会社の若い女の子たちに、「課長は何がお嫌いですか」とたずねられたり、同僚と酒を飲んでいるときに「きらいものは」と聞かれたりすると、「私はバナナ」と必ず答える。本当にバナナがきらいなのである。見るのも嫌うのだ。
弟がなくなって、もうすぐ三十年になる。大きな病気に入院していた弟が「バナナが食べたい」と言った。そのころバナナは高くて、なかなか食べられなかった。自分の入院のために両親が苦労をしていることを知っていた弟は、「何か食べたいものは」とたずねられでも「ない」と答えていた。その弟が病院の部屋で私と二人だけになったとき「バナナが食べたい」と言った。
次の日から、私は両親にも弟にも言わないでアルバイトを始めた。と言っても高校を休むことはできないから、仕事ができるのは朝と夜だけだ。急に早起きをするようになった理由を聞く両親には、学校のクラブで朝走ることになったからとうそを言って、一ヶ月一生懸命働いた。弟に好きなだけバナナを食べさせてやろう、きっとバナナを見たらうれしそうな顔をするだろう、そう思いながらアルバイト続けた。給料日には、もらった給料を全部持ってデバードへ行った。きれいに飾られた果物売り場で20本ばかりのバナナを買って、まっすぐ病院へ向かった。「それ、どうしたの」不思議そうな顔でたずねる弟に、「バナナが食べたいと言ったから、アルバイトをして……」と説明をした。話を聞いた弟は、「ありがとう」と小さな声で言って、ふとんをかぶってしまった。どうしていいか分からなくなった私が、「食べないのか」と聞くと、「うん。あとで」と弟は答えた。
それから三日も経たないうちに、弟は帰らぬ人になってしまった。学校の先生から「すぐ病院へ」と言われていってみると、もう弟はなくなっていた。なくなる前に「お兄ちゃんが買ってくれた」と売れ悪しそうな顔で、少しだけバナナを食べたそうである。「「おいしい、おいしい」何度もそう言っていたよ」母から聞かされた言葉が、今でも私の耳に残っている。
その時から、私はバナナが嫌いになった。
「嫌いなものは」と聞かれると、「バナナ」と答えるようになった。
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