《罗生门》是日本近现代著名作家芥川龙之介的代表作品,这部短篇小说继承了日本古典文学的意境特点,同时反映了人从内心中对自由的渴望,讽刺了日本古来的等级社会制度。《罗生门》自出版以来受到各国读者的欢迎,大导演黑泽明将《罗生门》和《密林中》的两部作品结合在一起推出了电影版《罗生门》也引起了世界各国观众的轰动。
作为芥川的文学代表作《罗生门》不仅在世界译本众多,在中国也有很多著名学者对其进行了翻译。这里小邹为大家推荐两个译本:一个是近代文学泰斗鲁迅先生的译本,一个是当代著名翻译家林少华教授的译本。从两个译本中相信大家能感受到不同时期和文化背景下语言运用和表达方式的不同。
罗生门
芥川龙之介
ある日の暮方の事である。一人の下人(げにん)が、罗生门(らしょうもん)の下で雨やみを待っていた。
広い门の下には、この男のほかに谁もいない。ただ、所々丹涂(にぬり)の剥(は)げた、大きな円柱(まるばしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっている。罗生门が、朱雀大路(すざくおおじ)にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠(いちめがさ)や揉乌帽子(もみえぼし)が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには谁もいない。
何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻风(つじかぜ)とか火事とか饥馑とか云う灾(わざわい)がつづいて起った。そこで洛中(らくちゅう)のさびれ方は一通りではない。旧记によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹(に)がついたり、金银の箔(はく)がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪(たきぎ)の料(しろ)に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、罗生门の修理などは、元より谁も舍てて顾る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸(こり)が栖(す)む。盗人(ぬすびと)が栖む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この门へ持って来て、弃てて行くと云う习惯さえ出来た。そこで、日の目が见えなくなると、谁でも気味を悪るがって、この门の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
その代りまた鸦(からす)がどこからか、たくさん集って来た。昼间见ると、その鸦が何羽となく轮を描いて、高い鸱尾(しび)のまわりを啼きながら、飞びまわっている。ことに门の上の空が、夕焼けであかくなる时には、それが胡麻(ごま)をまいたようにはっきり见えた。鸦は、勿论、门の上にある死人の肉を、啄(ついば)みに来るのである。――もっとも今日は、刻限(こくげん)が遅いせいか、一羽も见えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に长い草のはえた石段の上に、鸦の粪(ふん)が、点々と白くこびりついているのが见える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした绀の袄(あお)の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面疱(にきび)を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。
作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と书いた。しかし、下人は雨がやんでも、格别どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿论、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも书いたように、当时京都の町は一通りならず衰微(すいび)していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、适当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影响した。申(さる)の刻(こく)下(さが)りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日(あす)の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、闻くともなく闻いていたのである。
雨は、罗生门をつつんで、远くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕暗は次第に空を低くして、见上げると、门の屋根が、斜につき出した甍(いらか)の先に、重たくうす暗い云を支えている。
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を选んでいる遑(いとま)はない。选んでいれば、筑土(ついじ)の下か、道ばたの土の上で、饥死(うえじに)をするばかりである。そうして、この门の上へ持って来て、犬のように弃てられてしまうばかりである。选ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊(ていかい)した扬句(あげく)に、やっとこの局所へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、结局「すれば」であった。下人は、手段を选ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その后に来る可き「盗人(ぬすびと)になるよりほかに仕方がない」と云う事を、积极的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。
下人は、大きな嚔(くさめ)をして、それから、大仪(たいぎ)そうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶(ひおけ)が欲しいほどの寒さである。风は门の柱と柱との间を、夕暗と共に远虑なく、吹きぬける。丹涂(にぬり)の柱にとまっていた蟋蟀(きりぎりす)も、もうどこかへ行ってしまった。
