「謙譲の美徳」
日本人は自分の考えを人前ではっきり言わないとか、日本人は何を考えているのか分からない、と言う外国人がよくいます。又、日本人が実際に言葉で言うことと本当に考えていることが違うことがよくある、と言う人もいます。
例えば、お客さんに飲み物や食べ物を勧める時に、どんなにおいしい物を勧める時でも、「何もございませんが、どうぞ」と言ったり、お客さんがいくら立派なお土産を上げる時でも、「つまらない物ですけど、どうぞ」と言って上げたりします。本当においしい物を上げるんだったら、「これはおいしいですから、どうぞ召し上がって下さい」、高いお土産を上げるんだったら、「これはとてもいい物です。どうぞ」と言って上げればいい、と外国人が思うかもしれません。しかし、このような言い方は日本の文化を基にした典型的な日本の言い方です。言葉の背後にある日本の文化を勉強すれば、日本人がどうしてこういう言い方をするのか分かるようになります。
アメリカでは、自分は他の人と違ってこんな良い点を持っている、自分は色々なことができるんだ、ということを他人に分かりやすく見せようとしますが、日本ではその反対です。日本では「謙譲の美徳」が尊重されます。「謙譲の美徳」というのは、自分や自分の家族を実際より低く見せることによって相手の地位を高めて尊敬しよう、という気持ちです。だから、何か贈り物を出す時に「何もございませんが、どうぞ」とか「つまらない物ですけど、どうぞ」とかいう言い方が使われるんです。これらは慣用表現ですから、深く考えなくてもいいです。日本人は飲み物を出す時やお土産を上げる時に、こういう言い方をするんだなあ、ということが分かればいいでしょう。
他に、アメリカではよく人前で家族のことを褒められると、「ええ、うちの主人は料理や洗濯を手伝ってくれて、とてもいい主人です」とか「うちの子供はピアノが上手で、よくリサイタルをします。私が何も言わなくてもうちで学校の勉強をよくするし、本当に良い子供です」とか自分の家族のことを褒めることがあります。でも、日本では滅多にありません。「おたくの奥さんは料理がお上手ですね」と言われても、御主人は、「そうなんですよ。とても上手で、プロの料理人のようです」とは言いません。「お子さんはよく勉強ができますね」と言われても、お母さんは、「ありがとうございます。本当に良い子です」とは言いません。普通は謙遜して、「いいえ、まだまだ下手です」とか「もう少し勉強してくれるといいんですが、、、」とか否定的なことを言います。それは、日本には「謙譲の美徳」というものがあるからです。外国人がこの習慣を知らないで、日本語で自分の家族のことをたくさん褒めると、傲慢な人と思われてしまうかも知れませんから、気を付けて下さい。
毎日使われている日本語のなかにも謙譲語」と言われる「謙譲」を表す言葉があります。例えば、「明日DCへまいります」というのは「明日DCへ行きます」の意味で、「来週ゴルフをいたします」は「ゴルフをします」、「うちにおります」は「うちにいます」です。謙譲語は、自分を低くして相手を高めて、尊敬する言葉です。「いらっしゃいます」「召し上がります」「なさいます」など尊敬語と一緒に毎日の会話のなかでよく使われる言葉で日本人がよく使いますから、気を付けて聞いて下さい。