次の文章(A)と文章(B)を読んで、後の問いに答えなさい。
文章(A)
それはある本屋の二階だった。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子に登り、新しい本を探していた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イプセン、ショウ、トルストイ、……
そのうちに日の暮れは迫りだした。しかし彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。そこに並んでいるのは本というよりもむしろ世紀末それ自身だった。ニイチエ、ヴェルレエン、ゴンクウル兄弟、ダスタエフスキイ、ハウプトマン、フロオベエル、……
彼は薄暗がりと戦いながら、彼等の名前を数えていった。が、本は( )もの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根気も尽き、西洋風の梯子を下りようとした。
すると傘のない電燈が一つ、ちょうど彼の頭の上に突然ぽかりと火をともした。彼は梯子の上にたたずんだまま、本の間に動いている店員や客を見下ろした。彼らは妙に小さかった。のみならずいかにも見すぼらしかった。
「人生は一行のボオドレエルにもしかない」。彼はしばらく梯子の上からこういう彼らを見渡していた。……
文章(B)
独歩は鋭い頭脳を持っていた。同時にまた柔らかい心臓を持っていた。彼は鋭い頭脳のために地上を見ずにはいられなかった。前者は彼の作品の中に「正直者」、「竹の木戸」等の短編を生じ、後者は「少年の悲哀」、「画の哀しみ」等の短編を生じた。自然主義者も人道主義者も独歩を愛したのは偶然ではない。
柔らかい心臓を持っていた独歩は勿論おのずから詩人だった。しかも島崎藤村氏や田山花袋氏と異なる詩人だった。大河に近い田山氏の詩は彼の中に求められない。同時にまたお花畠に似た島崎氏の詩も彼の中に求められない。彼の詩はもっと切迫している。独歩は彼の詩の一篇の通り、いつも「高峯の雲よ」と呼びかけていた。
けれども彼は前にも言ったような鋭い頭脳の持ち主だった。「山林に自由存す」の詩は「武蔵野」の散文に変わらざるを得ない。「武蔵野」はその名前通り、確かに平原に違いなかった。しかしまたその雑木林は山々を透かしているのに違いなかった。
独歩は地上に足をおろした。それから――あらゆる人々のように野蛮な人生と向かい合った。自然主義の作家たちは皆精進して歩いていった。が、ただ一人、独歩だけは時々空中に舞い上がっている。
(注) 梯子(はしご)、傘(かさ)、勿論(もちろん)、高峯(こうほう)
問題 文章(A)の( )にあてはまる最も適当なことばを文章(B)から抜き出
して書きなさい。
答案は次のぺーじで
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