下人は、颈(くび)をちぢめながら、山吹(やまぶき)の汗袗(かざみ)に重ねた、绀の袄(あお)の肩を高くして门のまわりを见まわした。雨风の患(うれえ)のない、人目にかかる惧(おそれ)のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い门の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を涂った梯子(はしご)が眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた圣柄(ひじりづか)の太刀(たち)が鞘走(さやばし)らないように気をつけながら、藁草履(わらぞうり)をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。
それから、何分かの后である。罗生门の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を杀しながら、上の容子(ようす)を窥っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い须の中に、赤く脓(うみ)を持った面疱(にきび)のある頬である。下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括(くく)っていた。それが、梯子を二三段上って见ると、上では谁か火をとぼして、しかもその火をそこここと动かしているらしい。これは、その浊った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛(くも)の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この罗生门の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。
下人は、守宫(やもり)のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで这うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平(たいら)にしながら、颈を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗(のぞ)いて见た。
见ると、楼の内には、噂に闻いた通り、几つかの死骸(しがい)が、无造作に弃ててあるが、火の光の及ぶ范囲が、思ったより狭いので、数は几つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿论、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人间だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏(こ)ねて造った人形のように、口を开(あ)いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一层暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。
下人(げにん)は、それらの死骸の腐烂(ふらん)した臭気に思わず、鼻を掩(おお)った。しかし、その手は、次の瞬间には、もう鼻を掩う事を忘れていた。ある强い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を夺ってしまったからだ。
下人の眼は、その时、はじめてその死骸の中に蹲(うずくま)っている人间を见た。桧皮色(ひわだいろ)の着物を着た、背の低い、痩(や)せた、白髪头(しらがあたま)の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片(きぎれ)を持って、その死骸の一つの颜を覗きこむように眺めていた。髪の毛の长い所を见ると、多分女の死骸であろう。
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに动かされて、暂时(ざんじ)は呼吸(いき)をするのさえ忘れていた。旧记の记者の语を借りれば、「头身(とうしん)の毛も太る」ように感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の间に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の亲が猿の子の虱(しらみ)をとるように、その长い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。
その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同时に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ动いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、语弊(ごへい)があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に强さを増して来たのである。この时、谁かがこの下人に、さっき门の下でこの男が考えていた、饥死(うえじに)をするか盗人(ぬすびと)になるかと云う问题を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未练もなく、饥死を选んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片(きぎれ)のように、势いよく燃え上り出していたのである。
下人には、勿论、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この罗生门の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に许すべからざる悪であった。勿论、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飞び上った。そうして圣柄(ひじりづか)の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が惊いたのは云うまでもない。
老婆は、一目下人を见ると、まるで弩(いしゆみ)にでも弾(はじ)かれたように、飞び上った。
「おのれ、どこへ行く。」
