映画の木下恵介監督といえば数多の名作で知られるが、戦時中に撮った「陸軍」も忘れがたい。出兵の行進の中にわが子を見つけた母親が、横についてひた走りに走り、最後に合掌して見送り、立ち尽くす
一提到电影导演木下惠介先生,多部名作使得他成了家喻户晓的名人,其中的一部战争年代拍摄的“陆军”更是令人难忘。电影中的那位母亲发现了开赴前线的行军队伍中的儿子,于是在一旁随着队伍一路小跑地跟着,直到最后双手合十为孩子们祈祷,并伫立路旁久久不愿离去。
軍の依頼で作りながら軍に睨まれた、伝説のラストシーンに重なる歌がある。〈わが生のあらむ限りの幻や送りし旗の前を征きし子〉。作者の小山ひとみさんは、戦死したひとり息子を詠んで、朝日歌壇によく選ばれた人だ
有一首受军方委托而创作并受到军方方关注的和歌与此传说中的最后场景十分吻合,〈幻想不尽我此生,开赴前线送一程,军旗飘飘指方向,风尘仆仆好后生〉作者小山瞳女士是为了他战死疆场的独生子而吟诵的这首和歌,她还是一位作品时常被朝日歌坛选中的作者。
行商をして独りの暮らしを立てていた人という。「その痛哭のあまりのはげしさに、この人の名を記憶されている読者もいるだろう」と、40年前、8月15日の小欄は書いている。戦争が終わって28年、戦没兵の親もまだ多くご健在だった
据说她孤单一人行商为生。40年前的8月15日敝栏目曾评论称,“由于她痛哭的悲切,想必会有读者因此而记住她的名字。”那时候,战争结束28年,战死士兵的家长很多还都健在。
きのう東京であった全国戦没者追悼式の参列予定者には、3年続けて戦没兵の父母の名はなかった。妻も16人で過去最少となった。戦後の時を死者と分かち持ってきた人が、いよいよ減りつつある
在昨天东京举行的全国战争死难者追悼仪式预定参加者的名单上,已经看不到连续3年参加的战死士兵父母的姓名了,为妻者也才16人为以往最少。与死者分担战后时光煎熬的人们正在逐渐减少。
記憶する人も死に絶えたとき、死者は真に死ぬという。その謂いに従えば、戦没者は続々と「真の死者」になりつつある。静かでたしかな追悼のかたちが、むしろこれから大切になる
等到了记得他们的人都死绝了的那一天,就意味着死者真的死了。按照这一说法,战死者正在一个个接连不断地成为“真正的死者”。或许可以说肃穆的实实在在的追悼形式关键在于今后。
とともに、他国の犠牲者も忘れてはなるまい。〈遺棄死体数百といひ数千といふ いのちをふたつもちしものなし〉と戦時中、新聞人で歌人の土岐善麿は詠んだ。これは日本軍の戦果を報じたニュースへの歌という。おごそかな真実の前に自国他国の違いはなく、母の痛哭に軽重はない。
与此同时,其他国家的牺牲者也绝不能忘记。〈遗弃尸骸成百上千,宝贵人生不会再现,无谓牺牲何时能了,停止战争重建家园〉这首和歌是报人兼和歌诗人土岐善麿先生在战争年代吟诵的,是一首针对所报日本军队战果的新闻而创作的和歌。在严肃的事实面前没有本国他国之分,也没有母亲痛苦程度的轻重之分。