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97年、映画「ゴジラ」のプロデューサー田中友幸氏が死去したとき、米オハイオ州の新聞に「追悼文」が出た。少年時代の「ゴジラ」をめぐる思い出をつづった記事だった。
97年,电影“怪兽”的制片人田中友幸去逝时,在美国俄亥俄州的报纸上刊登了“追悼文章”。那是围绕对少年时代的“怪兽”的回忆而写的报道。
60年代前半の米国の地方都市でのことらしい。「ゴジラ」がテレビ放映される日、子どもたちは近隣で一番いいテレビのある家に集まった。まだ白黒の時代だった。東京の街を破壊する怪獣のすさまじさに、子どもたちは圧倒され「おい、見ろよ」と口々に言いながら見入ったという。
似乎是60年代前半期美国的地方都市的事情。“怪兽”在电视上播放时,孩子们都聚集在邻近家有最好的电视机的旁边,那时还是黑白电视时代。据说孩子们被破坏东京城市的怪兽的骇人程度惊得瞠目结舌,嘴里说着“哎,你看!”眼睛紧盯着画面。
そのころ原爆や水爆を、子どもたちは単に「爆弾」と言っていた。キューバにソ連の爆弾が配備されていることは知っていた。サイレンが鳴ると、机の下や地下室に隠れるように教えられていた。子どもたちの間でゴジラは何者かを熱心に議論したが、あの怪獣は、まさにすべてを破壊しつくす「爆弾」だったのだと筆者は回顧する。
那时候对于原子弹和氢弹孩子们只会说“炸弹”,对于古巴配备了苏联的炸弹他们是知道的。老师教过警报器一响,就马上藏到桌子底下和地下室去。笔者回顾道,在孩子们中间曾热烈地争论过怪兽是何物,那怪兽其实就是要摧毁一切的“炸弹” 。
ビキニ環礁での米国核実験で眠りをさまして来襲するゴジラだが、当初の米国版では核のことはかなりぼかされたらしい。しかし米国の子どもたちは敏感にかぎとっていた。
在比基尼环礁(太平洋中马绍尔群岛中的一个珊瑚岛, 1946年美国原子弹实验地)因美国核试验而醒来袭击人类的怪兽在当初美国版本上对于核试验一事似乎是相当淡化的,但美国的孩子们却敏锐地嗅出来了。
先日、第1作を再見した。反核メッセージの強さとともに、ゴジラ来襲時の混乱の描写が戦時中の空襲の再現であることを改めて感じた。当時の日本人にとっては、近い過去の鮮烈な経験がよみがえる。米国人には、近い未来に起こるかもしれない「惨事」だった。
日前,我又再一次观看了第一部作品,在强烈反核的同时,怪兽袭来时的混乱场面又一次让我感受到了战时的空袭情景。对当时的日本人来说无疑是唤回了不远的过去的强烈体验。而对于美国人来说或许就是不远的将来会发生的“惨事”。
ちょうど50年前に「誕生」したゴジラをそれだけで言い尽くすことはできない。ただ、日米関係を映す鏡としても、様々な相貌(そうぼう)を見せてきたヒーローであった。
对于正好在50年前“诞生”的怪兽真是此言难尽。即便仅把它当作为映照日美关系的一面镜子,也是可以让人看到各种各样相貌的一位英雄。