下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞(ふさ)いで、こう骂(ののし)った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、无言のまま、つかみ合った。しかし胜败は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、无理にそこへ(ね)じ倒した。丁度、鶏(にわとり)の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘(さや)を払って、白い钢(はがね)の色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球(めだま)が(まぶた)の外へ出そうになるほど、见开いて、唖のように执拗(しゅうね)く黙っている。これを见ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意识した。そうしてこの意识は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの间にか冷ましてしまった。后(あと)に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した时の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を见下しながら、少し声を柔らげてこう云った。
「己(おれ)は検非违使(けびいし)の庁の役人などではない。今し方この门の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄(なわ)をかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今时分この门の上で、何をして居たのだか、それを己に话しさえすればいいのだ。」
すると、老婆は、见开いていた眼を、一层大きくして、じっとその下人の颜を见守った。(まぶた)の赤くなった、肉食鸟のような、锐い眼で见たのである。それから、皱で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように动かした。细い喉で、尖った喉仏(のどぼとけ)の动いているのが见える。その时、その喉から、鸦(からす)の啼くような声が、喘(あえ)ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘(かずら)にしようと思うたのじゃ。」
下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同时に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑(ぶべつ)と一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色(けしき)が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の头から夺った长い抜け毛を持ったなり、蟇(ひき)のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。
「成程な、死人(しびと)の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人间ばかりだぞよ。现在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸(しすん)ばかりずつに切って干したのを、干鱼(ほしうお)だと云うて、太刀帯(たてわき)の阵へ売りに往(い)んだわ。疫病(えやみ)にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干鱼は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料(さいりよう)に买っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饥死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饥死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に见てくれるであろ。」
老婆は、大体こんな意味の事を云った。
下人は、太刀を鞘(さや)におさめて、その太刀の柄(つか)を左の手でおさえながら、冷然として、この话を闻いていた。勿论、右の手では、赤く頬に脓を持った大きな面疱(にきび)を気にしながら、闻いているのである。しかし、これを闻いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき门の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの门の上へ上って、この老婆を捕えた时の勇気とは、全然、反対な方向に动こうとする勇気である。下人は、饥死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その时のこの男の心もちから云えば、饥死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意识の外に追い出されていた。
「きっと、そうか。」
老婆の话が完(おわ)ると、下人は嘲(あざけ)るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面疱(にきび)から离して、老婆の襟上(えりがみ)をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「では、己(おれ)が引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饥死をする体なのだ。」
下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、仅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった桧皮色(ひわだいろ)の着物をわきにかかえて、またたく间に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから间もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、这って行った。そうして、そこから、短い白髪(しらが)を倒(さかさま)にして、门の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりである。
