▼中国、宋の陸游(りくゆう)は梅を愛した詩人だった。「落梅」という詩でこう言っている。桃や李(すもも)がよい季節を選んで咲くのは、それでかまわない。だが氷と雪がきびしく張りつめる大地に、力いっぱい春を甦(よみがえ)らせようとしているのは誰か。梅ではないか――(『陸游』岩波書店)。花の姿に「凜(りん)」の一字が似合うゆえんだろう
▼中国宋朝的诗人陆游是爱梅之人。他在《落梅》这首诗中说道:“桃花和李子花选择大好的时节盛放却也无妨。但是,在漫天雪花、天寒地冻的季节里,拼尽全力呼唤春回大地的是谁?不就是梅花吗?--”(《陆游》岩波书店)。因此,用“凛”字形容此花盛放的姿态尤为贴切。
▼可就是这梅,今年无论在何处都延迟了它的花期。据气象厅观察,东京地区的开放较一般年份晚了15天。立春过后一般称之为“余寒”,可今年在酷寒的大风中索索发抖的日子却没有间断过。北国的花蕾更是不畏降雪的严寒仍在挺身坚持。
▼思えば2月は不思議な月で、光は春なのに冬がきわまる。没後70年、与謝野晶子の詩「二月の街」はうたう。〈春よ春、/街に来てゐる春よ春、/横顔さへもなぜ見せぬ。/春よ春、/うす衣(ぎぬ)すらもはおらずに/二月の肌を惜むのか……〉
▼这么想想,2月真是不可思议的月份,白昼时间已进入春季,然而冬季仍盘踞着不肯离去。与谢野晶子已逝世70年,她曾在诗中这般咏叹道:“春天啊春天/已经降临小镇/春天啊春天/为何不展露侧颜/春天啊春天/甚至不披一件薄薄的外衣/可是怜惜这二月的冰肌……”