田中は「が」から「の」への置き換えの条件を整理して、次のようにまと
めている。
1、Aの「天気」にあたる部分(主格·対象語(格))とCの「時」にあ
たる部分(被修飾格)に位置する名詞が名詞らしい名詞であること。つまり、
名詞句の修飾節である埋め込み文において、主語は体言、或いは形式名詞的
なものでないと、「の」は使いにくい。
しかし、この点では問題点がある。Aの1、2の例では、「が」を省ける
のに対して、その他の条件の例では、省けないのである。「の」に変えたら、
1′.連日の三十度を超える猛暑
2′.最高のダウ1800円に達する暴騰
4′.先生までの参加なさる必要
5′.バスをおりてからの三十分かかる村
のようになる。それはほとんど考えられない。「連日の」後ろに読点を打
つか、「三十度をこえる連日の猛暑」とするかしないと、変である。つまり、
Aの1、2の条件は、他の条件と違って、「の」の使用を拒否する条件だと
も考えられるのである。
2、Bの「いい」にあたる部分(述格)の構造が比較的単純で、短いこと。
及び「である形」でないこと。
まず、Bの2、3、4のような、述語の構造が複雑な場合、その主格や対
象(語)格は、その表示を本務とする「が」で表すことができるし、それで
自然である。しかし、「の」は本務が連体修飾であるから、連体修飾句の中
でも「比較的単純で、短い」述語の主格や対象(語)格を表すのがせいぜい
で、複雑な構造を持つ述語の主格などは表しえない、と考えられるのである。
Bの1のように、述語が「名詞+である」の構造を持つ場合は、更に明ら
かである。「の」は連体修飾を本務とするから、この種の例の「が」を
「の」に変えると、
16′.主人の弁護士である家
17′.縦横の九十センチと十四センチである長方形
のような連体修飾関係が形作られてしまう。少なくともその可能性が非常
に高くなって、「主人(が)弁護士である」「人口(が)500万だった」と
いう主格関係とは受け取りにくくなるから、「の」が使いにくいのである。
それとは逆に、連体修飾句の中で「の」が用いられている場合は、大半が
「が」に置き換えられる。しかし、ここでも、やはり「が」に変えにくい場
合がないわけではない。田中は「慣用的な言い方」にこの種のものがあると
して、次のような例を挙げている。
34.大勢のおもむくところ
35.気のない返事
これらの表現は慣用句とも呼べるもので、そのために「の」を「が」に変
えられないと思われる。もちろん、慣用的な言い方には、「が」しか使えな
いものもある。例えば、
36.気が気でない様子
37.足が出た金額
もう一種、「の」は使えるが、「が」は使いにくい条件があるように思われ
る。それは、近くに主格や対象(語)格を表す「が」がある場合。例えば、
38.罪のないことがはっきりしていた。
39.顔色の悪いのが気になる。
40.口のきき方の静かなのが特徴である。
これは、言うまでもなく、「が」が重なるのを避けるための処置で、した
がって「の」にしたほうがより自然である。
以上に検討してきたことから見ると、連体修飾句の中で主格や対象(語)
格を表す「の」と「が」に関しては、次のようなことが分かる。
1、「が」は、「慣用的な言い方」や「が」の重なりを避ける場合を除いて、
一般に用いられる。
2、「の」は、その使用にいくつかの制約があり、自由には使えない。こ
れは、「の」の本来の機能が連体修飾にあるからで、その点で「の」は、連
体修飾句の中でも主格や対象(語)格を表す機能を真に獲得したとは言いが
たい。主格や対象(語)格を表すのは、連体修飾句の中でも、やはり「が」
なのであって、「の」はその一部を共有しているにすぎないのである。両者
は本質的に異なるものである。
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