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天声人语中日对照:秋风瑟瑟 绿叶凋零

作者:佚名  来源:作者   更新:2020-3-29 18:42:24  点击:  切换到繁體中文

 

今年の夏前の小欄で、「梅雨時に見る花には不思議と白が多い」と書いたら、関西に住むご年配から達筆の手紙をいただいた。「万緑叢中紅一点(ばんりょくそうちゅうこういってん)、紅(あか)い花もお忘れなく」とあった。自宅の庭に石榴(ざくろ)の一木がある、とお書きになっていた。


今年入夏前我在本栏目的文章写道:“非常意外,梅雨时节看到的花原来很多是白色的”。不久就收到一封居住在关西的老人家写来的信,文字写得相当好。信中有这样一句话:“万绿丛中一点红,可别忘了那些红色的花”。信中写道,他家院子里有棵石榴树。


万緑叢中紅一点――は漢詩の一節で、いちめんの緑に紅い花が一つ咲く情景をうたっている。詩の題を「石榴(せきりゅう)の詩」というから、石榴の花を言うようだ。わが最寄り駅への道にも石榴の植わったお宅がある。夏の緑に可憐(かれん)な朱を点じていた花が、今は実をなしてぶら下がり、晩秋の風に吹かれている。


万绿丛中一点红,这是一首汉诗中一句,吟诵的是一片绿叶当中开了一朵红花的情景。该诗名为《石榴之诗》,想必这红花就是石榴花了。通往离我家最近的火车站的路上也有种了石榴树的人家。夏天在点缀在一片绿叶中的可爱的红色小花如今已经结成果实垂在枝头,被晚秋的风吹拂着。


その実はどこか古風で、俳味をかもす。樹上に熟して裂ける姿は、笑うように口を開いた「お化け提灯(ちょうちん)」を連想させる。〈皿におく呵々大笑(かかたいしょう)の石榴かな〉豊田都峰。お便りにあった石榴も、呵々と笑っている頃だろうか。


总觉得石榴果带着一种古意,酝酿着俳句的氛围。其在树上成熟后裂开的样子,让人联想到像是咧着嘴笑的“妖怪灯笼”。“石榴果/盘上放/笑呵呵”(丰田都峰)。小路旁那户人家树上的石榴果想必也正是呵呵大笑的时候了。


思えば「白」は秋の色で、青春、朱夏、そして白秋となる。秋の風には「白風」の異名がある。その風を「色なき風」とも呼ぶ。すきとおった風の中で自然は色づき、寂(さ)びていく。気がつけば立冬も近い。


转念一想,其实“白”才是秋天的颜色。青春、朱夏,然后是白秋。秋风还有另外一个叫法叫“白风”。这种风也称作“无色风”。在清冽的风中,大自然渐渐染上颜色,慢慢变得萧条。回过神来,原来立冬也快到了。


透明感のある風の中、目に温かい実を見るのもこの季節だ。秋の陽(ひ)の色に染まったような熟れ柿。ピラカンサやソヨゴといった小粒な赤には、時々鳥が来て、枝を揺らしていく。


这个季节,还能够在有透明感的风中观赏给人温暖感觉的果实。像被秋阳的颜色染过似的熟透的柿子;小鸟时常飞来光顾火棘和冬青的红色小果,把树枝弄得摇来摆去。 きょうは広く雨模様の一日になるそうだ。気温は穏やかというが、何せ「冬隣(ふゆどなり)」と呼ばれる時候である。〈国安く冬ぬくかれと願ふのみ〉。戦前に虚子の詠んだ一句が、今年はことに思い起こされる。


今天据说全国大范围地区都有降雨。说是气温变化不大,不过好歹已经到了被称为“ 临冬”的时节了。“谨求吾国/安全越冬”。高滨虚子在二战前吟诵的这句诗,今年格外让我想起。



 

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