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日语一级阅读理解问题 意味解釈(2)

● やってみよう-2


病気をビョーキとかカタカナで表記するのが流行った時代があった。この場合、ビョーキとは本格的な身体疾患ではなくて、常識では理解できない行動や趣味のことを指している。「彼のあのワインののめり込み方、ほとんどビョーキだよね」などと使う。それほど突出している、特別である、という若干の尊敬も含まれていたと思う。


今では「病気なんだよ」と言ったとき、かつてのビョーキを連想する人はまずいない。若者でたっても、「どこか悪いんですか」と心配してくれるだろう。「ビョーキだから」と軽く茶化す事で病気が持っている深刻さを少しでも薄めよう、とする人はいなくなったのだろうか。健康幻想が広まる中、とにかく病気は悪くてネガティブなもの、という考えが広まっているのかもしれない。あるいは、ビョーキと言われてまで個性的でいるのはいや、と思う若者が増えているとも考えられる。


(香山リカ『若者の法則』岩波新書による)


問い この文中での「ビョーキ」とは、どういう意味か。


1、常識では理解できない行動や趣味を意味する言葉


2、突出している、特別であると言う尊敬を意味する言葉


3、病気が持っている深刻さを薄めたいときに使う言葉


4、わるくてネガティブなものすべてを意味する言葉


練習1


学校に通うことに意味で一番大切なのは、決して知識を得ることではなく、知恵を得ることだと思います。どういう知恵かと言うと、人生に必要と考えられる知恵です。その中でもいちばん大切なのが勉強の知恵、学習の知恵なのです。新しい情報をどうやって手に入れるのか、新しいことをどうやって学ぶのか、いままでできなかったことがどうやったらできるようになるのか、その過程を学校に通うことによって覚えて、変化していく世界の中で日々応用できるようにする。これが勉強の知恵です。


知識と言うものは変わるのです。地理を考えたとしたら、いま70歳のおじいさんが50年前に学んだ地理といまの地理はさま変わりしています。以前、たくさんの油田があったところからはもう石油が出なくなったり、国が解体したり、逆に合併したり、世界の状況はどんどん変わっていきます。日本語だって変化していて、当用漢字が常用漢字になったり、漢字が略字になったり、あまり使われなくなってかわりにひらがなを用いたり、外来語がたくさん入ったりしています。50年前に死んだ人が突然この世に再生してきたら、一日目は日本語でニュースを聞いてもわからないことだらけだと思います。そういう意味では、直接に知識ではなく、勉強の知恵が一番大切です。


(ピークー・フランクル『ピークー流外国語習得術』岩波ジュニア新書による)


問い 「直接の知識ではなく、勉強の知恵が一番大切です」とあるが、どういう意味か。


1、色々なことを覚えるだけでなく、変化していく世界の中で応用できる知恵が大切だ


2、世界はすぐに変化していくが、学校で得た知識は役に立つので、知識は大切だ


3、学校で得た知恵は何年たっても変わらないので、知恵を得ることが大切だ


4、日本語でニュースを聞いていても、分からないので、よく勉強することが大切だ


練習2


携帯なんか、嫌いだ、と私は思う。いったいぜんたい、誰がこんな不便なものを発明したのだろう。どんな場所どんな状況にあっても、かなりな高率で受けることのできる電話なんて、恋愛-うまく言ってる恋愛も、うまく言っていない恋愛も-にとっては、害悪以外のなにものでもない。


ヒトミちゃん、なに悲観的なお婆さんみたいなことを言ってるの、とマサヨさんに言われそうなことを、私はひがないちにち、考えている。タクオはもう五日も電話に出てくれない。ここ一日二日は、わたしはむしろ、タクオが電話に出てしまったらどうしようかと言う恐怖心を抱いている。


(川上弘美「ワンピース」『新潮』第101巻第6号新潮社による)


問い 「わたし」はなぜ携帯を「ふべんなもの」だと思っているのか。


1、どんな場所どんな状況にあっても受けることができるから


2、うまく言っている恋愛がうまくいかなくなるか


3、いつも恋人から電話があるかどうか気にしてしまうから


4、恋人が電話に出ないと悪いことを考えてしまうから


練習3


日本とほかのアジアの国々との「距離感」が変容しているのではないか、しばしばそう思うことがある。特に二十代・三十代の日本人と話していると、アジアに出掛けることと日本国内の見知らぬ土地へ行くこととの感覚的な違いが、ほとんど見出せない。私は、アジアで出会う日本人たちに必ずカルチャー・ショックについて尋ねることにしていたが、


「一番びっくりしたのは、カルチャー・ショックが全然なかったということなんです」といった答えの多さに、かえってこちらのほうがカルチャー・ショックに似たものを感じるほどだった。


韓国や台湾に住む日本人は、冗談めかしてこんなことを言う。


「ここから日本までの飛行時間よりも、成田空港から実家までのじかんのほうがよっぽどかかりますよ」


こうした距離感の短縮は、文化的距離感の「短縮」に直接結びついている。私見だが、徒歩や船での移動しか知らない歴史ごく最近まで生きてきた人類には、移動の速度の急激な変化に伴う感覚のずれが、無自覚のうちに生じているのではないか。


(野村進『アジア定住』講談社+a文庫による)


問い 「文化的距離感の『短縮』」とあるが、どういう意味か。


1、 若い多くの日本人にとってアジアに出掛けることと、日本国内の見知らぬ土地へ行くこととの感覚的な違いがないと言うこと


2、 韓国や台湾から日本までの飛行時間よりも、成田空港から家までの時間のほうがよっぽど時間がかかるということ


3、 アジアに出掛けた若者が、カルチャー・ショックが全然なかったことに筆者がびっくりしているということ。


4、 アジアで出会う日本人たちに対して筆者がカルチャー・ショックに似たものを感じるということ


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