下人の行方(ゆくえ)は、谁も知らない。
(大正四年九月)
底本:「芥川龙之介全集1」ちくま文库、筑摩书房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1997(平成9)年4月15日第14刷発行
底本の亲本:「筑摩全集类聚版芥川龙之介全集」筑摩书房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
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罗生门
芥川龙之介著
鲁迅译
是一日的傍晚的事,有一个家将,在罗生门下待着雨住。
宽广的门底下,除了这男子以外,再没有别的谁。只在朱漆剥落的大的圆柱上,停着一匹的蟋蟀。这罗生门,既然在朱雀大路上,则这男子之外,总还该有两三个避雨的市女笠和揉乌帽子①的。然而除了这男子,却再没有别的谁。
要说这缘故,就因为这二三年来,京都是接连的起了地动,旋风,大火,饥馑等等的灾变,所以都中便格外的荒凉了。据旧记说,还将佛象和佛具打碎了,那些带着丹漆,带着金银箔的木块,都堆在路旁当柴卖。都中既是这情形,修理罗生门之类的事,自然再没有人过问了。于是趁了这荒凉的好机会,狐狸来住,强盗来住;到后来,且至于生出将无主的死尸弃在这门上的习惯来。于是太阳一落,人们便都觉得阴气,谁也不再在这门的左近走。
反而许多乌鸦,不知从那里都聚向这地方。白昼一望,这鸦是不知多少匹的转着圆圈,绕了最高的鸱吻,啼着飞舞。一到这门上的天空被夕照映得通红的时候,这便仿佛撒着胡麻似的,尤其看得分明。不消说,这些乌鸦是因为要喙食那门上的死人的肉而来的了。——但在今日,或者因为时刻太晚了罢,却一匹也没有见。只见处处将要崩裂的,那裂缝中生出长的野草的石阶上面,老鸦粪粘得点点的发白。家将将那洗旧的红青袄子的臀部,坐在七级阶的最上级,恼着那右颊上发出来的一颗大的面疱,惘惘然的看看雨下。
著者在先,已写道“家将待着雨住”了。然而这家将便在雨住之后,却也并没有怎么办的方法。若在平时,自然是回到主人的家里去。但从这主人,已经在四五日之前将他遣散了。上文也说过,那时的京都是非常之衰微了;现在这家将从那伺候多年的主人给他遣散,其实也只是这衰微的一个小小的余波。所以与其说“家将待着雨住,”还不如说“遇雨的家将,没有可去的地方,正在无法可想,”倒是惬当的。况且今日的天色,很影响到这平安朝②家将的Sentimentalism上去。从申末下开首的雨,到酉时还没有停止模样。这时候,家将就首先想着那明天的活计怎么办——说起来便是抱着对于没法办的事,要想怎么办的一种毫无把握的思想,一面又并不听而自听着那从先前便打着朱雀大路的雨声。
雨是围住了罗生门,从远处漉漉的打将过来。黄昏使天空低下了;仰面一望,门顶在斜出的飞甍上,支住了昏沉的云雾。
因为要将没法办的事来怎么办,便再没有工夫来拣手段了。一拣,便只是饿死在空地里或道旁;而且便只是搬到这门里来,弃掉了像一只狗。但不拣,则——家将的思想,在同一的路线上徘徊了许多回,才终于到了这处所。然而这一个“则”,虽然经过了许多时,结局总还是一个“则。”
家将一面固然肯定了不拣手段这一节了,但对于因为要这“则”有着落,自然而然的接上来的“只能做强盗”这一节,却还没有足以积极的肯定的勇气。
家将打一个大喷嚏,于是懒懒的站了起来。晚凉的京都,已经是令人想要火炉一般寒冷。风和黄昏,毫无顾忌的吹进了门柱间。停在朱漆灶上的蟋蟀,早巳跑到不知哪里去了。
家将缩着颈子,高耸了衬着淡黄小衫的红青袄的肩头,向门的周围看。因为倘寻得一片地,可以没有风雨之患,没有露见之虑,能够安安稳稳的睡觉一夜的,便想在此度夜的了。这其间,幸而看见了一道通到门楼上的,宽阔的,也是朱漆的梯子。倘在这上面,即使有人,也不过全是死人罢了。家将便留心着横在腰间的素柄刀,免得他出了鞘。抬起登着草鞋的脚来,踏上这梯子的最下的第一级去。
于是是几分时以后的事了。在通到罗生门的楼上的,宽阔的梯子的中段,一个男子,猫似的缩了身体,屏了息,窥探着楼上的情形。从楼上漏下来的火光,微微的照着这男人的右颊,就是那短须中间生了一颗红肿化脓的面疱的颊。家将当初想,在上面的只不过是死人;但走上二三级,却看见有谁明着火,而那火又是这边那边的动弹。这只要看那昏浊的黄色的光,映在角角落落都结满了蛛网的藻井上摇动,也就可以明白了。在这阴雨的夜间,在这罗生门的楼上,能明着火的,总不是一个寻常的人。
家将是蜥蜴似的忍了足音,爬一般的才到了这峻急的梯子的最上的第一级。竭力的帖伏了身子,竭力的伸长了颈子,望到楼里面去。
待看时,楼里面便正如所闻,胡乱的抛着几个死尸,但是火光所到的范围,却比预想的尤其狭,辩不出那些的数目来,只在朦胧中,知道是有赤体的死尸和穿农服的死尸,又自然是男的女的也都有。而且那些死尸,或者张着嘴或者伸着手,纵横在楼板上的情形,几乎令人要疑心到他也曾为人的事实,加之只是肩膀胸脯之类的高起的部分,受着淡淡的光,而低下的部分的影子却更加暗黑,哑似的永久的默着。
家将逢到这些死尸的腐烂的臭气,不由的掩了鼻子。然而那手,在其次的一刹那间,便忘却了掩住鼻子的事了。因为有一种强烈感情,几乎全夺去了这人的嗅觉了。
那家将的眼睛,在这时候,才看见蹲在死尸中间的一个人。是穿一件桧皮色衣服的,又短又瘦的,白头发的,猴子似的老妪。这老妪右手拿着点火的松明,注视着死尸之一的脸。从头发的长短看来,那死尸大概是女的。
家将被六分的恐怖和四分的好奇心所动了,几于暂时忘却了呼吸。倘借了旧记的记者的话来说,便是觉得“毛戴”起来了。随后那老妪将松明插在楼板的缝中,向先前看定的死尸伸下手去,正如母猴给猴儿捉虱一般,一根一根的便拔那长头发,头发也似乎随手的拔了下来。
那头发一根一极的拔了下来时,家将的心里,恐怖也一点一点的消去了,而且同时,对于这老妪的憎恶,也渐渐的发动了。——不,说是“对于这老妪”,或者有些语病;倒不如说,对于一切恶的反感,一点一点的强盛起来了。这时候,倘有人向了这家将,提出这人先前在门下面所想的“饿死呢还是做强盗呢”这一个问题来,大约这家将是,便毫无留恋,拣了饿死的了。这人的恶恶之心,宛如那老妪插在楼板缝中的松明一般,蓬蓬勃勃的燃烧上来,已经到如此。
那老妪为什么拔死人的头发,在家将自然是不知道的,所以照“合理的”的说法,是善是恶,也还没有知道应该属于哪一面。但由家将看来,在这阴雨的夜间,在这罗生门的上面,拔取死人的头发,即此便已经是无可宽恕的恶。不消说,自己先前想做强盗的事,在家将自然也早经忘却了。
于是乎家将两脚一蹬,突然从梯子直蹿上去;而且手按素柄刀,大踏步走到老妪的面前。老妪的吃惊,是无须说得的。
老妪一瞥见家将,简直像被弩机弹着似的,直跳起来。
“呔,哪里走!”
