日本语能力测试一级阅读测试及答案
問題Ⅰ次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさい。
日本人にとって①山は山以上のものであった。山を見ながら、人は自然の懐に抱かれている人間というものの存在のありかをはっきりと自覚することができた。(②)、国破れて山河ありというとき、山河にいつもかわらぬ、共同体の帰属する心の故郷を持つことができた。
自然破壊は、自然の生態系を破壊するばかりではない。③近代科学的な自然保護、そのような自然観ばかりが先行すると、文化としての自然をないがしろにすることになる。
たんなる地質学的な山や植物学の標本のような自然は、いわば、(④)。どこまでいっても、利用される素材としての自然をこえるものではない。よりよく、末ながく有効に利用しようという配慮いがいの何物でもない。そこで、自然を愛そうといい、あるいは、大切にしましょうといっても、究極的には(⑤)という生産社会の論理をあてはめているにすぎない。
山が山以上のものであるということ、文化としての自然があるということは、自然が人間の精神文化の充実にかかわっているということである。個人はもとより、山を仰ぎみる共同体の意識の形成、感性の熟成、歴史観の成立に、山がふかくかかわってきたし、今後もそのようなものとして人間の目に見えない、いわば⑥第二の自然を形づくっているということである。私たちが、産業社会の論理に行き詰まったまま、そこへ帰ってゆくことによって、見失われた日本人の根拠とのつながりを、心の奥ふかく抱いている奥ふかい真理への愛や、故しれぬ超越者なるものとのつながりを見出す途でもある。それをひろく、宗教的な情緒といってもいい。このような感性は、山を仰ぎ見、先人のさまざまな思い入れをしのぶとき、今日でも、私たちのうちに甦ってくる。
注1ないがしろにする: 軽んじてはいけないものや人を軽くみること
注2熟成: ものごとや物が、時間をかけてようやくできあがること。
注3故しれぬ: わけのわからない、得体のしれない。
問1①「山は山以上のものであった」とはどういうことか。
1山は自然的なものだけでなく、精神的なものをも日本人に与えてきた。
2日本の山はそこに生きるすべての生き物に、多くの恵みを与えてきた。
3日本の山々は並の山ではなく、とてつもなく大きく険しいものであった。
4山は自然の恵みばかりか、たくさんの貴重な資源を日本人に与えてきた。
問2(②)に入る最も適当な言葉はどれか。
1それで 2一方 3だから 4しかい
問3③「近代科学的な自然保護」とはどんなことを目的としたものか。
1よりよく、末ながく有効に自然を利用しようとすること。
2自然の生態系を重要なものと考えて、これを第一に保護すること。
3自然の懐に抱かれている人間を大切にする、精神主義をめざすこと。
4奥ふかい真理への愛や、超越者とつながる宗教心にあふれること。
問4(④)に入る最も適当な文はどれか。
1自然の遺産である。
2自然の残物である。
3自然の宝庫である。
4自然の断片である。
問5(⑤)に入る最も適当な言葉はどれか。
1利潤追求 2資源保護 3環境破壊 4共同意識
問6⑥「第二の自然」とあるが、ここでは「第一の自然」はどのようなものか。次の組み合わせから正しいものを選びなさい。
1資源と論理 2素材と真理 3資源と宗教 4素材と文化
問7⑦「このような感性」とはどのような感性か。
1山に、自然と人間との調和と安定を願う感性。
2山に、共同体の繁栄と豊富な資源を期待する感性。
3山に、真理への愛や超越者とのつながりを見出すような感性。
4山に、日本人の根拠とのつながりを探し求める感性。
解答与注释
問1-1 問2-2 問3-1 問4-4 問5-1 問6-3 問7-3
(1) ある人は科学をもって現実に即したものと考え、芸術の大部分は想像あるいは理想に関したものと考えるかもしれないが、この区別はあまり明白なものではない。広い意味における仮説なしに科学は成立しえないと同様に、厳密な意味で現実を離れた芸術は不可能であろう。
問この文章の要旨として最も適当なものはどれか。
1科学は現実的なものであり,芸術は想像・理想から成り立っていて、両者は相反するものであり、永遠に平行す
るものである。
2仮説なくして科学が成立しないのと同様に、想像なくして芸術は成立しない。科学も芸術も想像力に負うところが
非常に大きいというべきであろう。
3科学と芸術とはともに現実を超越した仮説や想像によって成立するものであり、その点ではお互いによく似た現象面を有しているのである。
4現実的な科学の中にも多分に仮説が含まれ、一方想像や理想を主とする芸術の中にも多分に現実を含んでいるものである。
(2) 思想もしくは力いよって勝った人々を私は英雄と呼ばない。私が英雄と呼ぶのは、心に拠って偉大であった人々だけである。彼らの中の最大な一人のその人が言ったとおり、「私は善以外には卓越の証拠を認めない」。人格が偉大でないというところに偉人はない。偉大な芸術家も偉大な行為者もない。あるのは唯さもしい愚衆のための空虚な偶像だけである。時がそれらを一括して滅ぼしてしまう。成功はわれわれにとって重大なことではない。真に偉大であることは重要であって、偉大らしくみえることは問題ではない。
注1卓越: 他よりはるかにすぐれていること。
注2偶像: 神仏にかたどって作った像のこと
問ここで、「善」と同じような意味を持つ言葉はどれか。
1思想 2英雄 3人格 4成功
(3) 夏休みに遊びまわる子供を見て、「学力が落ちはしないか」「怠けぐせはつきはしないか」という不安やあせりを生む基盤として、子供の能力や気持ちを尊重し、黙ってみていることのできない親の姿勢が問題になります。たえず親の立場から先回りの心配をし、干渉をし、親の安心できるわくにはめこもうとする人たちにとっては、学校の先生や規則から解放されて、子供が自由に判断し、行動できる範囲が広くなると、( )。反対に子供の自発性自主性を尊重する親にとっては、夏休みは子供の成長を促進する絶好の機会だと、子供とともに喜ぶことができるのです。
問1( )に入る最も適当な文はどれか。
1とても愉快なのです。
2とても苦痛なのです。
3とても心配なのです。
4とても重要なのです
問2「子供とともに喜ぶことができる」のは、どんな親ですか。
1いつも子供とともに、喜んだり悲しんだりできる親
2いつも子供に関心を寄せ、干渉をしないではすまない親
3いつも子供の能力を伸ばすことを考えている、教育熱心な親
4いつも子供の自主性にまかせ、成長を期待しようとする親
(4) 私たち日本人は、話すことが下手だといわれています。
自分の考えを持っていないということは、この考えを作り上げる考え方を持っていないということである。科理をつくるには調理法の心得がなくてはできない。ただ何かの思想をもつことはそうむずかしいことではない。それにはでき合いのいろいろの思想があるからである。日本は今日までいつもそういうでき合いの思想をもらってきて、 「さし根」して育てようとした。民主主義にしても今度がはじめてではなかったが、「さし根」ではやはり激しい嵐や日照りには堪えきれず、過去においてはいつも枯らしてしまっている。ほんとうに自分の考えをもつためには、それをもつ手段としての自分の考え方がなくてはならない。
注でき合い:既製または既製品
問「さし根」とは、ここではどういうことか。
1日本人ははなすことがもともと下手であるということ。
2日本の民主主義は別の国から借りたものにすぎないということ。
3日本人は自分で考え出した考えをもっていないということ。
4日本人は思想が貧困でいろいろなしそうをもてないということ。
解答与注释
(1)-2 (2)-3 (3)--3 、4 (4)-2
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