漱石の「坊っちゃん」に、坊っちゃんと盟友の山嵐が牛鍋をつつく場面がある。江戸っ子の坊っちゃんは何かにつけて気が短いらしい。会津っぽの山嵐は「そこの所はまだ煮えていないぜ。そんなのを食うと条虫(さなだむし)が湧くぜ」と注意する
夏目簌石的名作《哥儿》(或译《少爷》),有一个场景是讲述主人公哥儿(公子哥)和他的好友山岗(或译豪猪)在一起吃牛肉火锅。东京出身的哥儿不管对是什么事情都耐不住性子,而会津出身的山岗却提醒哥儿道“那里面猪的肉还没熟呢,就这么吃了会长虫子的”
▼実際にその心配があったかどうかはおいて、確かな冷蔵技術もない時代である。生ものへの警戒心は今より強かったのだろう。もう聞くことも少ないが、「鯖(さば)の生き腐れ」や「夏の鰯(いわし)で足が早い」など、用心を促す言い習わしも色々と流布していた
先不说这种担心是不是多余的,但是那个年代确实还没有先进的冷餐技术。人们对于生食物的警惕心理要比现在强很多。有些例如“青花鱼看着新鲜其实内部已经腐烂了(金玉其外败絮其中)”“夏天的沙丁鱼容易 坏”等谚语现在已经不怎么听到了,不过在当时这种提醒大家对食物有所防范的谚语还是广为流传的
▼そんな場面や諺(ことわざ)を思い出させる、焼き肉チェーン店の集団食中毒だ。生肉のユッケを食べた4人が死亡し、20人を超す重症者が出ている。警察が捜査に着手し、人気の生食への信頼は揺らいでいる
这个场景和谚语让我们想起烤肉店集体中毒的事件。食用过生牛肉的顾客已经有4人死亡,20多人重伤。警察已经开始调查此事,颇富人气的生食的信赖度开始动摇。
▼生食用の表示がなくても、店で衛生基準どおり調理すれば客に出せる。だが基準は行政指導にとどまり罰則はなく、店によっては厨房(ちゅうぼう)という密室で形骸化していたようだ。お上の規制がすべてではないが、これでは「食の安全」も神話のように覚束(おぼつか)ない
就算没有标示可以生食,但如果店家能够严格按照卫生标准来烹饪的话应该是可以拿来招待顾客的。可是卫生标准只是行政指导并不具有法律的处罚功能,于是某些店内,食品卫生安全标准就在见不得人的厨房里开始形同虚设。虽然不是所有的规定条款都是如此,但如今“食品安全”也成了神话故事般让人心生疑虑。
▼古来、危ない食べ物の代表といえばフグだが、あの美味を好んだ人は多い。〈男の子われ河豚(ふぐ)に賭けたる命かな〉日野草城。しかし現代の、家族や仲間で囲む焼き肉である。その席が「肝試し」になるようでは客はかなわない
自古以来危险事物的代表是河豚,它的美味吸引了很多人。日夜草成有句话说道“吾为男儿身,舍命食河豚“。不过现代可是和家人、朋友一起围坐着吃烤肉。如果席间还要比拼“不怕死的胆量”,作为顾客就忍无可忍了。
▼冒頭の山嵐の忠告に坊っちゃんは「大抵大丈夫だろう」と答える。自分で食べるならそれでいい。しかし業者や政府が「大抵大丈夫」では困る。「大抵」を取り去る策が急務だ。
开头小说里的场景,对于山岚的忠告,哥儿回答道:“大概不要紧的。”如果是自己吃的东西也就无所谓了,可开餐饮业从业者和政府部门这样“大概不要紧的”就很麻烦了。当务之急就是制定法规消除这些“大概”因素。
中日对照