▼今年の賀状には「跳ねる」「とぶ」を目標にする一言が目立った。精彩を欠いた寅(とら)年から、機敏で利発そうな兎(うさぎ)への心機一転は、干支(えと)の効用の一つだろう。「卯年の果報は寝て待つな」という風変わりもあった。これは中国の故事の「守株(しゅしゅ)」をもじったらしい
▼今年的贺年片上以“蹦跳”、“跳跃”为目标的短语非常显眼。从缺乏精彩表现的虎年朝着以敏捷聪慧的兔子为目标所进行的心理转变或许正是生肖的作用之一吧。当然也有与众不同的说法,“不得坐等兔年好运的到来”。这有点效法中国典故“守株待兔”的味道。
▼ある日、男が畑を耕していると、兎が跳び出して切り株に頭をぶつけて死んだ。それから男は畑仕事を放り出し、連日切り株を見張って笑いものになった。童謡「待ちぼうけ」でも知られる話は、旧習にとらわれて、時に応じた進歩ができない愚の例えである
▼有一天,正当农夫在田里耕作的时候,跳出来一只兔子因头部撞在了树桩上死了。后来这个农户便放弃了农活一连几天守着这个树桩等着好事再次出现,这将是最后成了一个笑话。诸如童谣“苦苦等待”等家喻户晓的故事也都是在举例讽刺因循守旧不能与时俱进的愚蠢行为。
▼とはいっても、時勢に棹(さお)さすだけでは流される。目先の変化や、皮相な流行にたじろがぬ「不易」を身の内に養いたいとも思う。時に遅れず、されど追わず。そう生きたいが、なかなか難しい
▼话虽如此,可一味地顺应时势摇橹使桨的话,结果只能是随波逐流。当然,也想着培养内心能拥有一种不受眼前变化、流行表象所动的“不易”。不落后于时(代),但又不追赶时髦,尽管很想如此生活却又很难做到。
▼晴れやらぬ時代を映してか、三が日の社寺はにぎわったらしい。〈日本がここに集る初詣〉山口誓子。昨今はパワースポットブームだという。去年のことだが、伊勢神宮の年間参拝者は860万人を超えて過去最高を記録した
▼或许这也从一个方面反映出时代并不美好吧,新年头三天里各大神社寺庙分外热闹。山口誓子女士有一首这方面的俳句,<日本全体,聚集于此,新年参拜,祈求福祉>。如今祈求神灵保佑的作法蔚然成风,据说去年一年伊势神宫的参拜者超过860万人创历史最高纪录。
▼「山を動かす技術のあるところでは、山を動かす信仰はいらない」と米国の哲人が言っていた。人の世に様々な山がある。願掛けで動かすか、兎にあやかり跳ねて越えるか。政治の影の薄いのが、気にかかる。
▼美国有一位哲人说过,“在拥有撼动山峦技术能力的地方不需要撼动山峦的信仰”。人世间也有各种各样的山,那么究竟是祈求神灵去撼动?还是仿效兔子一跃而过呢?政治影响的淡薄总是让我无法释怀。
待ちぼうけ
『待ちぼうけ』(まちぼうけ)は、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の唱歌(童謡)である。1923年(大正12年)に、満州唱歌の一つとして発表された。
歌詞 [編集]
待ちぼうけ、待ちぼうけ
ある日せっせこ、野良稼ぎ
そこに兔が飛んで出て
ころりころげた 木のねっこ
待ちぼうけ、待ちぼうけ
しめた。これから寝て待とうか
待てば獲物が驅けてくる
兔ぶつかれ、木のねっこ
待ちぼうけ、待ちぼうけ
昨日鍬取り、畑仕事
今日は頬づゑ、日向ぼこ
うまい切り株、木のねっこ
待ちぼうけ、待ちぼうけ
今日は今日はで待ちぼうけ
明日は明日はで森のそと
兔待ち待ち、木のねっこ
待ちぼうけ、待ちぼうけ
もとは涼しい黍畑
いまは荒野(あれの)の箒草(はうきぐさ)
寒い北風木のねっこ
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