高校球界から西鉄ライオンズに入団した稲尾和久さんは、契約の席で生まれて初めて千円札を見たという。一万円札や五千円札が登場する前、1956年(昭和31年)のことである
据说,从高中球界加入西铁狮队的稲尾和久,在签约台上有生以来第一次见到面值千元的钞票。那是面值一万元和五千元纸币流通之前、1956年(昭和31年)发生的事情。
自宅の畳の上に50万円の契約金が積まれた時、横に座っていた母親の姿がふっと消えた。「母は引っ繰り返っていた。気を失ったのである」と、自叙伝「鉄腕一代」にある
当他把50万日元的契約金堆在家里的“榻榻米”上,刚还坐在旁边的母亲忽然不见了踪影。原来“母亲瘫倒了。是不省人事。”——他在自传《铁腕一代》中如是写道。
一読、ほほえましい情景が忘れがたい。おとなの人生は金銭と道連れの長い旅だろう。若い人の旅立ちを汚さぬよう、旅立ちの時を微笑をもって顧みることができるように計らうのは球団の責任である
读后,那诙谐有趣的情景令人难以忘怀。成年人的一生想必是与金钱为伍的漫长旅途吧。而球队的责任便是努力让年轻人在人生旅途起步之时不受到污染,让他们能够带着微笑回忆人生旅途启程的当初。
西武ライオンズが大学と社会人のアマチュア2選手に約1300万円の裏金を渡していたことが発覚した。もう聞きたくなかった「栄養費」という言葉をまた耳にするとは
西武狮队被查出私下付给大学和社会上的两位业余选手大约1300万日元的费用。本来已经不想再听到的“营养费”一词,又一次流入耳朵,(这着实令人感到遗憾。)
3年前、同様の不祥事で巨人、阪神、横浜3球団のオーナーが辞任した後も西武の裏金は続いていた。有望選手に「唾(つば)をつける」と見せて、選手の人生に、野球そのものに、唾を吐き散らす行為だろう
即使在3年前因为同样问题巨人、阪神、横浜3球队的负责人辞职之后,西武仍然没有停止这种幕后金钱交易。可以说,这是让有潜力的选手认为是“先下手买定”,并往选手的人生以及棒球本身乱飞唾沫的行为吧。
稲尾さんは新人の年、父親がガンで余命半年と知る。存命のうちに家を新築して贈ろうと、契約金の4倍にもあたる巨額の借金を球団に申し入れた。当時の球団代表はもらい泣きし、無理をして用立ててくれたという。球団の使う同じ金にも美醜がある。
成为新人的那年,稲尾得知患癌症的父亲生命只剩下半年。为建造新房赠与父亲,让他安度有生之日,稲尾向球队申请相当于契約金4倍的巨额借款。据说,当时球队的代表们跟着流泪,七拼八凑地为之垫付。同是球队使用的金钱,却也有美丑之分。