家将拦住了那老妪绊着死尸踉跄想走的逃路,这样骂。老妪冲开了家将,还想奔逃。家将却又不放伊走,重复推了回来了。暂时之间,默然的叉着。然而胜负之数,是早就知道了的。家将终于抓住了老妪的臂膊,硬将伊捻倒了。是只剩着皮骨,宛然鸡脚一般的臂膊。
“在做什么?说来!不说,便这样!”
家将放下老妪,忽然拔刀出了鞘,将雪白的钢色,塞在伊的眼前。但老妪不开口。两手发了抖,呼吸也艰难了,睁圆了两眼,眼珠几乎要飞出窠外来,哑似的执拗的不开口。一看这情状,家将才分明的意识到这老妪的生死,已经全属于自己的意志的支配。而且这意志,将先前那炽烈的憎恶之心,又早在什么时候冷却了。剩了下来的,只是成就了一件事业时候的,安稳的得意和满足。于是家将俯视着老妪,略略放软了声音说:
“我并不是检非违使③的衙门里的公吏,只是刚才走过这门下面的一个旅人。所以并不要锁你去有什么事。只要在这时候,在这门上,做着什么的事,说给我就是。”
老妪更张大了圆睁的眼睛,看住了家将的脸;这看的是红眼眶,鸷鸟一般锐利的眼睛。于是那打皱的,几乎和鼻子连成一气的嘴唇,嚼着什么似的动起来了。颈子很细,能看见尖的喉节的动弹。这时从这喉咙里,发出鸦叫似的声音,喘吁吁的传到家将的耳朵里。
“拔了这头发呵,拔了这头发呵,去做假发的。”
家将一听得这老妪的答话是意外的平常,不觉失了望;而且一失望,那先前的憎恶和冷冷的侮蔑,便同时又进了心中了。,他的气色,大约伊也悟得。老妪一手仍捏着从死尸拔下来的长头发,发出虾蟆叫一样声音,格格的,说了这些话:
“自然的,拔死人的头发,真不知道是怎样的恶事呵。只是,在这里的这些死人,都是便给这么办,也是活该的人们。现在,我刚才拔着那头发的女人,是将蛇切成四寸长,晒干了,说是干鱼,到带刀④的营里去出卖的。倘使没有遭瘟,现在怕还卖去罢。这人也是的,这女人去卖的干鱼,说是口味好,带刀们当作缺不得的菜料买。我呢,并不觉得这女人做的事是恶的。不做,便要饿死,没法子才做的罢。那就,我做的事,也不觉得是恶事。这也是,不做便要饿死,没法子才做的呵。很明白这没法子的事的这女人,料来也应该宽恕我的。”
老妪大概说了些这样意思的事。
家将收刀进了鞘,左手按着刀柄,冷然的听着这些话;至于右手,自然是按着那通红的在颊上化了脓的大颗的面疱。然而正听着,家将的心里却生出一种勇气来了。这正是这人先前在门下面所缺的勇气,而且和先前跳到这门上,来捉老妪的勇气,又完全是向反对方面发动的勇气了。家将对于或饿死或做强盗的事,不但早无问题;从这时候的这人的心情说,所谓饿死之类的事,已经逐出在意识之外,几乎是不能想到的了。
“的确,这样么?”
老妪说完话,家将用了嘲弄似的声音,覆核的说。于是前进一步,右手突然离开那面疱,捉住老妪的前胸,咬牙的说道:
“那么我便是强剥,也未必怨恨罢。我也是不这么做,便要饿死的了。”
家将迅速的剥下这老妪的衣服来,而将挽住了他的脚的这老妪,猛烈的踢倒在死尸上。到楼梯口,不过是五步。家将挟着剥下来的桧皮色的衣服,一瞬间便下了峻急的梯子,向昏夜里去了。
暂时气绝似的老妪,从死尸间挣起伊裸露的身子来,是相去不久的事。伊吐出唠叨似的呻吟似的声音,借了还在燃烧的火光,爬到楼梯口边去。而且从这里倒挂了短的白发,窥向门下面。那外边,只有黑洞洞的昏夜。
家将的踪迹,并没有知道的人。
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译注
① 市女笠是市上的女人或商女所戴的笠子。乌帽子是男人的冠,若不用硬漆,质地较为柔软的,便称为揉乌帽子。
② 西历794年以后的四百年间。
③ 古时的官,司追捕,纠弹,裁判,讼诉等事。
④ 古时春宫坊的侍卫之称。
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中日对照