背景资料:《安妮日记》是荷兰籍犹太少女安妮·弗兰克在二战中遗留下来的一部个人日记,它真实地记述了她与家人以及另两个犹太家庭为逃避纳粹迫害而度过的长达两年的隐蔽生活。安妮从13岁生日写起,一直写到1944年8月4日他们的隐居地被德国党卫军查抄后不久。这个不到16岁就被纳粹夺去了生命的孩子的日记在战后成为人们对那场人类梦魇进行深刻反思的珍贵教材。今天,由65种语言出版的《安妮日记》已售出3000万册。安妮故居也成为各国游客访问阿姆斯特丹时必去的地方之一。
「アンネの日記」のアンネ?フランクの父親が第二次大戦の初期に書いた手紙が米国で見つかった。米への移住ビザの仲介を知人に頼んだ数通で、先ごろ公表された。
近日在美国发现《安妮日记》作者安妮·弗兰克的父亲在第二次世界大战初期写的书信。最近公开的几封信的内容是拜托熟人帮助办理美国移民护照。
移住の理由を、父は「2人の娘のために」とつづっている。だが結局ビザは得られず、一家はナチスに捕らえられ収容所に送られる。多感な日記をつづった次女アンネは、過酷な日々の果てに15歳で息をひきとった。
移民理由,她父亲写的是“为了两个女儿”。可是最后没有申请到护照,一家人被纳粹逮捕,关进了集中营。写下了多情多感日记的二女儿,在那段不堪回首的日子中死去,年仅15岁。
★息を引き取る 息が絶える。死ぬ。
手紙の公表の際、説明役の歴史学者は「(もしビザが出ていれば)アンネはいま、ボストンに住む77歳の女性であったかもしれない」と語ったそうだ。悲しい名を残さず、人が平凡に生きられる。その重みに思いを寄せた言葉だろう。
据说书信被公开时,担任讲解的历史学家曾说:“(如果护照申请下来的话)安妮现在也许是住在波斯顿的一位77岁老太婆”。她就不会留下悲剧性的名字,而过着普通人一样平凡的生活。他的话表达了这样一种重要含义。
★おも-み [0] 「重み」(1)重いこと。重さ。「雪の―で枝が折れた」(2)どっしりとした落ち着きや堂々たる威厳。貫禄。「重役らしい―を備える」(3)重大さ。重要さ。「真実の―」
★思いを寄せる あるものに関心を持つ。特に、異性に恋愛感情をいだく。
思い起こすのは、同じ大戦初期にリトアニア領事代理だった杉原千畝(ちうね)のことだ。迫害におびえる多くのユダヤ人に、日本を経由して第三国へ抜けられるビザを出した。外務省はドイツとの関係に配慮して発給不可を指示したが、杉原はビザを出し続けた。
想起同是二次世界大战初期时的立陶宛代理领事杉原千畝(畦)的事。他发放许多日本护照给担心纳粹迫害的犹太人,帮助他们经由日本逃往第三国。外务省担心影响与德国的关系曾指示禁止发放,但是衫原仍继续发放。
★おび?える [0][3] 「怯える?脅える」 (動ア下一)怖がってびくびくする。また,恐ろしくて声をたてる。「―?えたような目つき」
★はっ-きゅう [0] 「発給」 (名)スル発行して給付すること。出して与えること。「ビザを―する」
その「命のビザ」の物語を、東京の劇団銅鑼(どら)は15年にわたり上演してきた。9年前のニューヨーク公演で「スギハラに救われた」という女性が名乗り出た。団員を郊外の自宅に招き、古びたビザを見せて、来し方を語った。
这个“救命护照”故事东京铜锣剧团一直演出了15年。9年前在纽约公演时,一位女性说出“自己就是被杉原先生救出的”。她邀请剧团团员到郊外的家里,给他们看泛旧的护照,讲述了那段过去。
★ふるびる「古びる」(自上一)古くなって、往年の華やいだ美しさが失われる。
「古びた家」
ビザを受けたとき、アンネの享年と同じ15歳だった。姉と2人でシベリア鉄道を経て敦賀に着き、横浜から船で米に逃れたという。戦後に米国人と結婚し、5人の孫のいる静かな暮らしを送っていた。この人とアンネの運命は、入れ替わる可能性もあっただろう。名もない人生を築けることの幸せを思う。
她领到护照时与安妮同岁,都是15岁。据说当时她与姐姐两人经过西伯利亚铁路到达敦贺,在横滨乘船逃到美国。战后与美国人结婚,现在有5个孙子,过着平静的生活。她与安妮的命运也有可能互换。能构筑平凡人的生活感觉很幸福。
★いれ‐かわ?る「入れ替る」〔自五〕前のものにとってかわる。交替する。いりかわる。「順番が―?る」「席を―?る」
★きょう-ねん [0] 「享年」〔天から享(ウ)けた年の意〕人の生きていた年数。死んだときの年齢.行年(ギヨウネン)。「― 六五」