夏目漱石の「坊っちゃん」は教師で赴任した四国・松山の地を随分こき下ろす。ある日、宿直の部屋が西日で暑くてたまらない。「田舎だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ」。悪態をつく江戸っ子の坊っちゃんだが、昨今の東京の残暑を知れば考えも変わろう
夏目漱石的“少爷”特别瞧不起作为教师前往任教的四国松山当地。有一天,西晒的太阳把个值班室弄得酷热难耐,惹得这位少爷抱怨说,“乡下就是乡下,即使到了秋天,还得耐心地受着酷热的煎熬。”出言不逊的江户油子小少爷,倘若经历了当今东京的秋老虎的话或许会改变看法。
▼列島の秋暑(しゅうしょ)は厳しく、東京も暑い。きのう仰いだ空は、まだ夏休みの絵日記のような雲を残していた。さすがに朝夕は涼気を含んできたが、日中(ひなか)に歩けば陰がうれしい。街のあちこちに、なお日傘の花が咲く
▼列岛的秋暑可是厉害,东京也热得要命。昨天,抬头仰望着天空,看到了还残留有暑假漫画日记般的云彩。尽管早晚已经凉气袭人,可是在大太阳底下行走的话,真想在树荫下歇一会儿。街头巷尾仍能够看到人们打着的宛如盛开鲜花般的遮阳伞。
▼今ごろの日傘は「秋日傘」という季語になっている。〈秋日傘別れの余情折りたたむ〉中村恭子。夏を見送った一抹の寂しさが言葉にある。だが、この残暑の下、日傘は真夏と変わらぬ活躍だ。秋の足を止めて晩夏が居座っている
▼当前的遮阳伞被称为“秋日伞”,是一个季语。<告别秋日伞,折起趣余情>中村恭子作。字里行间渗透着送别盛夏后所留下的一抹孤寂。在此残暑酷热之下,遮阳伞仍然异常活跃,与盛夏期间并无二致。秋天的脚步举步维艰,而晚夏却迟迟不愿离去。
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