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读解问题-6

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2004-5-21 23:54:00  点击:  切换到繁體中文

 

次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 

 

  隣の家の庭にひときわ背の高いカキの木がある。春、カキの新芽がふき出したころのことを思うとすばらしい。あの新緑の葉の色というものは明るく輝かしくて、それを眺めているわたしに、何の心の負担を与えることもない。いや、というより、あの育とうとする力感のこもった葉のさまは逆に勇気づけられるような気持ちを呼びおこす。それは木の枝の吐く(   )のようにわたしには見えた。

  葉がしだいに緑を濃くし、つやもしだいに落ち着いたものに変わっていく。葉はしっかりとしたものになっていく。そうなっていくことに抵抗を感じることはない。そうなるべきものだ、とわたしは思っているらしい。いつまでもありつづけられるはずがないすばらしい状態にわたしはひかれ、それだから執着する。

  しかし、いくら新緑がよろこばしいとしても、同時に、いつまでも新緑のままであっていい、と思っていない。それは変化していって、木の本体を支えるものにならなければならない。新緑の状態は、木の中にある生命力のほとばしりではあるが、それは木にとっての表現であり、木はそのために力を費やしている。木にとって、回収という作業があってこそよろこばしいといえるのであり、そのためには葉はたくましくあらねばならないだろう。また、新緑のすばらしさは、たくましい葉のイメージが、うちに含まれているともいえるだろう。

  秋、熟した果実をねらって野鳥がやってくる。ムクドリが動きまわっているのがよく見える。果実はあちこちで裂かれる。葉はつやを失い、暗くなり、寡黙になっていく。わたしはもはや葉に好意を抱いていない。しなやかさを失った大きな葉に、わたしは心の負担を感じる。葉と枝のあいだにはっきりとした境界を感じる。葉はその境界から切り落とされて落ちていくべきものである。緑の炎と感じたときの木と葉の一体感はどこにいってしまったのか。そして紅葉すると、もうあれが半年前の葉と同じものであるということがはっきり納得できなくなっている。わたしはそのことを思う

 とこわいような気がする。

  しかし、わたしは、はじめと終わりがどれほどかけ離れたものになったとしても、そのカキの木の葉の変化の過程のひとつひとつには、それなりに納得し、それで当然だと思ってきた。今ある成長と疲労についての変化のかたちしか自然ではあり得ない気がする。今年はもうじき冬の木になってしまう。来年もまたこの木の一年を見たい。

 

 問題 (   )にあてはまる最も適当なことばを本文中から抜き出して書きなさい。

 

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