▼保守派と改革派の間を取った人選らしい。新法王をあえて分類すれば、サッカーとタンゴを愛し、バスで通勤する庶民派とか。「友人の枢機卿たちは、世界の果てまで(法王を)探しに行ってしまった」と、第一声も柔らかだった。
据说他是个介于保守派和改革派之间的人选。如果硬要把新教皇分类的话,他应该属于热爱足球和探戈,乘公车上下班的庶民派。他演讲时的第一句话非常温和轻柔,“我的朋友红衣主教们,为了寻找教皇而不惜走到世界的尽头”。
▼果てとは言わないまでも、バチカンを遠く離れた旧スペイン植民地からの就任である。片やポルトガルが支配したブラジルは、今や最大のカトリック国。キリスト教の重心が大西洋を渡り、南に下った印象だ。
虽不至于说是世界的尽头,但也是从远离梵蒂冈的原西班牙殖民地来就任的。另外曾经受葡萄牙统治的巴西,现在是最大的天主教国家。这给人们一种基督教的中心已跨越大西洋,向南转移的印象。
▼新大陸の「分割」を巡り、スペインとポルトガルを仲介したのも当時のローマ法王だった。新天地で信者を増やし、500年後の頂上人事でその子孫を教会につなぎとめる。昔も今もしたたかな組織である。
新大陆的“分割”问题,也是当时的罗马教皇在西班牙和葡萄牙之间进行调停。他在新天地扩大信徒队伍,500年后的最高人事问题又把信徒们团结在教会里。无论是过去还是现在,这都是一个强大的组织。
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