思い知らせることを「目に物見せる」と言うが、今の米国は「声を聞かせてやった」だろうか。思い出すのはブッシュ前大統領が9?11テロのがれきに立って、犠牲者と国民に語った姿だ
让对方知晓,被称作是“让对方吃苦头”,现在的美国一定让对方知道了吧。这让我们想起911事件后美国前总统小布什在废墟上对遇难者和国民的演讲的身姿。
▼「君たちの声が私に聞こえる。世界が君たちの声を聞く。ビルを倒した連中も間もなく我々の声を聞く」。そのテロを首謀したビンラディン容疑者を10年がかりで討ち取った。留飲を下げたかのような、人々の高揚が伝えられている
“你们的声音我可以听到,世界也在倾听我们的声音。撞到大厦的团伙不久也会听到我们的声音。”对这次恐怖事件的首要谋划者本拉登的讨伐整整用了10年。就像心里的一块石头落地了一样,人们大肆宣扬着这件事。
▼ここ10年、米国は良いことが少なかった。アフガニスタンでの戦争は泥沼化している。イラク侵攻は「大義なき戦争」の汚名にまみれた。強欲資本主義は破綻(はたん)し、リベラルと保守は憎み合い、連邦議員が銃で撃たれた――そうした中の勝報である
这10年间,美国几乎没有做过什么好事情。陷入阿富汗的战争不能自拔。对伊拉克的战争,沾上了所谓“大义的战争”的污名。强欲资本主义的破绽百出,自由和保守的论战,联邦议员的枪击事件等等,这次是在这些背景下传来的捷报。
▼とはいえ、その印象はどこか、「ビンラディン狩り」というゲームに勝っただけのような実体の希薄さがある。米国民の歓喜は、「ビンラディンを生んだもの」への想像とまなざしを、いつもながらに欠いていないか
虽说如此,但是印象到底在哪呢?只不过是“狩猎本拉登”这个游戏本身罢了,缺乏实际的意义。美国国民的欢喜还是缺乏对“到底是什么孕育了本拉登”这样的想象的眼光。
▼宮沢賢治に「二十六夜」という物語がある。仲間を人間にやられた梟(ふくろう)たちが復讐(ふくしゅう)を叫ぶのを、梟の坊さんが諭す。「仇(あだ)を返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗うのじゃ。こなたの胸が霽(は)れるときは、かなたの心は燃えるのじゃ」
宮沢賢治写过叫做《二十六夜》的物语。被人类杀死同伴的猫头鹰们叫嚣着去报仇,这时一只猫头鹰公子发表了自己的看法“想要复仇之心是可以理解的,但即使那样就应该以血还血吗。当我们的心里感到痛快淋漓的时候,对方的心中一定是怒火燃烧”。
▼歓喜の一方で報復を不安がる図は、梟の坊さんの言うとおりだ。テロの背景には貧困と差別、憎悪の荒野が広がる。それをどう沃野(よくや)に変えるか。火薬で退治できるのは、たぶん大したものではない。
欢喜的同时还会担心报复,正如小猫头鹰说的那样啊。恐怖主义的背景是贫穷和歧视,还有广阔的所谓憎恨的荒野。如何让这个荒野变成沃土呢。用武力去解决的话,也许不是明智的选择吧。
中日对照