を受けるのは必至です。新しい中国人と日本人の誕生です。

 私はいくら時代が変わり、世代が変わっても、「桜」と「牡丹」はそれぞれよき伝統は引き継いでもらいたいし、なによりも仲良くしてもらいたいと切に願います。日中の友好と協力はアジアの安定と平和の基礎ですから。

西園寺 一晃 (朝日新聞)  



樱花与牡丹  西园寺 一晃

  上上次的栏目中,王京和五十川就樱花畅谈了各自的感受。今天是4月15日了,东京的樱花已经开始凋零,到处落“樱”缤纷。
  欣赏着怒放的染井吉野樱花直欲把世间的不景气吹得云飞雾散似的艳姿,我想起了在北京曾经和朋友进行的一场关于花的清谈。

  从中学三年到大学毕业,我在北京住了十年。当时的中国,政治运动不断,经济也极为困难。而且,正值东西方冷战,每天都很紧张。但是,学生们还是以自己的方式享受着生活。当时的中国与海外几乎没有交流,可周围的同学对外国的情况知道得并不少,也知道日本人喜欢樱花。

  在北京大学上学的一个春天,一天,一位同学向我提起一个很有意思的话题。

  “日本人其实就是樱花嘛,国民性也好,思维方式也好,简直就是樱花式的。如果用花来比喻中国人的话,你说用什么花好?”我们就“花与国民性”展开了热烈的议论。

  依他说,日本人是樱,中国人是牡丹。樱花开得快谢得也快,一起开放,一起凋谢。花谢的样子非常美丽。一朵一朵的樱花单看时没有什么特征,不怎么显眼,可是,如果是一棵樱花树、一片樱花林,其华丽和气势能够压倒一切。也就是说,日本人的行为方式属于集团主义,注重纪律,不脱离集体。具体到每个个人,没有什么个性,可是集合起来,就能发挥巨大的力量。

  相反,中国人个性较强,不太喜欢集体行动。倾向独创,不愿与他人雷同。牡丹花即使同处一株,花期不同,花形花色彼此微妙区别,相互竞艳。因此,牡丹更像是中国人。

  的确,一般来说,日本人不太强调自我,不善论辩。相比之下,中国人的好辩是有定评的。 “中国的领导人太难当了,要把几亿充满个性的人拢到一起。”同学说这话时的音容笑貌,至今难忘。

  随着时代进步和世代交替,属“樱”的日本人也在变化。比如说,公司是个大集体,有很多“公司人”为了这个集体,到了可以牺牲个人和家庭,为公司粉身碎骨工作的程度。休个公休日,都要感到有点说不出来的内疚。现在的年轻职员则不同,不愿意受组织束缚,公休日作为自己的权利,堂堂正正地享受。以前公司每年要搞一、两次集体旅行,现在也不怎么搞了,因为年轻人不太喜欢。理由是,旅行应该是个人或者是同合得来的朋友一起去的,个人的时间不希望公司支配。另外,公开坚持自己主张的人也多起来了。我认为这不是坏事,当然同时也要承认,有些上点年纪的人对此多少有些不快也是事实。这不是好与不好的问题,应该说是一种代沟吧。

  属“牡丹”的中国现在如何?我听说,已经到了出现“新人类”的程度,不同世代之间想法和习惯的差异,同样也是越来越大。

  绚烂的中华文明哺育的中国人,受中华文明极大影响的日本人。然而,年轻的一代在接受传统文化的同时,身置国际化浪潮的席卷之中,各种文化必然对他们产生影响。新中国人和新日本人也就由此诞生。

  不管时代怎样变化,世代怎样变化,我殷切希望,“樱花”和“牡丹”能够继承各自的好传统,世世代代,友好相处。因为,日中的友好与合作是亚洲和平与安定的基础。

西园寺 一晃 (朝日新闻)


 

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