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意犹未尽的日语短对话(中日对照)

作者:来源  来源:nifty   更新:2015-6-17 14:38:14  点击:  切换到繁體中文

 

話をしていて、こっちが何か言ったことに対する答えを聞きながら、「あ、賢いなあ、この人」とか「なかなか洒落た返しだなあ」などと感心することがあります。そういうのを聞くと私はすごく得したような、とても良い1日を経験したような嬉しい気分になってしまうのです。


与人交流时,总有一些人在回答我的话时会口出妙语,让我听着听着便心生佩服,并在心里感叹“呀~这人真聪明啊”、“这回答实在是巧妙”。而有幸听到这些妙语佳句的我也会跟捡了个宝似的开心不已,感觉经历了美好的一天。


例えば、2004年のある日、会社で部下と話をしていて、何がどうだったのか詳しい話は忘れてしまいましたが、ともかく彼が『さくら』というタイトルのヒット曲に言及しました。


比如,2004年某日在公司,我和下属谈了一会儿话,具体是什么内容记不清了,总之他提到了一首名为“さくら(樱花)”的畅销歌曲。


今ならいきものがかりの『SAKURA』、アンジェラ アキの『桜』、コブクロの『桜』、ケツメイシの『さくら』、あるいは中島美嘉の『SAKURA ~花霞~』などを思い出す人もいるのでしょうが、当時は何と言っても前年3月に出た『さくら(独唱)』(森山直太朗)と12月に発売された『桜』(河口恭吾)の2つが即座に頭に思い浮かびました。


放到现在的话,可能有人会想到生物股长的《SAKURA》、Angela Aki的《樱》、Kobukuro的《樱》、或是中岛美嘉的《SAKURA ~花霞~》等歌曲吧,但在当时,我脑子中自然是立刻浮现出了前一年三月发行的《樱(独唱)》(森山直太郎)以及12月发行的《樱》(河口恭吾)这两首曲子。


私は「え、どっちの桜?」と聞きました。そうすると彼は河口恭吾という名前を持ち出さずに(ひょっとすると単に河口の名前を思い出せなかったのかもしれませんが)こう答えたのです。「遅咲きのほうの桜です」


我问:“哦?哪个樱花。”这时他并没有直接将河口恭吾这个名字说出口(或许只是单纯的想不起河口的名字了),这样回答道:“是那晚开的樱花。”


巧いと思いません?後からヒットしたほうの『桜』。森山より年上で、下積み生活の長かった河口の『桜』──この両方の意味を「遅咲き」という単語(しかもそれは「桜」の縁語)で表現しています。


大家不觉得很妙吗?他说的是之后畅销的那首《樱》,也就是比森山年长,日子却曾长期不见起色的河口所唱的《樱》——他借用了“遅咲き(晚开)”这个单词(而且还是“樱花”的双关语),表达了双重含义。


おそ‐ざき【遅咲き】1> 同類のものより時期が遅れて花が咲くこと。また、その草木。2> 世に出るのに時間のかかった人をたとえていう語。「30代半ばで陶芸の道に入り成功した―の人」


続いて以前ブログのほうにも書いた、こんな話。


接下来说下我在之前博客中也写过的一件事。


部屋着用の綿製のイージーパンツを買いに行った時、あまりにペラペラだったので心配した妻が店員に訊きました:


某日我和妻子去买在家穿的棉质休闲裤,因为那裤子过于单薄,妻子有些不放心,向店员问了一句。


「これ、外出できます?」


“这裤子穿着能出门么?”


店員はにっこり笑ってこう答えました:


店员微笑着回答道:


「コンビニには行けます。電車には乗れません」


“去得了便利店,上不了电车。”


これも見事な答えだと感心しました。世の中にはこういう賢い受け答えができる人が結構いるのだなあと日々感心しています。


此回答甚妙,让人不得不佩服。我时常感叹,在这世上,回应他人时能做到如此语出惊人的真是大有人在啊。


それは例えば広告の世界などでは特に顕著で、Intel Insideという英語を「インテル入ってる」と訳した人は天才だなあと思います。


比如,这在广告界就非常明显,曾经有人将Intel Inside(内置英特尔)这个英文翻译成了“インテル入ってる”,个人觉得那人实在是天才。


Intel Inside という英語を与えられて「インテル入ってる」という日本語を返す──これも一種の受け答えだと思うんです。そして、in で韻を踏んだ英語(正確な意味での「頭韻」ではないですが)を日本語的なテルの脚韻に置き換えて、しかも意味はほぼ同じ──これは神業の領域に入ると思います。


用日语“インテル入ってる”来回敬英语那句“Intel Inside”——我认为某种意义来说这也是种回答。而且,他把用in押韵的英语(准确来说应该是押头韵吧)置换成了日式押脚韵テル,且意思基本一致——这可以算得上是神作了。


【頭韻】押韻法の一。詩歌 韻文などの句頭 語頭に、同一の音をもった語を繰り返して用いること。「何をしるべに難波津(なにはづ)の名は住吉(すみよし)もすみうしと」の類。


【脚韻】詩歌で、句末 行末に同音の語をおくこと。漢詩では一定の句末に同一の韻字を用い、西洋の詩では近接する行末に同一音ないし類似音をそろえる。


もうひとつがあります。


还有这样一个例子。


会社で部下が私にこう報告しました:「今○○の先行販売を計画してるんですよ。パーッと売れますよ、きっと」


公司里下属这样跟我报告:“目前我在策划○○的预售哦,到时候肯定会唰的卖疯了,没悬念啊!”


それを受けて私は言いました:「そうか。せいぜい線香花火にならんようにね」


而我这样回答道:“是么。可别让它昙花一现了哟。”


 

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